*当記事は2021年2月13日に投稿した記事の再編集版となります―。

 

 

 

2月6日の僕の誕生日プレゼントとして届いたアルバム(実は届くのに結構待った)。シューマニアーナのハインツ・ホリガーが自作を中心にして、シューマン晩年の姿と謎に音楽的アプローチで迫る「心の旅」の軌跡。クララ・シューマンとホリガーの自作品が収録されているが、中心となっているのは紛れもなくここにはいない1人の人物である―。ホリガー70歳記念として2009年にリリースされた。ライナーノーツはスイスの作家で音楽研究家でもあるローマン・ブロートベックに依っているが、彼はホリガーの多くのアルバムで、ライナーノーツを執筆している。

 

 

 

 

 

 

1曲目は「クララ・シューマン/ヴァイオリンとピアノのための3つのロマンスOp.22」。1853年7月に作曲され、ヨアヒムに献呈されている―「1853年」は1つのキーワードだ―。このアルバムではチェロ&ピアノで演奏されている。ヨーゼフ・ヨアヒムがシューマン夫妻を訪ねたのは1853年5月のこと―ヨアヒムの演奏に大変感銘を受けたロベルトはヴァイオリン作品に励むことになる。クララも創作意欲が刺激されたのであろう、7月に作曲されたのがこの作品だ。

 

クララ・ジュミ・カンの演奏。クララによるクララの演奏にクラクラする。
 

 

「変ニ長調-ト短調-変ロ長調」の3曲から成るが、ロベルト作品とのシンクロ感がハンパない。全編優しさが感じられる作品であるが、やはり短調になる2曲目が印象的だ―このアルバムであえてチェロ&ピアノで演奏されているのは、次の曲との関連からだろう。そしてロベルトではなくクララ作品、という選択は、実に巧妙なプログラムである―。シューマン家の中で生じた「ヴァイオリン・フィーバー」によって生み出された作品の中に、今では遺作扱いになっている「ヴァイオリン協奏曲ニ短調」があるが、それが完成した1853年11月1日は、20歳の若きヨハネス・ブラームスがヨアヒムの紹介状を持ってシューマン宅を訪れたその日であった。

 

ドキュメンタリー番組より。2分辺りから「出会い」が示されている。そして

その後の悲劇も―。俳優たちの演技が的確で、リアルに近い気がする。

ピアノの音も、当時のものを再現している。

 

 

 

 

2曲目はハインツ・ホリガー/チェロとピアノのための「ロマンセンドレス」(2003)。ルツェルン音楽祭から委嘱された作品だ。曲のタイトルはフランス語の「ロマンス」(romance)と「サンドル」(cendres)の組み合わせで「灰のロマンス」という意味。実はこのタイトルの由来となった出来事がある。

 

シューマンが1853年に作曲したといわれているチェロとピアノのための「5つのロマンス」が「作曲家の尊厳を損ねる」という理由で、1893年に未出版のその楽譜をクララが焼却してしまう。この曲の存在は、ヨアヒムへの手紙のみで知られていた。ヨアヒムはこの新作のロマンスを絶賛、特にイ長調の終曲の荘厳さを褒め称えたという。その作品をクララは処分してしまったのだ―まさに「灰と化したロマンス」というわけだが、これには二重の意味がある。その曲は最晩年のシューマンがクララとブラームスの親密な関係に触発されて作曲した可能性があるというのだ。音名象徴や暗号に長けたシューマンのこと、作品に何かしら忍ばせているかもしれない、とでも考えたのであろうか。しかも焼却の事実は歴史的にこれまで知られていなかったはずなのに、ブラームスはどうやら知っていたらしいことが、1971年に出版されたリヒャルト・ホイベルガーによる「ブラームスの回顧録」で初めて明かされることとなった。にわかに信じがたい話だが、それが事実だとしたら、曲に秘められた内容に気づいたブラームスがクララに楽譜の処分を促したのではないだろうか、とあらぬ想像をしてしまう―因みに、1893年にブラームスは自身の最後のピアノ作品である「4つのピアノ小品Op.119」を作曲したが、その第1曲「間奏曲ロ短調」について、クララはこの曲のことを「灰色の真珠」と呼んでいたそうだ―。その話に衝撃を受けたホリガーは、無残にも「灰」となってしまった楽譜と、シューマンの(そして自分の)悲しみと絶望、怒りを想って作曲に取り組んだようだ。自身の「ロマンセンドレス」について「心から大切に思っている作品」とホリガーは語る―彼のシューマンへの深い愛を感じる―。「ロマンセンドレス」はクララと(破棄を黙認した)ブラームスへの抗議の作品でもあるのだ。

