イェルク・デームスによるシューマンの全集第10弾。ピアノ曲の中でも重要作の1つ「フモレスケ」「ウィーンの謝肉祭の道化」から珍しい「追加曲」に至るまで、今回も聞き応えがある1枚となっている―。

 

 

 

 

【CD 10】


1. フモレスケ変ロ長調Op.20
2. ウィーンの謝肉祭の道化Op.26
3. トッカータハ長調Op.7
4. 「ごく小さい子供のために」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
5. 「お人形の子守歌」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
6. 「荒々しい騎手」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
7. ウェーバーの「酒飲みの歌」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
8. 「ゴンドラにて」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
9. 小品 ハ長調(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
10. 小品 ヘ長調(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
11.「断章」 変ホ長調(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 30より)
12.「隠れているかっこう」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO 16より)
 

 

 

 

 

1曲目の「フモレスケ変ロ長調Op.20」はシューマンの内面的な要素が色濃く表出しているという点で、彼の全ピアノ曲の中でも最重要な作品―と個人的に感じている曲である。


私はあなたの夢を見て、これまで経験したことのないほどの愛をもってあなたのことを想い、作曲しつつは文章を書き、笑いながら泣く毎日です」との、クララへの手紙にあるような感情がこの作品に封じ込められているようだ―。


「笑いながら泣く」…これが最大のポイントであり、一見相反する感情が同時に現出するような状態を、シューマンは「フモール」と呼ぶ。英語ではもちろん「ユーモア」のことだが、ドイツ語の「フモール」を使うとなると、ただ面白おかしいに留まらず、もっと複合的で交錯する心理状態が想定される。シューマンも「ドイツ人特有」のものであるとしているが、具体的なことは僕にはわかりかねる。彼が若いころから心酔していたジャン・パウルの影響があるというが、どのように関わるのか想像するほかない―作品にも直接的な言及はみられないのだ。ただ、タイトルの「フモレスケ」(ドイツ語)=「ユーモレスク」(フランス語)と同義語であり、こちらのほうがはるかに馴染みやすいのは確かである。

 

ドヴォルザーク/「8つのユーモレスク」Op.101。原曲がピアノ

曲とは初めて知った。フィルクスニーによる「地元」の演奏で―。

 

最も有名な第7曲変ト長調。オケをバックにパールマンの

ヴァイオリンとヨーヨー・マのチェロが絡む豪華な演奏で―。

 

 

 

全体で20分少々の作品ながら多くの部分から成っており、解説者によってその区分が異なる(全5部から構成されるという意見や全7部からなるという意見もある。このデームス盤は8トラックに分けられている)。参考までにウィキペディアドイツ語版に載せられている区分は以下の通り―。

 

  1. "Einfach" (B-Dur, 4/4 Takt, M. M. Viertelnote = 80)
    – "Sehr rasch und leicht" (B-Dur, 2/4 Takt, M. M. Viertelnote = 138)
    – "Noch rascher" (g-Moll)
    – "Erstes Tempo" Wie im Anfang (B-Dur, 4/4 Takt)
  2. "Hastig" (g-Moll, 2/4 Takt, M. M. Viertelnote = 126)
    – "Nach und nach immer lebhafter und stärker" (d-Moll)
    – "Wie vorher" Adagio
  3. "Einfach und zart" (g-Moll, 4/4 Takt, M. M. Viertelnote = 100)
    – "Intermezzo" (B-Dur, 2/4 Takt, M. M. Viertelnote = 100)
  4. "Innig" (B-Dur, 4/4 Takt, M. M. Viertelnote = 116)
    – "Schneller" (Tempo I)
  5. "Sehr lebhaft" (g-Moll/B-Dur, 2/4 Takt, M. M. Halbe Note = 76)
    – "Immer lebhafter" Stretto
  6. "Mit einigem Pomp" (c-Moll, 4/4 Takt, M. M. Viertelnote = 92)
  7. "Zum Beschluss" (B-Dur, 4/4 Takt, M. M. Viertelnote = 112) Allegro

 

これらが気分の変化を表わすように奏されてゆく―ピアニストとしてもその変化に対応してゆかなくてはならないため、どのようなモチベーションで臨むのかが大きな課題となりそうな作品である―しかも前述のように相反する感情を同時に表現するなど、常人には不可能である。

そんなわけで多くの場合、中立的な表現を保つような演奏が聴かれるが、本当に一握りのピアニストだけが、作品の真の姿に肉薄している(僕が聞いた限り、このデームス盤もその域に達していない。今のところルプーのライヴ演奏のみである)。

 

主調は「変ロ長調」だが、上記の区分を見てお分かりのように「ト短調」の部分が目立つ。心情がストレートに表現されている「Innig」(内面的に)の指示も見られ、非常に味わい深い曲想を聞くことができるのは幸せなことだ。第3部「Einfach und zart」(単純に、繊細に)でのしっとりとした「歌」も聞きものである。

