偶然ネットで見つけたアルバム―。シューマン/「夜明けの歌」(「暁の歌」)をメインに据え、タイトルに「周辺」とある通り、クララやブラームスの関連作品を収録している。以前取り上げたヴェロニカ・ヨッフム盤と似た傾向(重複する作品もあり)だが、食指が動いたのは珍しい「ルートヴィヒ・シュンケ/グランド・ソナタ」が収録されていたからであった。

 

 

 

 

 

 

ルートヴィヒ・シュンケ(1810-34)はシューマンの親友で、ライプツィヒの下宿では隣の部屋同士だったこともあるという。シューマンが刊行した「新音楽時報」(現在も刊行中!)の創刊者の1人であり(ペンネームは「ヨナタン」。旧約聖書にあるダヴィデの親友であった人物)、もちろん「ダヴィッド同盟」のメンバーでもあった。シューマンが(家族の相次ぐ死により)精神的に不調だったときにはシュンケが支え、シュンケが病床に伏したときはシューマンが看病に着きっきりだったという―。識者によっては、年齢も近かった20代のシューマンとシュンケの間に存在した「深い友情」に同性愛的意味合いを認めようとする見方がある(旧約聖書にはヨナタンの死を悼んだ「詩」がダヴィデによって歌われた記述があり、そこには「君の愛は女の愛よりも素晴らしかった」とある。もちろん2人が同性愛関係にあったわけではない―彼らの宗教がそれを許さない)。真偽のほどは不明だが、全く有り得ないことだと否定する材料も存在しない。

 

1832年にシュンケは自らの「グランド・ソナタ」をシューマンに献呈し、彼の絶賛を浴びる。シューマンは翌年、今まで自分が作曲した中で最も演奏至難な技巧的作品「トッカータ」をシュンケに献呈することになるのだ(「トッカータ」については先日ブログに記した)。当時シューマンがリストより高く評価していたというシュンケのピアニストとしての才能には驚くべきものがあったことは容易に想像できる。24年の短すぎる生涯の間に残された作品はピアノ曲がほとんどのようだ。自らの「分身」のような存在だったシュンケが結核で亡くなった後のシューマンの落ち込みようは想像に難くない(実際、メランコリーの発作が頻出するようになる)―。

 

1835年、「新音楽時報」にシューマンはシュンケ追悼のメッセージを掲載している。

 

... what else he would have accomplished, oh, who knows? but death could never extinguish a torch of genius earlier and more painfully than this one. Just listen to his sages, and you will crown the young burial mound, even if you didn't know that with the high artist an even higher person left the earth, which he loved so unspeakably...

 

 

 

 

(上のサムネイルはシューマンが終生写真棚に飾っていたシュンケの肖像画である)

 

 

シューベルトの「あこがれのワルツ」による華麗なる変奏曲変イ長調Op.14。

シューマンが「謝肉祭」を作曲するきっかけを与えた作品である。

本来は協奏曲的作品だが、ここではピアノ・ソロ版で―。

 

 

 

当盤においてはシュンケのグランド・ソナタと、シューマンのトッカータが両方収録されており、その審美眼に感銘を受けた。シルヴィアーヌ・ドゥフェルヌのピアノ演奏は今回初めて聴いたが、流麗で的確なピアニズムながら繊細な表情で、心に残る奏楽を味わえる―。「シューマン/トッカータ」はすでにデームス盤で楽しんでいるが、果敢に挑戦しつつポエジーを滲ませる同演奏に比べ、ドゥフェルヌ盤は終始デリケートな表情を保っていて、技巧を感じさせない(もしかすると次の収録曲(暁の歌)への配慮もあるのかもしれない)。

 

「シュンケ/グランド・ソナタ ト短調Op.3」は「大ソナタ」と言われるだけあって、全4楽章形式22分の大作である(Allegro-Scherzo-Andante Sostenuto-Finale)。

第1楽章のフレーズは後日シューマンがピアノ協奏曲のカデンツァで引用しているのが興味深い(1841年の原典版からそうであった)。クララの存在が心の大部分を占めていた時でさえ、シュンケは特別な位置にいたのでは―とつい考えてしまう。聞き所はもちろん第1楽章であろうが、詩的な叙情性に溢れる第3楽章も聞き逃せない。

 

 

当音源で。スコアリーディング付。実に魅力的な演奏―。

 

僕が最初に聞いたシューマン/トッカータの演奏。ポゴレリチの

デビュー2作目のアルバムから。指の分離と強靭さが物凄い。

 

こちらはポゴレリチによる2016年ライヴ。同じピアニストとは思えない

外観と音楽―9分近くかけて巨大な音楽が構築される―。

 

 

 

 

曲目が前後してしまったが全5曲のプログラム中、上記の2曲は3,4曲目に収録されている。アルバム最初に収録されているのは「クララ・シューマン/3つの前奏曲とフーガOp.16」という珍しい作品、1845年作である(シューマンが「ピアノ協奏曲イ短調」を再作曲した年でもある)。この頃は夫婦でバッハの作品を研究していて、その対位法から学んだ成果を作品に反映させていた―ロジカルなバッハ作品はロベルトの精神を安定させたことだろうー。その最大の成果は年末から翌年にかけて作曲された「交響曲第2番」かもしれない。

 

