11. 「 反 応 」 と 「 選 択 」  その1  ( 2005年 7月18日 )

SYPプログラムのキーワードは、①「目的」と「手段」、そして②「反応」と「選択」です。
私たちが提供する研修のすべてが、このキーワードのもとに展開されています。
今回は「反応」と「選択」に関する記事を紹介します。

朝日新聞  窓  論説委員室から  「ロンドンの地下鉄」

 ロンドンの地下鉄に乗ると、甘ったるい香水が鼻に付く。
学生時代の日々をあの街で送った私には、それが妙になつかしく、
匂いをかぐたびに、またロンドンに来たのだと思う。
 世界最古の地下鉄は、「チューブ」が愛称であることからも分かるように、
車両は小さく狭苦しい。だから、そのぶん香りも強烈に感じるのだろう。
あれほど密集した空間で爆弾が炸裂したのかと思うと、胸がつぶれる思いがする。
 「何か災難に襲われた場合、イギリス人は本能的にまず打てる手を打って、
感情的反応はなるべく後に伸ばすのだ。したがってイギリス人は危機に強い」
 英国の作家E・M・フォースターが「イギリス国民性覚書」にそう書いたのは
約80年前だが、その特性は今回も遺憾なく発揮されているようだ。
同時多発テロの当日、ロンドンっ子は、お互いに励まし合いながら、
黙々と徒歩で帰宅した。年配の世代は第2次世界大戦中にドイツの猛烈な
空爆をしのいだ歴史を思い起こしている。
 気になるのは、もうひとつの同時多発テロ「9・11」の経験だ。
あのとき米国はいったん世界の同情を集めたものの、その後は
単独行動主義に陥り、最後はイラクとの戦争にまで突っ走った。
フォースター流に言えば、打てる手を打つよりも、感情の方が
猪突猛進してしまったということだろうか。
英国には、その愚を繰り返してほしくない。                三浦俊章

12. 「 結 果 」 と 「 過 程 」  ( 2005年 7月24日 )

SYPプログラムのキーワードは、他にもあります。
③「結果」と「過程(プロセス)」、④肯定的な意図  

今回は山口良治さんのインタビュー記事を紹介します。
あのスクールウォーズのモデルになった方です。
特に最終段落にこのキーワードが多く含まれています。
(肯定的な意図に関しては、全文を通じて、直接は見えませんが‥‥)

おやじのせなか  「期待」励みに苦しさ越えた  山口良治   朝日新聞より

 実家は農家だった。農作業をしていた父は真っ黒に日焼けしていた。
76歳で死んだが、かくしゃくとしていた。
 中学生の時に「期待されるような人間になれ」と言われた。
長男の私に母や自分が期待していることを伝えたかったのだろう。
それからは、「自分は何ができるのか」ということを意識するようになった。
苦しいときは「期待されているんだ」と思うと頑張れた。
「子供に期待のかけすぎは良くない」というが、励みになることもある。
それをどう伝えるかが大切だ。
 中学時代は野球一筋。当時の夢はプロ野球選手になることだった。
野球が強い高校に進学したかったが、父は猛反対。
長男に農家を継いで欲しかったのだと思う。結局、野球部がない農林高校へ進学。
でも、そこでラグビーに出会えた。人生わからない。
 体育教師を目指し、東京の大学に進学。父は反対しなかった。
地元に戻って教師になることを期待していた。
当時は東京へ進学するだけでも大変な時代。田畑を売って学費を工面してくれた。
 ラグビーについて、父とあまり話をした記憶はない。
指導者となった私にはいつも「子供にケガさせたらいかんぞ」と言っていた。
そのお陰か、私の教え子には一生残るような大けがをした子がいない。
私にとって大きな誇りになっている。
 伏見工が初めて全国制覇した時の決勝戦。試合前に宿舎から父に電話した。
どうしても声が聞きたかった。「日本一になってくるわ」と言いながら父の声を聞くと、
なぜか涙が込み上げてきた。父は「試合前から泣いてどうするんや」
試合前は必ず近所の八幡さんで必勝祈願をしてくれていたことを後で知った。
 父は今のおやじには失われがちな「強さ」を持っていたと思う。
強いというのは「優しさ」があるということ。
子供が問題を起こすまでには必ず「過程」がある。
どんな時も子供をありのままに受け止めるように心掛けてきた。
私も知らず知らずのうちに、父のような「おやじ」を目指していたのかも知れない。

13. 魔 法 の 小 石    ( 2005年 8月 1日 )

夏風邪をこじらしてしまい、一日遅れの更新です。
以前、塾の生徒に配っていた文章です。

子供たちは夏休みに入りました。
お父さん、お母さんは、子供たちと接する時間が増えると思います。
子供に「なぜ勉強をしなくてはいけないの?」と訊かれたら、どう答えますか?

