中国の武漢でコロナの騒動が始まったのは令和元年12月です。
このとき私は、宮田村商工会から「商工会は学院事業をやめるので会館の二階を空けてくれ」と言われて、伊那市に物件を借り個人の受講生を教えながら教室移転の準備を始めたときでした。
伊那市の教室で、ネットニュースをチェックしてコロナが広がっていく様子を見ながら、この引当金を作っておいてよかったと思いました。名前は創造開発だけど目的は危機管理ですから、良かった、今こそ使えると思ったのです。
わずか300万円か400万円と思うかもしれませんが、国が助成金制度を始める前の初動で、単会独自で会員のために何かをしたらすごいことです。マスクの手配も、アクリル板の手配も、利子補給でも、プレミアム商品券でも、商工会が持っているお金を使うなら国の制度ができるのを待たずにすぐ動けるのです。
金額も私が退職した平成22年、23年頃はそれまでよりもずっと大きな手数料収入が学院から入ったと思うし、その後は退職前くらいになりましたが、ずっと積み増しをして大きな危機に備えていれば1千万円以上にはできたと思います。
コロナが始まった時点で引当金がいくらになっていたのか、そもそもその時点で引当金はあったのか、引当金があったとして商工会は何をやったのか、私は何も知りませんが、どうだったのでしょうね。