シューマン/「BACHの名による6つのフーガ」Op.60。

原曲はオルガン用だが、ここではピアノ連弾で―。

第6曲に「交響曲第2番」のフィナーレが現れる。

 

クララ・シューマン/バッハの主題による3つのフーガ(1845)。平均律第2巻

からテーマがとられている。弦楽合奏編曲版で―。

 

 

この「3つの前奏曲とフーガOp.16」はフーガ主題がシューマンの主題に基づいているようだが、彼の作品からではなく、フーガ研究に当たってシューマンが(研究用に)提示したテーマの可能性が高い。各曲は「ト短調-変ロ長調-ニ短調」であるが、まさにロマン派ならではの歌謡性に富む「プレリュード」がすこぶる魅力的である(特に第2番。第3番は打って変わってバッハ風の厳粛さを感じさせる)。

 

シューマンが没した1856年作曲の「ロマンス ロ短調」。

この年を境にクララは作曲から手を引いてしまう―。

 

ブラームス/ピアノ・ソナタ第3番~第4楽章。ピート・クイケン盤。

上記の作品のテーマに用いられている。クララの心境が伺える。

19世紀製のヴィンテージ・ピアノで演奏されている。

 

 

 

日記にはこんなクララの「本音」が記されている―。

 

自ら創造する以上に素晴らしいことはない。ただ音の世界でのみ呼吸している忘我の時、たったそれだけのことなのに何と素敵なのだろう 

 

愛するロベルトのために作曲を控え、彼の死を境に作曲を止め、ピアニスト&教育者の道を歩んだクララ…。はたして彼女の人生は真の意味で幸福だったといえるのだろうか―余計なお世話だろうが、ふとそう思ってしまうのである。

 

クララの弟子の1人、アデリーナ・デ・ララ(1872-1961)によるシューマン/

幻想曲。クララがこんな風に弾いていたのでは―と想像するのも楽しい。

 

ファニー・デイヴィス(1861-1934)もその1人。イギリスでシューマン作品の

初演に貢献した。アンセルメ指揮によるシューマン/ピアノ協奏曲を―。

思い入れたっぷりのカデンツァが聴きもの。

 

カール・フリードベルク(1872-1955)はクララに師事し、ブラームスにも賞賛

されたピアニスト。ブラームスの全ピアノ曲のレクチャーを本人から受けた

という。このピアノ協奏曲第2番の演奏も興味深い―。

 

 

 

 

アルバム2曲目「ブラームス/ロベルト・シューマンの主題による変奏曲Op.9」と5曲目に収録されている「シューマン/夜明けの歌Op.133」はコレクション中2種類目の演奏となる―。ブラームスの変奏曲Op.9は前述の通り、ヴェロニカ・ヨッフム盤で所有していた(冒頭のリンクを参照)。クララと申し合わせたかのように作曲されたこの変奏曲は(当然のように)クララに献呈され、作品に秘められた心遣いと配慮を知るに、ブラームスの人柄とその心情を思い見ることができる作品である。ヨッフム盤が18分ほどで弾かれているのに対し、このドゥフェルヌ盤は20分を超え、思い入れの強い演奏となっているのが印象的である。

 

 

 

 

「シューマン/夜明けの歌」はこのアルバムでは最後のトリのような曲(アルバム・タイトルからも伺える)だが、イェルク・デームスによる「シューマン/ピアノ曲全集第1弾」に収録されていた作品でもある。将来自分で弾くことが叶えば「人生の完結」を宣言してもいいくらい好きな曲である(その宣言が遠い将来でありますように)。シューマンにとっても作品番号が付されたピアノ曲としては最後の作品で、詩人のベッティーナ・ブレンターノ(フォン・アルニム)に献呈された。彼女は晩年のシューマンと特に交流があり、親交を楽しんだようだ。

 

 

 

 

空が奇妙な赤みを帯びる。夜明けなのか夕暮れなのか自分にはわからない。光のための創作をしなければならない 

 

明るい光がある限り、創作を続けられる 」―こう手紙に記したシューマンだったが、こうも語る―。

 

音楽は今やすっかり沈黙してしまった。暗闇が近づいてくる 

 

 

「夕暮れなのか、夜明けなのか」―どちらに見えるだろうか―。

 

 

 

「ニ長調」を基調とする調性でまとめあげられた「暁の歌」を、クララは「いつもと同じように独創的だが難解で、その響きは甚だ奇妙 」と感想を日記に記している。

 

ミシェル・シュネデールは全5曲のうち3曲が実質的にコラールで対位法的処理が見られることに注目し、こう述べる―。

 

分散する思考(…)、分離しようとする肉体と魂をさらにもう一度結び合わせる―強力な解き手がやってこないうちに。死は夕べの訪れとともに立ち上がる影の像ではなく、事物の透明性そのものに近い。(…)夜明けの光がかすかに射し始めるということはない。かつての飛翔へのノスタルジーとともに、精神はなおも暗く沈んでゆく 

 

「夜明けの歌」へのオマージュとして、僕はこの言葉ほど適切なものを寡聞にして知らない―。

 

ドゥフェルヌによるシューマン/「暁の歌」~第4曲。

嬰ヘ短調の響きが切実―。

 

決して録音が多くないドゥフェルヌだが、デュトワ指揮のもとロジェと

プーランク/「2台ピアノのための協奏曲」を録音していた。

 

ブログの〆はポジティヴにこちらで―。