6. コミュニケーションの実態 その2 ( 2005年 6月12日 )

前回に引き続き、コミュニケーションの実態に焦点を当てていきます。
言葉は重要ですが、言葉以外のメッセージにも敏感になることが重要です。
ドラマやCMなど、私たちの周りにはコミュニケーションの場を
客観的に見ることのできるチャンスがたくさんあります。

「おいしいことば」    朝日新聞 CM天気図 天野祐吉

本当に嬉しいときとか悲しいとき、ぼくらは「嬉しい」とか「悲しい」とは言わない。
そのかわり、「嬉しい」ということば以上に嬉しい顔をする。
「悲しい」ということばより、ずっと悲しい表情になる。
「嬉しい」とか「悲しい」とか言っているうちは、それほど嬉しくも悲しくもないのだ。
 「おいしい」も同じである。本当においしいと感じたときは、「おいしい」なんて言わない。
それは、ことば以上に顔が語っている。
こんな「ことばをこえたことば」くらい素直で正直なことばはない。
 が、いまのテレビには、「おいしい」ということばがあふれている。
話題のレストランや評判のラーメン店を紹介するような食べ物番組が、
この国では異常に多いように思うけれど、そこでは「おいしい!」が
日々連発され、いまや「おいしい」ということば自体がボロボロになって、
ちっともおいしくなくなってしまった。
さすがに気がひけるのか、「食感がたまらない」とか「すごくジューシーです」とか、
ヘンな日本語に置きかえている人もいるけれど、
しょせんはそれも「おいしい」のバリエーションに過ぎない。
 番組ではないが、CMにも、「おいしい」はあふれている。
だからこそ、青汁を飲む八名信夫さんの「まずい!」が逆説的に生きることにも
なるわけだが、「おいしい」を言わずにおいしさを表現する工夫が、
もっといろいろあってもいいんじゃないだろうか。
 そんななかで、見ていていつも感心するというか、こっちまで食欲をそそられるのは
ノリさん(木梨憲武)の食べっぷりだ。「Cook Do」(味の素)のCMのなかで、
彼が思いきり口をあけて中華料理を食べるときの目の輝きには、
「おいしい」なんてことばがまっ青になるくらいおいしさ感があふれている。
顔じゅうが口になるような迫力で食べて、しかもちっとも下品にならないところがいいし、
この人は食べることがシンソコ好きなんだなあと、リクツ抜きに感心させられてしまうのだ。
 「おいしい」に限らない。こういう「ことばをこえたことば」を大切にしていないと、
ことばはどんどんやせてしまい、スジだけになってしまう。
で、ことばの向こうにある大切なものを聞きとることのできない
「想像貧乏」がやたらにふえてしまうことにもなる。
お金の貧乏もいやだが、想像力の貧乏はもっと悲しい。

7. まず自分から ( 2005年 6月19日 )

SYPシステムは、「人(他人)や環境を変えるためのスキル」ではなく
「自分を変えるためのスキル」を提供しています。
今回は研修の最後にお配りしている「まず自分から」の原文を紹介します。
仮定法って、こんなときに使うんですね。 しびれました。
「高校の英文法で、こんな例文に触れていれば
私の英語に対する関心も変わっていたかもしれません(仮定法過去完了)」

Start with Yourself

The following words were written on the tomb of an Anglican Bishop (1100 A.D.)
in the Crypts of Westminster Abbey:

“When I was young and free and my imagination had no limits,
I dreamed of changing the world.
As I grew older and wiser, I discovered the world would not change,
so I shortened my sights somewhat and decided to change only my country.

But it, too, seemed immovable.

As I grew into my twilight years, in one last desperate attempt,
I settled for changing only my family, those closest to me,
but alas, they would have none of it.

And now as I lie on my deathbed, I suddenly realize:
If I had only changed myself first,
then by example I would have changed my family.

From their inspiration and encouragement,
I would then have been able to better my country
and, who knows, I may have even changed the world.”    Anonymous


(内田の訳)
 
若くて自由で想像力も果てしなかった頃、
私は世界を変えることを夢みていた。
年をとって賢くなるにつれ、世界は変わらないことを知った。
そこで少し視野を狭め、自分の国だけを変えることにした。
だが、国も動きそうになかった。
人生の黄昏にさしかかり、最後の力を振り絞り
最も身近な私の家族だけでも変えることにした。
ところが、ああ、誰も変わりはしなかった。
そして、死の床に就いた今、私はやっと悟ったのだ
まず自分自身を変えていれば、家族に影響を与え、
(間接的に)家族を変えることができたのではないかと。
その結果、家族に励まされ、支えられて、
自分の国をより良くすることができたかもしれなかったのだ。
もしかしたら、世界さえ変えることができたかもしれなかった。


8. チームワーク研修 その1 ( 2005年 6月26日 )

SYPシステムでは、研修の最終段階にチームワーク研修を提案していますが
最近、チームワーク研修の需要が急激に増えているのを感じます。

研修を実施していて感じるのは、
① リーダーが、多くの異なった視点を持つこと
② 部外者の客観的な視点からのフィードバックを受け入れられる柔軟性を持つこと
この2点の重要性です。