 

 

非常にショックでした。「ロマンセンドレス」を書く前の15年ほどは、この史実が私を捉えて離しませんでした。どうしても、曲に書かなくてはならない。自分の中に、その気持ちが膨らんでいきました。音楽はそもそも、言葉を超える何か、言葉の背後にある何か、あるいは言葉と言葉の間にある何かを語ることが出来ます。その魅力に惹かれて様々な姿で音楽に携わる中で、音楽は私の「言葉」になってきました。悲しみ、絶望、そして怒り。私の思いのすべてを、音楽が語ります。この作品は、私の心情そのものなのです。

 

 

「全ての音がリタルダンドのように、憂鬱が吸い込まれるかのように」―。

 

 

 

曲は「コンダクト」(「葬列」)に挟まれた4つの楽章、計6つの部分から成る。輸入盤ゆえ、正確な意味合いではないかも知れないが―この度の再編集版では翻訳が可能となり、ライナーノーツから得られた貴重な情報を反映させた―、それぞれの楽章にはタイトルが付されていて、「葬送行進曲」「夜」「廃墟」「死をもたらす天使」「影」といったイメージの言葉が使われているようだ。

 
作品の印象は「不穏」の一言に尽きる―冒頭の「コンダクトⅠ」(CS-RS)では「クララ・シューマン」&「ロベルト・シューマン」のイニシャルが音化されて含まれているそうだ。同様に最後の曲「コンダクトⅡ」(der bieiche engel der zukunft)ではシューマンが息を引き取った場所である「エンデニヒ」のイニシャルが音化されている―ブラームスの存在は「変ロ長調」(B dur)で暗示される―。あたかも墓石のような「葬送行進曲」に挟まれた4つの楽章から感じられるのは、前述のホリガーの言葉そのものである。第1曲にはシューマンの青春時代を表現した「Aurora」という表記があるが、同時に「Nachts」(夜)ともあり、淡く繊細な音響が不吉なものに取って代わられる―後のタイトルに現れる「Engel」(天使)のコーラスを聞いたのは「夜」であったことと結び付けられている(これが朝には悪魔に変わるのだが)―。第2曲では「RS」のイニシャルとともに挟まれたかたちで「asche」(灰)がタイトルに示され、クララの一連の行動が暗示される。続くタイトル「Flugelschlage」は「折れた翼」の暗示であり、シューマンの心の病と結び付けられているが、同時に「ハンマーフリューゲル」とも関連され、実際の演奏ではピアノの内部奏法が聞かれる。弦をはじいたり、撫でたり、ピアノのボディを叩いたり、とジョン・ケージ並みの前衛的な特殊奏法が駆使されているので、聴感上は楽しめるかもしれないが、陰鬱な雰囲気が薄れることはない。全体が陰惨さですっぽりと包み込まれているような音楽である。前曲のクララの「穏やかで愛に満ちた」ロマンスとのギャップが衝撃的であり、まさにそれが選曲の狙いであったことがわかる。ライナーノーツでは、この作品が「クララがロベルトの譜面を焼き払い、それを受け入れたブラームスに対する復讐の歌」であると同時に「入り組んだ三角関係の、遅ればせながらの和解」と指摘されているが、あからさまに示されているわけではない―僕には「和解」の響きが感じられなかった。ブラームスのドッペル・コンチェルトのようにはいかなそうである。

 

なお、両方の「ロマンス」のピアノを担当したのはデーネシュ・ヴァールヨン。この録音(2008年)ののち、彼はホリガーによる「シューマン/管弦楽曲全集」のプロジェクトに招かれ、ピアノ協奏曲のソリストを務めている。

 

 

 

ホリガーによる「ロマンセンドレス」のワークショップと実際の演奏を―。

 

 

 

 

3曲目はホリガー/「暁の歌」(1987)(ロベルト・シューマンの曲とヘルダーリンの詩に基づく、オーケストラと合唱とテープのための)。

 

1853年10月―シューマンはピアノによる「暁の歌Op.133」を作曲する。この精妙としか言いようのない音楽は女流詩人ベッティーナ・フォン・アルニム(1785-1859)に献呈される。この5か月後にシューマンはライン川に飛び込み、船員たちに助けられて一命を取り留める。その後まもなくしてエンデニヒにあるゲイムラート・リヒャルツ博士の療養所に収容されることになる―シューマン自らが望んだことであるという。

 

アナトール・ウゴルスキによる演奏。情感豊かだが、痛々しくもある。

 