魔法の小石    ジョン・ウェイン・シュラッター      「心のチキンスープ」より

「なぜ、こんなつまらないことを勉強しなくちゃいけないんですか?」
 私が教壇に立っていたあいだ、生徒はあらゆる不平や疑問を投げかけてきた。
なかでも、この質問ほど繰り返し耳にした言葉はない。
 この質問に、私は次の物語をお話しすることで答えたいと思う。

 ある晩、遊牧民の群れが夜を過ごすための支度をしていると、
突然あたりが厳かな光に包まれました。
聖なる方がともにおられるのを人々は感じました。
大きな期待を胸に、天の声が下るのを待ちました。
何かとても大切なお告げがあるのだろう、と思ったからです。 
ついに、声が聞こえてきました。
「できるだけたくさんの小石を拾いなさい。
その小石を袋に入れ、一日旅をするがよい。
明日の夜になって、お前たちは喜び、また悲しむであろう」
 聖なる方がその場を去ると、人々は失望と怒りを口にしました。
大いなる宇宙の真理について啓示が下ることを期待していたからでした。
富と健康が授けられ、人生の目的が解き明かされると思ったのです。
ところが与えられたのは、小石を拾うというつまらない、
彼らにとってはわけのわからない作業だけでした。
 しかし、人々はぶつぶつ言いながら、いくつかの小石を拾って袋に入れました。
聖なる方の神々しさが、まだあたりに残っていたからでした。
 人々は一日旅をし、夜になりました。
野営を張りながら小石のことを思いだし、袋から取り出してみました。
すると、どの小石もひとつ残らずダイアモンドになっていたではありませんか!
 人々は小石がダイアモンドに変わったことを喜び、
もっと小石を拾ってこなかったことを悲しみました。

 この伝説の教えを地でいった例として、
私がまだ教師に就いて間もないころに出会った一人の教え子の話をご紹介しよう。
仮に彼をアランと呼ぶことにする。
 アランは中学二年生。主専攻は「問題を起こすこと」、
副専攻は「停学処分」といった男子生徒だ。
不良になることを勉強しに来ていたようなもので、
ついに「窃盗」という修士号を取ろうとしていた。
 そのころ、私は生徒たちに名言を毎朝、暗唱させていた。
出席をとるとき、生徒の名前に続けて誰かの言葉の前半を言う。
出席とみなしてもらうためには、生徒は後半を続けて言わなくてはいけないのだ。
「アリス・アダムス ― 『努力し続けている限り‥‥‥‥』」
「はい、『失敗はない』です、先生」といった具合である。
 こうして教え子たちは、その学年の終わりまでに名言を百五十は暗唱した。
「一直線に目標だけを見なさい。障害が目に入らないように」
「皮肉屋とは、すべてのものの値段を知っていてもその価値を知らない人のことをいう」
そして、「思うなら信じなさい。信じるなら実践しなさい」などだ。
 アランほど、朝のこのお決まりの時間をいやがった生徒はいなかった。
それは彼が放校処分を受ける日まで変わらなかった。
それから五年間、アランの消息を耳にすることはなかった。
 ところが、ある日、アランが電話をくれた。
現在この近くのある大学で特別コースを受講しており、
仮釈放期間を終えたばかりだという。
 彼は少年院に入れられた後も問題を起こしていたため、
鑑別所に送られたと話してくれた。
ついには、そんな自分に嫌気がさして、カミソリで手首を切ったそうだ。
「ねえ、先生、そうやって自分の命の灯が消えかかっていくのを感じながら
横たわっていたときです。いきなり、あのばかばかしい文句が頭に浮かんできたんです。
先生がいつか二十回もおれに書かせたやつですよ。
『努力している限り、失敗はない』こいつの意味が突然わかったんです。
おれが生きているかぎり、おれの人生は失敗じゃない。
でも、もし自分で命を絶ってしまったら、失敗そのものになっちゃうじゃないか。
そう思ったんです。
それでおれは残りの力を振り絞り、助けを呼んだ。新しい人生を始めたんですよ」

 彼があの名言を学んでいたころ、それは小石にすぎなかった。
しかし、ぎりぎりの状況に追いつめられ何かの導きを必要としたとき、
それはダイアモンドに変わったのだ。
 だから、私はこうアドバイスしたい。できるだけたくさんの小石を拾いなさい。
ダイアモンドのように輝く未来が約束されるのだから。


14. 「 も の 」 よ り 「 思 い 出 」     ( 2005年 8月 7日 )

人間関係に限定すると(特に親子関係では)ある時期を逃してしまうと
取り返しがつかなくなってしまうことが多いように感じます。
失われた時を取り戻すことは、非常に難しいけれど、不可能ではないようです。