この作品の最大の特徴―と僕が考えているのは、第2部「Hastig」に現れる「Inner Stimme」(内部の声)である―「現れる」といっても、実際はスコアの中段に書かれているのみで演奏されることはない(その点では「謝肉祭」Op.9に登場する「スフィンクス」と似ているかもしれないが、こちらはたまに演奏されるケースもある)。それは、演奏者(当時はクララ)の、またスコアを見てその存在を知っている人たちの心の中で静かに歌われる(決して音化されることのない)メロディなのである―。

これほどシューマンらしさを感じさせる内容はあるまい。

 

 

 

驚くべきことにこの曲には3つのコーダが存在する(第5~7部がそれに該当する)。急速にテンポを上げ、花火が打ち上げられたかのような華やかさで幕を閉じる、と思いきや、行進曲風の第6部「Mit einigem Pomp」(いくらか華麗さをもって)が始まる―しかも唯一の「ハ短調」―。そして聴き手が少し戸惑っているうちに回想的な第7部「Zum Beschluss」(終わりに)で真のコーダを迎えるのである。

 

全体としてとりとめのない印象ではあるが、シューマンらしさを最も感じられる1曲だと思う(「クライスレリアーナ」もそうだが、「フモレスケ」に比べればダークな面に重きが置かれ過ぎている気がする)―。

 

「フモレスケ」~3つのコーダをルプー盤で。

 

ソコロフによる2011年のライヴ音源から―。

 

 

 

 

 

2曲目は「ウィーンの謝肉祭の道化(Faschingsschwank aus Wien)Op.26」。「フモレスケ」と同時期に作曲されたこの曲はタイトル通り、ウィーン滞在中に観た「謝肉祭」から着想を得たと言われている。この作品を「ロマンティックなショーピース」と呼んでいたというシューマン、当初は「ロマンティックな大ソナタ」(eine große romantische Sonate)というタイトルを考案していたらしい。現タイトルの副題が「幻想的絵画」(Phantasiebilder)とあることは、この作品が内包している描写性を暗示している。イギリスの音楽学者エリック・サムスは現タイトル「Faschingsschwank」の中に(「謝肉祭Op.9」でお馴染みの)「ASCH」「SCH」の音型がそのまま用いられていることに注目、それがメロディ構成に影響を及ぼしていることや、別の識者は「ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第12番変イ長調Op.26」をモデルとしたという見解を示している(偶然かどちらも作品番号が同じ)。

 

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第12番。ミケランジェリの演奏で―。

「変奏曲」「スケルツォ」「葬送行進曲」「ロンド」から成るソナタ形式

の楽章が1つもない特殊なソナタであり、そこにシューマンが注目した

のかもしれない―。

 

 

全体は5つの楽章からなり、最後の楽章だけウィーンではなくライプツィヒで仕上げられたという。

 

第1楽章「アレグロ」(Sehr Lebhaft)は変ロ長調。5つのエピソードによるロンド形式(冒頭楽章では珍しい)。その第4エピソードにはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が引用されていることで知られているかもしれない。シューマンは他の楽曲でも引用しており、チャイコフスキー他の作曲家もよく用いているそうだ(序曲「1812年」とか)。

 

「紳士は金髪がお好き」(1953)より。マリリン・モンローが歌う「ダイヤモンド

は少女の大親友」の後半で「ラ・マルセイエーズ」のフレーズが一瞬現れる。

 

ビートルズの名曲「愛こそはすべて」。イントロには「あの」引用が―。

 

シューベルト/12の「高雅なワルツ」D969。この第7曲ホ長調が

第1エピソードに似ているという指摘もある。

 

 

第2楽章は「ロマンツェ」(Ziemlich Langsam)。ここでト短調に転じ、ひっそりと哀愁が歌われる。25小節しかない曲だが、宝石のように貴重だ。

 

 

第3楽章は「スケルツィーノ」。変ロ長調に戻る。タイトルの印象通りガツガツしたスケルツォではなく、優美だがダンシングな楽章で、「謝肉祭」らしくもある。

 

 

第4楽章「間奏曲」は打って変わって変ホ短調―「黒ずんだ水の調性」―となり、感情の大きな激流の渦中に巻き込まれるような悲痛な音楽となる。「Mit Größter Energie」の指示通り、巨大な「負」のエネルギーを感じざるを得ないのだ―。

 

それからウィーンの謝肉祭の間奏曲、あの震えだ。音楽家はそこで死んでしまいたいとは強く思わなかっただろうか。

 

 

第5楽章は「フィナーレ」(Höchst Lebhaft)。変ロ長調。ここで初めてソナタ形式が用いられる。まさに花火が連発するようなトッカータ風の華やかさは「祭り」にふさわしい。

 

ポゴレリチによる2017年のライヴ音源から。特有の深い解釈が聞ける。

 

 

 

 

 

