残された時間はわずかだ。舵取りを誤れば、〝巨艦沈没〟もありうる。
創業以来、最大のピンチに抜擢されたこの男は、いま何を思うのか。
兵庫県の自宅を直撃すると、再生への決意を語りだした。
私が(最新鋭のプラズマパネル工場の休止を)仕向けたとか、いろいろなメディアで書かれているみたいですね(笑)。
まあ、事実関係は別にしても、それまでカーエレクトロニクス事業を担当していた私が、昨年4月から
テレビ事業を担当することになったのは確かであって、(その使命は)テレビ事業の改革と新規事業の開拓ということでした。
そしていろいろな構造改革をやらなければいけない中で、拠点の統廃合もやった。
今まで「右肩上がりで売るんじゃ」と言うてた人が、すぐに「止めるんや」とはなかなか言えない。
だから(大坪文雄)社長が私なり、AVC事業(テレビ、デジタルカメラ、パソコンなどの事業)の経営陣なりを入れ替えて、
新しい判断ができる形にかえたということです。
誰ができた、できないというよりも、全然正反対の経営判断をするときには新しい人がやらなければならず、
それがたまたま私だったということ。それだけのことですわ。
津賀一宏氏(55歳)。パナソニック代表取締役専務。今年2月28日にパナソニックがホテルニューオータニ大阪で開いた会見で、
次期社長就任が発表された(6月27日付予定)。創業家以外では最年少での就任となる。
津賀氏はパナソニックが作った最新鋭のプラズマパネル工場(尼崎第3工場)の休止を取締役会で進言したと報じられ、
その名が業界内外に一躍轟いた。尼崎第3工場は2000億円超を投じて作られ、その約1年半前に稼動させたばかり。 津賀氏の発言を機に、役員会は騒然とした空気になったとされる。
工場を立てて、その工場のフル生産能力でテレビを作り、どんどんテレビを売るべきだ。
それができれば売り上げも最大、収益も最大になる—うちは従来こういう(ビジネス)モデルでやってきたわけです。
昔はそれで儲かっていたからよかったのですが、そこにリーマン・ショックがあり、円高もあり、
もちろんライバルメーカーが強くなってきたということもあり、といろいろなことがあって、
2008年以降くらいにテレビ事業をめぐる環境が変わってきたんです。
ところが、まさにその時に、我々は姫路や尼崎に新工場を建てていました。
工場を建てるのには何年もかかるので、投資を発注した後でリーマン・ショックが来て、
円高に襲われてということになっても、工場建設は止まらない。
すごくたくさんの業者に設備や建物などをすでに発注していますから、最後まで造らざるをえなかったんです。
そうした中でどんどんテレビを作り続けると、値段がどんどん下がる。
実際アメリカではスーパーマーケットでテレビが売られていて、バナナやティッシュと一緒に、
テレビがワゴンに入れられて、レジに持って行かれるという世界になっていったんです。
テレビというのは一家に何台必要なものなのかを考えると、安くなったからといって何台でもお客さんに買っていただけるわけではない。
たとえば私の自宅のテレビは2006年モデルのフルハイビジョンプラズマで、脚(テレビ台)をつけて買いましたけど、
当時50万円でした。
ではこれを次に、「新しいモデルが出た」とか「安くなった」とかで買い換えようかということになるかというと、
「それじゃ、このテレビはどこにいくんや」という話になりますよね。やはりある程度の寿命が来てからでないと、買い換えられないですよ。
そうするとスペシャル価格のテレビが出たからといって、そんなになかなか買ってはもらえないわけです。
そしてテレビは売れば売るほど赤字が出てしまうことになった。
では、どうすればテレビの収益が最大になるのかという視点で考え直すと、工場をフル稼働させるということを前提とせずに、
キャパが大きすぎる部分については止めて、売れる工場は売る。そういう根本的なメスを入れる経営判断をみんなでしたということです。