こころの健康学 集団の健康 

多様な考え方の尊重が大事          日本経済新聞より

 集団の排他性という考え方は個人の心の健康のためだけでなく、
集団が健康でいられるためにも大切だ。
 集団の健康というと不思議な感じがするかもしれない。
集団が健康というのは全体として十分に機能できているときのことをいう。
集団には集団の考え方がある。同じ考えを持つ人たちが集まり共通目標に向かって
頑張ることで大きな成果があがることはよくある。
そのときはみんなの思いが同じだけに、力が集まって大きな力にとなる。
 しかし、注意しないと他のことが見えなくなる危険がある。
所属している人が同じ方向を向いているだけに、
他の可能性が目に入らなくなって、とんでもない失敗をすることがある。
 それが社会的なレベルで起きたのがバブルの時期だ。
日本経済が傾くことなどないという過信ともいえる状態は、
今から考えると行き過ぎだったと分かるが、
そのときには、そのような疑問を持つ人は少なかった。
そのようにみんなが同じ方向を向いて走っていると、
変化に対する備えが乏しくなる。問題が大きくなって初めて気づくことになる。
 こうした弊害は企業でも同じようにみられる。
企業の不祥事は少なくないが、こうしたことは同じ考えを持った役員ばかり集まったり、
ワンマンといわれるトップの考えですべてが決まったりしている会社で起こりやすい。
役員に社外の人を加えるのは同じ考えに固まるのを避けるためだ。
 同じことは家庭でも起こる。子供の行動に問題があるとき、
家庭がある一つの価値観に縛られていて、
そこになじめないで疎外感や孤独感を感じていることがある。
多様な考えが許されることが、集団の心の健康を維持するために重要だ。


9. チームワーク研修 その2 ( 2005年 7月 3日 )

不公平感は著しく私たちのモチベーションを下げます。
真面目にやっている人、一生懸命な人、まっとうな人が、
バカを見たり、損をしたりする組織は極めて不健全です。

日本経済新聞   「春秋」より

 仕事のご褒美にもらうエサの質が、
仲間より低いことを知ったアオマキザルは、
もらったエサを投げ出して、不公平に抗議する。
利益の最大化をはかるなら、くれるというものは何でも、
とりあえずはもらっておく手だが、まず情が働く。
 チンパンジーで同じ実験をすると、つき合いの長い仲間との報酬格差は
許容するのに、あまり親交のない個体との不公平には敏感に反応する。
取引の原点では、合理性より情動がものをいうのか……。
日経サイエンス7月号で米国・エモリー大学のドゥ・ヴァール教授が説く
「動物たちの行動経済学」は暗示的だ。
 野生のチンパンジーは集団で狩りをする。
最後に獲物を手にするのは一頭のみ。しかし、ウィナー・テイクス・オールではない。
勝者は自律的に仲間におすそ分けをする。それも狩りに参加した協力者のみに。
協力への報酬である。毛づくろいなどの恩恵を受けたら、
ちゃんと覚えていて「恩返し」で食物を配る。
 不公平への怒り、親しきものへの寛容、協力への感謝、恩返し。
彼らの経済行動からみえてくるのは、分配のルールというより、
倫理の原型かもしれない。それにしても、不公平への反発か優遇への羨望か、
きのうまで喜んで受け取っていたエサを、無価値なもののごとく拒絶する激しさ。
嫉妬の源泉は大きく深い。   

10. チームワーク研修 その3 ( 2005年 7月10日 )

二人がいて二人とも同じ意見なら、一人はいなくてもいい人間だ。(デール・カーネギー)

ブレーン・ストーミングの醍醐味は、お互いが妥協することではなく、
相互得を実現する斬新な第三案を見つけ出すことだと思います。

研修を通じて感じていることがあります。
①少数意見の中に真実が隠れていることがある。
②組織の中ではまだ影響力のない人(組織に染まっていない人)の
 発言の中に思いもよらぬ斬新なアイデアが含まれていることがある。

「CM裁判」    朝日新聞 CM天気図 天野祐吉

 質問です。
 どこかの戦場で、少年が銃を持って海を見ているCMがありました。
「NO BORDER」という日清カップヌードルのシリーズです。
あれについて、あなたは次のAとBのどっちの意見に賛成ですか。
A あんないたいけな少年に銃を持たせるのは、いったいどういうつもりか。
戦争を美化しているようにもとれるし、テレビを見ている小さな子どもたちへの
影響も考えよ。不謹慎というか、不見識というか、作り手の良識を疑う。
B あんな幼い少年が銃を持たなければならない、あるいは持たされる現実が
いまの世界にはある。それをこのCMは直視している。目をそらしていない。
平和への切実な思いが、海を見ている少年の姿から伝わってくるようだ。
作り手の勇気に拍手を送りたい。
 もう一つ質問です。
 大滝秀治さんが隣家のおばさんと垣根ごしにやり合う、水性キンチョールのCMが
ありましたね。「うちは空気を汚さない水性キンチョールを使っている」という大滝さんに
「キレイゴト言うな、じじい!」とやり返す、あれです。
あのCMについて、あなたは次のAとBのどっちの意見に賛成ですか。
A くだらない。不愉快だ。先日、奈良県で起きた隣人同士のトラブルを思い出させる。
隣人同士がいがみ合う社会を面白がるとは、どういう神経か。作り手の良識を疑う。
B 面白い。痛快だ。キレイゴトですまそうとするCMやいまどきの世の中を
笑いで批評している。こういう批評というのは、不快スレスレのところで成り立つもので、
作り手の力量に拍手したい。
 ありがとう。二つの質問とも、AとBのどっちが正解かということはありません。
人それぞれ、人生いろいろ、どうにでも受けとる自由があるから、表現というのは面白い。
いや、私はAでもBでもなくCだ、と別の意見があってもいいのです。
 ただ、そういう意見を出し合って論じ合うのはいいことですが、この二つのCMとも、
Aの意見を持つ人が広告主に文句をつけたことで、放送中止になってしまったようです。
 やめなくてもいいと、ぼくは思うのですが、「消費者は王様」ですから、
やはり広告主としてはこわいんですね。たしかに王様には権力がある。あっていい。
が、権力が暴力になっては困ると思いませんか。