オーストリア出身のピアニスト/イェルク・デームス(1928-2019)によるシューマン/ピアノ曲全集からの1枚。1970年代の録音だが、曲によってはヒスノイズその他不安定な音質が目立つ。しかしながら演奏は素晴らしいの一言に尽きる―。

 

 

 

 

シューマンの演奏は難しい―と思う。技術的に、ではない(弾きにくさはあると思う)。情緒的に、という訳でもない(ロマン性はいやというくらい感じられる)。「音楽」が逃げていく感覚があるのだ―(実際に「鬼ごっこ」という曲がある)。サラサラした砂粒を手ですくうような感じ。指の隙間から零れ落ちてゆくイメージだ。だから、「手中に収めた」気がしない。どこか不完全な感じがするのだ。それゆえだろうか―かつてはオーケストレーションに不備があるとか、散々な扱いを受けていた時期があったが、現在はその「個性」を生かした演奏が増えてきている。ピアノ曲も例外ではなく、皮肉なことに、技術的に完璧な演奏ほど「シューマンらしさ」が感じられないことが多い。逆にテクニックが弱いと、音楽の核心に至ることができない。

 

ではどうしたらよいのか―。

 

正直僕はまだわからない。そして実はわからなくてもいいとすら思っている。このデームスの演奏が1つの理想的な「解答」となっていると思えたからだ。全13枚からなるこのBOXセットを通して、そのことを確認してゆきたいと思う。

 

 

 

【CD 1】
 

1. ダヴィッド同盟舞曲集Op.6
2. 3つの幻想小曲集Op.111
3. 暁の歌Op.133
4. 4つの小品Op.32

 

 

 

 

1曲目は「ダヴィッド同盟舞曲集Op.6」。この「ダヴィッド同盟」とは、音楽評論も手掛けていたシューマンがヴァーチャルで創設したグループのこと。その中心人物として挙げられるのが「フロレスタン」と「オイゼビウス」の2人だ。性質的に好対照を成すこの2人はシューマン自身の2つの側面を指すといわれている。前者は英雄的かつ衝動性に富む。「テストステロン」的性質であることは明らかだろう。対し後者は、優美で瞑想的または抑うつ的。「エストロゲン」的と言えるかもしれない。この作品ではそれぞれが、時には両者がイニシャルで示されていて、作品の世界観を端的に示しているように思う。

 

作品全体は18曲のピアノ小品から成り、1部につき9曲ずつの全2部構成となっている。

 

いつの世にも喜びは悲しみと共にある。

    喜びにはひかえめであれ。

       悲しみには勇気をもって備えよ。

 

―というエピブラフが冒頭に載せられている。

 

 

第1曲はいきなり引用で始まる。それはクララの作品だ。

 

「音楽の夜会」Op.6~第5曲「マズルカ」。作品番号のシンクロ感が―。

 

曲はハ長調(C-major)。クララ(Clara)の調性といえるだろう。かなり意識的だ。ちなみに「フロレスタン」(F)と「オイゼビウス」(E)の両者のイニシャルが記されている。

 

 

第2曲は早くもこの曲集の白眉となる音楽だ。「Innig」(E)。ロ短調。「心から」(内面的に)というドイツ語表記がある。この表記はシューマン作品に随所に現れる。しかも肝心な部分にだ。ここにシューマンの偽らざる「裸」の心が剥き出しになっているように思われてならない。そしてこの素敵な曲に僕たちは再び意外な仕方で出会うことになる―。

 

アナトール・ウゴルスキの演奏。この演奏でこの曲集が好きになった。

「ハートを射抜かれてしまった」―といっていい。デリカシーの塊だ。

 

 

 

第7曲は第1部の中で演奏時間が最も長い曲となっている。

「Nicht schnell」(E)。ト短調。

 

アルペッジョが美しくも悩ましい。冒頭の一瞬、前曲の音が被っている。

 

 

第1部最後の第9曲は第1曲と同じくハ長調で書かれている。どちらのイニシャルも記されていない。代わりに「ここでフロレスタンは口をつぐんだ。すると、彼の唇は苦痛で打ち震えた。」とのメモが記されている。

 

 

 

第2部(第9-18曲)は(F)(E)両方のイニシャルが記されている曲が多い。

 

第13曲「Wild und lustig」(F)(E)。 ロ短調 。

 

まさに「荒々しく、そしてほがらかに」奏される。コントラストが鮮烈だ―。

 

 

 

第15曲「Frisch」(F)(E)。変ロ長調。

 

(E)に相当する中間部が陶酔的だ―。2分かからず終わる短い曲。

 

 

 

第17曲「Wie aus der Ferne」(F)(E)。ロ長調。

前曲から引き継がれる曲で、「遠くからのように」という表記がある。これもまたシューマン作品を紐解く「キーワード」の1つだ。

エコーのように響く音に耳を澄ましていると、突然あのフレーズが現われる―そう、第2曲「Innig」の再来だ。「彼方」と「心」の繋がりを見る。再び現れたその姿には「激情」が伴っていた。高揚し、痛みを残して曲は終わる―。

 

「遠くからのように」響く美音。その再会は切ないものだった。

 

 

