私の学歴は、高卒です。
勉強自体は、それほど出来る訳でもなく、
中学校時代の成績は学力テストでも
240人中30位位だったので、上の中と
いうところですか。
しかし、3教科は比較的得意だったので、
自己分析をすると、中の上程度だと思います。
俗に言う、まあまあの成績というところ
でしょうか?
ところが、高校受験は失敗し、4校受けた
中の第3志望の高校に進学をしました。
中学校時代は、塾通いをして、受験間近
になると、家庭教師もつけました。
ところが、家庭教師の効果は全く手応えが
なく、無意味だったと私は思っています。
家庭教師の先生は、とても寡黙な人だったので、
逢う度に沈黙感が苦痛で、授業も特になく、
出されたテキストの課題の答え合わせに
終始専念する状態でした。
言いたい事も言えず、沈黙している時間に
腹を空かしている先生の腹の音ばかりが
響き渡り、それが鳴る度に、こっちがビクン
と緊張していました。
というのも、それが起こると、どうしていいか
わけがわからなくなるからでした。
気まずさばかりが起こる授業だったんです。
だから、何一つ身に着くことも無く、今考えると
あの時は無駄な時間を過ごしたな~と、思い出す
のもいやになります。
そんなこんなで第3志望の高校に入ることが
できたのですが、私の意識の中では、周りの
人間は私よりもバカばかりだと、全然やる気が
起きませんでした。
私にとっては滑り止めの学校だったので、そのように
思ったんです。
だから、授業なども殆ど聞くこともなく、机に額を
つけて、寝てばかりいました。
私立高校だったので、誰も起こすこともせず、
私の成績はミルミル落ちて行きました。
赤点赤点の連続で、保護者同伴で呼び出される
常習となりました。
そんな私ですが、私は先ほども言ったように、3教科
だけの人間なんですよ。
だから、私立向きで、塾の先生も将来楽をしたければ
付属校に入れ!!という教えを頑なに守り、付属校
しか受験をせずに入った高校だったんです。
それが、何を勘違いしたのか、周りの人間は私よりも
優秀な人間ばかりだったんです。
しかし、どちらにせよ、私はやる気がなかったので、
落ちるべくして落ちて行ったわけです。
9割方、大学には推薦で入れる学校でしたが、とうとう
どこの学部にも引っ掛からず、親からは就職をしてくれ
とせがまれる始末。
身から出た錆なので、しょうがないのですが、数少ない
付属校から、やむなく就職をすることになったんです。
ところが、今まで勉強しかしてこなかったというか、勉強
もしませんでしたが、そんな私が社会に出て働けと
言われても、一切ピンと来るものはなく、私は何をすれば
いいのだろう?と、途方に暮れる状態だったんです。
そもそも、仕事なんかしたくないと思っていたくらいでしたから。
高卒なんて、カッコ悪いとさえも思いました。
俗に言う、ロクでも無い子供でした。
私は、教科の中で、数学が最も得意でした。
そのため、小学校時代も有名学習塾の良い方のクラスに
入ってしまい、周りからは何でおまえが!!と、いつも
私がわからない存在だったらしいです。
中学校時代の学習塾だって、私は数学のテストで90点を取り、
頭の良い方のクラスに入りました。
案の定、周りからは、「何で○○が!!」と、驚いていました。
数学は、妙に私と相性が合っていて、私は難問を解くのが
大好きでした。
恐らく、小学生時代のそろばん塾が功を奏していたのだと
思います。
そんな私でしたが、数学で飯が食えるということが、想像できません
でした。
数学で想像できた就職先は、銀行でそろばんをはじくか、数学者
程度かな?などと、思っていたんです。
高校時代、同じクラスから大学に行ける余裕が無い家庭の
人がいて、彼はとっくに就職を決めていたのですが、その
就職先がコンピュータ会社でした。
その名前の響きから、私も彼の真似をして、コンピュータ会社に
就職を決めたのですが、コンピュータと言うものが数学を活かせる
職場だったということに、就職をして初めて気が付いたんです。
コンピュータというものは、凄いもので、何でもできるものと
いうことは漠然とわかってはいたものの、実際のところ何を
するものかは知りませんでしたから。
まさか、プログラミングに数学が活かせるとは思いませんでした。
そういえば、私がコンピュータ会社に就職が決まった時、
母校の先生たちの間では、「私にコンピュータなんか扱える
わけがない!!」と、誰もがすぐに退職することを予想
していたそうです。
まさか、そのコンピュータが天職になるとは思いもしませんでした。
会社でするプログラミングの仕事が、面白いのなんの!!