3曲目は「トッカータハ長調Op.7」。それまでに書いたピアノ曲の中で最も難しい―とシューマン本人に言わしめた若き日の作品である(その頃はまだ指の故障は深刻なものとはなっていなかった)。その原型はクララの父フリードリヒ・ヴィークにピアノの手ほどきを受けていた時期に遡る―この頃はクラ―マーの練習曲やフンメルのソナタが課題として与えられると同時に(ヴィークの教育方針の一環として)即興演奏にも取り組んでいた―。1830年に一旦仕上げられた「エクササイズ」(Exercice)あるいは(Exercice fantastique)は「トッカータ」の初稿となる(自筆楽譜は2009年に出版)。大幅な改訂の後に1833年に最終稿「トッカータ」となるまでの間、タイトルも「練習曲」や「重音による幻想的練習曲」など変遷を経たのだが、283小節にまで拡大したこの作品がなぜ「トッカータ」と命名されたのかは不明だ―バロックに見られる即興性は影をひそめ、ソナタ=アレグロ形式としてしっかり書かれているからだ。

 

「トッカータ」の初稿「Exercice」(1830)。全集録音を残している

フローリアン・ウーリヒによる演奏で―。

 

 

「トッカータ」は1834年の出版に際し、シューマンの親友で作曲家兼ピアニストであったルートヴィヒ・シュンケに捧げられる。驚いたことに彼は練習することなく数回聞いただけで、この難曲を演奏することができたといわれている。クララ・ヴィークもまたこの作品をコンサートで頻繁に取り上げていた1人であり、父親の反対にも関わらず巧妙にプログラムに紛れ込ませ、まるでロベルトに対する愛の証のように演奏していたようだ。当時はシュンケとクララしか演奏不可能とさえ言われていた、とも伝えられる。ブラームスもピアニストとしてこの曲をレパートリーに加えており、スカルラッティなどと共に演奏したという―ちなみに1867年ウィーンで行われたそのコンサートでは、シューマン/幻想曲、バッハのトッカータ、そしてベートーヴェンのソナタ第30番を演奏し、特に2つのトッカータは好評を博したという。聞けるものなら聞いてみたいものだ。フランツ・リストも自身のマスタークラスでは「トッカータ」を課題曲としてレッスンしていたという記録もあり、こうして現代で至るまでレパートリーとして定着していった様子を垣間見ることが出来る。

 

バッハ(レヴィン編曲)/トッカータヘ長調BWV.540。ブラームス

が弾いたのはこの曲だったのだろうか―。想像するのは楽しい。

 

 

ハ長調で書かれ、跳躍的な短い序奏ののち、神経症的とも言える音楽が容赦なく進行する(後の交響曲第2番のスケルツォを連想する)―途中イ短調に転調したりと変化が加えられる(この辺りは一瞬幻想的な雰囲気が漂う)ものの、調子は変わることなく、いつ果てるともなく走り続ける印象だ(幸い、デームス盤はゆとりのあるテンポで無理なく進めている)。それでもコーダは落ち着きを取り戻し、静かに終えるのがせめてもの救いといえるのかもしれない―。

 

シノーポリのVPOデビュー盤。このスケルツォは常軌を逸した熱気を

孕み、聴く者の心にじわじわと侵食してくる―。

 

多くの者がデッドヒートを繰り返す中、フランソワ盤は揺らめきながら

独自の境地を聞かせる。まさに唯我独尊的な演奏―。

 

 

 

 

 

最後は「子供のためのアルバムOp.68」の追加曲を9曲収録したものである。以前この「ユーゲントアルバム」についてはブログに記したことがある。

 

 

 

全4曲の「WoO.16」と全13曲の「WoO.30」は第2版の出版後に追加曲として作曲されたものであり、このデームス盤では「WoO.30」から8曲 (順番通りに)、最後の1曲はWoO.16の1曲目を収録している。ハイドンを思わせる「ごく小さい子供のために」から、まさに子供向けのような平易だが、ほのぼのとした音楽が奏でられるが、曲が進むにつれ(難易度が上がるのか)まるでメンデルスゾーンの無言歌をかくやと思わせるような音楽が聞こえてきて少し驚く。デームスの演奏はあたたかく、シンプルなスコアから最良の瞬間を引き出している。

 

当盤の音源より。9曲をまとめて聞くことが出来る。

 

 

ところで4曲目に『ウェーバーの「酒飲みの歌」』というタイトルがあるが、実は「Ein kleiner Lehrgang durch die Musikgeschichte」(音楽史の短いコース)というアンソロジーの中の1曲のようだ。そこにはバッハやグルック、モーツァルトなど過去の作曲家の有名なテーマをピアノ曲に扮した内容となっていて大変興味深い。デームス盤には1曲しか収められていないが、他のピアニストの演奏で全曲盤がYouTubeにUPされていたので参考までに紹介しておこう―。

(あえて引用された作曲家の名前は伏せておく。聴けばきっとわかるはず)

 

マウリツィオ・バリーニによる演奏(ポリーニと勘違いした人がいるらしい)。

ちなみに最後の曲はシューベルトのレントラーに基づく。