第2曲とこの第17曲はシンメトリックな関わりが与えられている。そして終曲第18曲は「Nicht schnell」。ハ長調。イニシャルは消え、舞踏のリズムだけが残る。ここにも第1曲との相関関係を見る。全体が円環のように設計されているのだ。「マズルカ」のリズムが「ワルツ」のリズムに変容している。曲の最後で左手の低音が、さながら「シンデレラ」での「深夜12時の鐘の音」のように12回鳴り響くが、夢から覚めるよう強制はしない。「夢が夢なら」、夢のままで終わらせてくれるのだ―。

 

ウゴルスキはこれでもかといわんばかりの精妙なピアニッシモを聴かせる。

 

 

第18曲には次のメモが付されていた―。

まったく余計なことに、オイゼビウスはさらに次のことを加えた。しかしその時、彼の目には多くの幸運が浮かんでいた。

 

全く余計なことに、新芽 取亜はさらにこれを付け加えた。

しかしその時、彼の心には自由と喜びが満たされていた。

 

 

なお、シューマンは後に改訂を施し、上記エピグラフを含むメモや、表記、演奏指示等を削除&変更した。大概の演奏(デームス盤含む)はその改訂版(第2版)に基づいている。

 

 

 

 

 

2曲目は「3つの幻想小曲集Op.111」。

シューマン作品の中にはこのタイトルが数曲に用いられている。

お気に入りのタイトルだったのだろうか―。彼らしいタイトルだと思う。この曲集はこのタイトルがつけられた最後の作品である。1851年8月作曲。

 

第1曲はハ短調(Sehr rasch, mit leidenschaftlichem Vortrag )「きわめて速く、情熱的に演奏すること」と記されている。幻想曲ハ長調Op.17の第1楽章の表記を思わせるが、クララの面影は不思議と感じない。感情の奔流に巻き込まれるかのような音楽だ。もしかすれば、それは「感情」ではなくライン河の暗く重い水の流れなのかもしれない―。

 

第2曲変イ長調(Ziemlich langsam )「かなりゆっくりと」。「黄昏時」のように穏やかなカンティレーナだが、中間部に悩ましい感情を思わせる。

 

第3曲ハ短調(Kräftig und sehr markiert )「力強く、くっきりと」。決然とした表情を思わせる楽曲。中間部は少し表情が和らぐ。

 

 

 

 

 

3曲目は「暁の歌Op.133」。

この作品に関連したことは以前のブログで扱ったことがある。

 

 

死の3年前に作曲されたこの曲は、もしかするとシューマンが完成させた最後のピアノ曲集かもしれない。そんな雰囲気も漂ってくる作風でもあるのだが―。

 

 

この小品集は夜明けに感じることを描写しています。けれどもそれは、情景描写というよりも感情表現としての表現なのです。

 

―シューマンによる出版社へのコメントである。

 

 

全5曲から成る―。

 

第1曲ニ長調。静かでゆっくりと、徐々に夜が明けてくるイメージが想起される。「コラール」風ではあるが、天空を目指すような輝かしいものではなく(視線は大空を仰いでいるのかもしれないが)、地上に縛り付けられていて、周りに「闇」が纏わりついているような重い表情のコラールだ。デームスの演奏がその性質をさらに引き出しているのかもしれない―。

 

弦楽六重奏にコントラバスが追加された珍しいヴァージョン。スコア付き。

 

 

第2曲ニ長調。複雑に音の糸が絡み合う―。突然解けたかと思うと、また絡み合う。

 

第3曲イ長調。演奏表記通り「生き生きと」した、華麗さを装った技巧的な楽曲。

 

第4曲嬰ヘ短調。水の流れのような左手の動きに、右手のメランコリックな旋律が重なる。終始留まるところを知らない、流れに逆らえない必然性のようなものすら感じられる。

 

第5曲ニ長調。第1曲との関連性を覚える。「夜明け」のその後の音楽のようだ。意外なほど穏やかで、激することなく、しかし止まることもなく、少し冷気を帯びた空気感のようなものを感じさせつつも、確かな充実感に満たされる終曲だ―。この5か月後に自殺未遂&精神病院に収容される人の音楽にはとても聞こえない。

 

 残念ながら、シューマン自身に「夜明け」は訪れなかった―。

 

ウゴルスキの娘、ディナ・ウゴルスカヤ(1973-2019)の亡くなる1年前の演奏。

素晴らしいピアニストであった。ご冥福を祈りたい―。

 

 

 

 

 

最後の4曲目は「4つの小品Op.32」。「スケルツォ、ジーグ、ロマンツェ、フゲッタOp.32」という表記がされていることもある。

 

第1曲「スケルツォ」は4曲中一番規模が大きい。特徴的なリズムと問いかけるようなフレーズ。一度聞くと脳内リピートしやすい曲だ。

 

第3曲「ロマンツェ」が不思議な曲で、いきなりギャロップのリズムで始まり驚かせる。中間でようやく「ロマンツェ」に相応しい音楽になる。

 

第2,4曲はどれも1分ちょっとの小曲だが、第4曲「フゲッタ」の密やかに弾かれる謎めいた表情は短いながらも印象に残る―。