この作品をベースにホリガーは、フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843)の何篇かの詩をジョイントさせる。実に素晴らしい審美眼である―シューマンとヘルダーリンとの共通性は驚くほど容易に見いだせるからだ。2人とも精神を病み、生涯の最期は狂気とともにあった(1人は療養所で、1人は半円形に突き出た塔の中で)。因みにフランスの作家、精神分析医であるミシェル・シュネデール(1944-)は「シューマン 黄昏のアリア」(1989/1993)の中で、やはりこの両者に触れてその親和性に注目している。ホリガーはさらに、ベッティーナやヨアヒムの手紙、リヒャルツ博士によるシューマンの検死報告書をヘルダーリンのそれと並行してナレーションを依頼し(シューマン役には俳優ブルーノ・ガンツを起用)、ホリガー自身が調子を狂ったピアノで弾く「暁の歌」とともにテープに収録、オーケストラとコーラス(SWRシュトゥットガルト放送交響楽団&SWRヴォーカルアンサンブル・シュトゥットガルト)にミキシングさせ、美しくも悲痛な音楽を展開してゆく(指揮はホリガー自身による)。オーケストレーションの中には「天使の主題による変奏曲」(自殺未遂の直前、清書した楽譜がメモと共に置かれていたという)のテーマや、「マンフレッド」の音楽の一部などが引用されているようだが、聴感上すくには確認できなかった。聴き込むと確認できるかもしれない。

 

 

 

 

ホリガー/「スカルダネッリ・ツィクルス」(1975-91)の紹介動画―。

ヘルダーリンの詩に基づく、作曲家ホリガーの代表作である。

 

 

 

全体は4楽章から成り、各楽章でヘルダーリンの詩が歌われている(「春」「エリジウムに」「ディオティーマに」「沈みゆけ 美しき陽よ…」)。

 
やはり「暁の歌」第1曲のテーマがコーラスによって美しく歌われる冒頭部分が最も印象的だ。僕がシューマンの全ピアノ曲の中でもかなり好きな部類に入る作品だけに、ついつい耳をそばだててしまう。クライマックスを迎えた時に鳴らされるパーカッションが切ない。中間楽章ではコーラスが繊細に語るように歌い、ナレーションが流暢に語るバックで高周波が耳を貫いたりする。まるでシューマンを悩ませていた耳鳴りや幻聴を追体験する思いである―コーラスも天使と悪魔の両面を思わせるー。オケがうねるように奏でるが、重層的に音が配置されている感じだ。第4楽章では聞き馴染みのあるフレーズ(おそらく「天使の主題による変奏曲」のテーマ)がコーラスで歌われる。他にも気づかないだけで多くの引用が含まれているような気がする。最晩年のシューマンがエンデニヒで書き記していたというバッハのコラールも引用され、胸が詰まされる。
 
最期の時が来てこの世との別れをしなければならなくなるとき、主イエス・キリストよ、私を救い出し、最後の苦しみの中から私を助けてください。
 
主よ、私の魂は最期を迎えます!私の魂をあなたの御手のうちに委ねます。あなたが安全に見守ってくださいますように。
 
 

バッハ/マルコ受難曲BWV247の1曲だったというコラール。BWV430。

 
 
 
引用されたテキストは、ヨアヒムへのシューマンからヨアヒムへの手紙にあったワンフレーズで閉じられるー。
 
...このあたりで止めようと思います。暗闇が近づいてきます。
(1854年2月6日)
 
 
不気味な静けさを思わせるテキストとは違い、コーダはダイナミックに終わるが、相変わらず心は晴れない。シューマンの最期に立ち会ったような気持ちになるからだ(実際には息を引き取ったときはロベルト1人だったという)―シューマニアーナにとってはかなり悩ましい作品と言えるだろう。
 

その引用されているシューマン/暁の歌~第1曲。このジーン・マーティン盤

はこの曲の世界初録音盤と聞く。1972年録音。

 

シューマン/「主題と変奏」変ホ長調。僕は「天使の主題」というタイトルを

好む。他には「精霊」「幽霊」と様々である(「Geister」)

 

シューマン/劇音楽「マンフレッド」~終幕。レクイエムが歌われる―。

 

 

 

 
最愛の妻クララが聞いたロベルトの最後の言葉は「おまえ、…ぼくは知っているよ…」だったそうだ。
 
…これは―。
 
 

 

ブログの〆はホリガー&ブレンデルによるシューマン/「夕べの歌」

ドイツ圏では「トロイメライ」よりも有名だそうである―。