全然仕事をしている感覚ではありませんでした。
仕事自体は、本当に楽しくて、社員もみんな大好きな人
ばかりだったので、職場の環境自体、何も文句のつけようが
ありませんでした。
給与が安いということを除けば!!
私は、その大好きな会社をやむなく後にしました。
ビジネスというのは、遊びでは無い!!
こんな状態では、一生結婚もできないだろう!!
そう思い、鞭打って私はその会社を後にして行ったんです。
私が次に選んだ仕事は、前と同じコンピュータのシステム開発
でした。
人材募集広告で見つけた仕事が、今で言うフリーランスの
システムエンジニアの仕事だったんです。
月給25万円以上と言う言葉に惹かれて面接に行ったのですが、
10万足らずの給与しかもらっていない私が希望額を訊かれ、
精一杯背伸びをして、言った金額が25万円だったんです。
月給25万円以上という広告を見てから面接に向かったので、
25万円もらわなければ何の意味もないと思ったので、思い切って
25万円ということができたんです。
すると、あっさりとその金額で1年間の契約書が作成されて、
その場で現場に向かい、次の日から新たな出向先が決定
してしまいました。
当時の私のスキルの相場として、35万円が適正ということでした。
それは、新たな現場のフリーSEに教えてもらった業界の相場
だったのですが、当時の私としてはフリーSEという仕事形態も
知らず、当然業界の相場はわかるわけもないので、まんまと
契約先の会社から足元を見られてしまったというわけです。
私の場合、どう転んでも、その場で35万円希望しますとは、
応えられるわけが無かったんですよ。
これもひとつの社会勉強と、割り切りちょっと前までフリーSE
を思い切り楽しみながらやってきたという訳です。
フリーSE業界の相場など、なってみないとわからないものですが、
私はこのような失敗をしましたという体験談を書くことにより、
1人でも多くの方が、このように足元を見られないようになれば
良いかな~と思い、このようにブログにも書いているわけです。
さらには、私は「ギークスジョブ」の存在自体を知ったのは、
フリーSE人生の後半となりますが、蓋を開けてみたら、どこの
取引先よりも良い単価で仕事を紹介してくれる、とても良心的
な存在だということに気が付いたんです。
それまでは、まさか自分が培ってきた数多くの取引先よりも
ネットのフリーSE求人サイトの方が高単価など、ありえるわけが
ないと思っていたので、見向きもすることがなかったんです。
しかし、良く考えると、ネットのSE求人サイトの方が大量に
SEを抱えているし、仕事の求人する側もネットの求人サイト
に依頼をすれば、すぐに適した人材を用意してくれるという
ことが、すぐに理解できました。
抱えている人材は、圧倒的にネットのSE求人サイトの方が
多いのですから。
だから、私のフリーSE人生の後半は殆どが「ギークスジョブ」
からの紹介の仕事オンリーでした。
これからフリーSEになろうと思っている方は、まず「ギークスジョブ」
で、個別説明会を受けて、話しを訊いてみることです。
それが、フリーSEで失敗しない、やり方です。
話しが合えば、「ギークスジョブ」から仕事を紹介してもらい、
その後は現場で営業窓口をどんどんと増やしていけば、食いっぱぐれ
はなくなりますよ!!
ただ、「ギークスジョブ」よりも単価が良い仕事は、少ないでしょうから、
殆ど「ギークスジョブ」の仕事をやることになるでしょう。
しかし、万が一何が起こるかはわからないので、営業窓口を
増やして行くことは、とても大事な作業です。
自分が出来なくても、誰か他に仕事をしてくれる人はいませんか?
と、依頼されることもあるので、そういう時に他の人を紹介して
あげれば、一時金なり、毎月コンスタントに金額の一部が振り込まれる
こともあるので、損はないんです。
それを元に、ブローカーの仕事をやっている人もたくさんいますから。
フリーSEになると、色々な展開が待っているので、プロパーでは
体験ができないようなことがたくさんあって、面白いんですよ!!
今年はもう、仕事も終わりでしょう。
来年こそは、飛躍ができる年にしたいものですね!!
そのためには、思い切って行動ができる年にしていきましょう!!