朝日新聞 生活欄 ひととき より

「父との遠足 」   長野県駒ヶ根市 岩波美伸さん 主婦 42歳

 父と二人で日帰り遠足に行ってきた。行き先は愛知万博だ。
 二人だけで遊びに行くのは何十年ぶりだろうか。
七十歳を超した父から「生きているうちで最後の万博になるから」という誘いを受けた。
夫も仕事の調整がつく週末は混雑しそうなので、急きょ平日に二人で行くことにした。
 母が亡くなり、父は木曽の実家で十年以上も一人暮らしをしている。
離れて暮らす娘としては、いつも気にかかっている。
しかし、今回の私は、すっかり子供の頃に戻ったかのように、
父との「お出かけ」をワクワク心待ちにして準備した。
 父が疲れないで楽しめる範囲で無理のない計画を立て、
水分補給の水筒も二本持ち、タオルと絆創膏も持参した。
夜のうちに実家に行き、翌朝6時台の電車で出発。
会場の人は多かったが、当日は暑くもなく、計画通り無事に一日で回ってこられた。
 私にとっては万博へ行ったことよりも、
父と二人で楽しく出かけてこられた喜びの方が大きかった。
ショーや展示物を見てあれこれ言いながら、その興奮を父と共有した。
思えば、進学先の大学のキャンパスに初めて二人で訪れて以来だ。
 実家に戻って土産物を分けながら、ご機嫌でビールを飲む父を見て、
とても嬉しく、少しは親孝行できたかなと思った。


15. 愛情が不足すると‥‥‥    ( 2005年 8月14日 )

ペットですら愛情が足りないと異常行動にでるようです。
それが人間の子供だったら‥‥‥。
今回は子供たちの大好きな「うんこネタ」です。
大人は「うんこネタ」は、嫌いですか?
お盆の時期です。
ご家族で「愛」について分かち合ってみてはいかがですか?
三谷さんのエッセーは、愛にあふれていて個人的に大好きです。

朝日新聞     三谷幸喜の「ありふれた生活」  

試練で深まるペットへの愛

 映画撮影の日々が続いている。
夜、帰宅すると、まず翌日の撮影するシーンを台本でチェック。
そして深夜は脚本家に戻って原稿書き。いっぱいいっぱいである。
 妻は舞台が続いていて、毎日劇場へ通っている。
夫婦ともども忙しいというのは、珍しいことだ。
今までは、たまたまだったが、どちらかがハードな時は、
もう一方は緩やかなスケジュールだった。
 割りを食っているのが、我が家の動物たち。
ちょっとボケが入っている最年長のおとっつあん(猫)は、結構自由にやっているが、
他の三匹はここのところ、見るからに元気がない。
 人と暮らす動物たちにとって、飼い主とのコミュニケーションは
生きる上で欠かせないものだ。餌が、植木にとっての肥料だとすれば、
飼い主の愛情は、水のようなもの。毎日与えてあげなければ、いずれは枯れてしまう。
 家にいる時間が短いので、一緒にいられる時は、
出来るだけ彼らと遊ぶようにしている。それでも動物たちには足りないらしい。
クールに見えて実は一番の甘えん坊のオシマンベ(猫)は、食欲がなくなり、
最近よく残すようになった。ホイ(猫)は、僕が帰宅するとすぐ飛びついてきて、
腰を下ろす度に膝の上に乗ってくる。
むさぼるように僕から愛を吸収していくホイ。
 とび(犬)は、朝の散歩は僕と妻が交代で務めているが、
夜はペットシッターさんにお願いしている。
あんまり遊んであげられないので、愛情表現を、いけないと分かっていても、
お菓子をあげることで代用してしまう。お陰でとびは日に日に太っている。
 ある日、とびの顔が猛烈にウンチ臭い時があった。
顔を舐められた時、口の回りがやたら臭かった。
何かの病気ではないかと心配になった。
妻と二人でとびの口のまわりを何度も嗅いでみる。確かに口臭がきつくなっている。
とはいえ、元気は元気だし、臭いは時間が経つと消えたので、そのままにしておいた。
数日後、また突然ウンチ臭くなった。妻が嫌な推理を働かせた。
「これ、ひょっとしてウンチ食べてるんじゃない?」
 老猫のおとっつあんは、最近よくトイレ以外の場所でウンチをする。
お爺ちゃんだから仕方がないと諦めていたのだが、そういえばこのところ
あまり廊下でそれを見かけることがない。
ボケが治ったのかと思っていたのだが、何ととびが食べていたとは!
 そして遂に決定的瞬間を目撃。
おとっつあんの後を執拗に追ったとびは、彼が排便するや否や、
まるで熱々の焼き芋を食べるように、それをハフっと口に入れた。
 慌ててとびを捕まえ、無理矢理口を開けさせる。既に飲み込んだ後だった。
それがどんなにいけないことか、僕はとびに懇々と説明してやった。
今まで一度もなかったことだ。これも飼い主がいないストレスのせいなのか。
 なんだか無性にいじらしくなって、思わずとびを抱きしめてやった。
そして頬擦り。ウンチ臭さが愛おしかった。
 動物たちにとっての試練の夏は、まだまだ続く。