そろそろ機種変更しようと思っていましたが、auショップでいろいろ見ていて iPhone が気になり、SHARPのスマホから乗り換えました。
iPhone ってスマホと何が違うかと聞くと、機種自体も中身のOSもAppleで作られているスマホを iPhone と言うのだそうです。
私はスマホのままでもガラケーに戻しても良いかなと思っていましたが、手話辞典アプリで iPhone でしか使えないものを使ってみたかったので iPhone に決めました。
このブログ書く限りではスマホと操作性の違いはあまり感じません。
初期設定でデスクトップに表示されるアプリは少なくてシンプル。使わないアプリの更新で時間やデータ量を増やすことも軽減されそうです。
しかし何よりの決め手は、ちょうど iPad 本体をセットにして無料となるキャンペーン期間中だったので機種変更に踏み切りました。
毎週囲碁サークルGoENでお世話になっている美幌町マナビティーセンターで、次の例会日に夏休み囲碁体験会を開催することにしました。
本来は5月にサークルを立ち上げた段階で網走郡3町の子供たちへの普及活動も始めたかったのですが、フリーペーパーに広告を出しても子供を連れてくる大人がおらず夏休みに合わせて体験会を計画したものです。
時間があれば各小中学校、高校にも手書きのポスターを貼ってもらおうと思っていましたが、仕事の合間に教育委員会へ企画を出しに行くことなど調整が大変だと思われるので、今回の企画はマナビティーセンター配置の教育委員会職員から開催の許可をもらうだけにしました。
趣味の活動ですが、こうなってくると仕事より大変です。
19日の話ですが釧路の隣町、白糠町西庶路神社のお祭りで神輿を担いできました。
今年はいろいろ予定があり、前回参加したのは冬に網走のイベントで担いで以来だったので約半年ぶり。
津別からは阿寒湖畔を通過して2~3時間かかる白糠ですが、北海道のアイヌ時代に大きな繋がりがあった場所なのです。
北海道に国郡が制定された時、現在は十勝管内である足寄郡と、同じくオホーツク管内である網尻郡(美幌・津別)は釧路国に属していました。
それは当時の足寄郡と網尻郡に住んでいたアイヌが白糠を拠点に和人と交易をしていたためで、つまりは釧路国のアイヌが現在の釧路管内のみならず道東の山間部に広く影響力を持っていたことの証です。
そんな白糠と津別ですが、偶然にも国鉄末期に白糠線と北見相生線が廃止されたのも同じ時期でした。
津別にはまだ当時から町の中心的な企業である丸玉産業が残り木材加工業の町として大きく変わることは無かったのですが、白糠では炭坑の閉山により集落の形態が変わってしまったのが西庶路です。
その炭坑の中にかつてあったお宮を地上に移したのが西庶路神社。
半年ぶりの神輿担ぎは各所神輿会の方々の顔を久しぶりに見てきたことと、明治初期からの津別と白糠の繋がりを確認してきたイベントでした。
15時まで囲碁サークルにいましたが、一緒にいた方がそのままパークゴルフの練習に行くと言うので道具を買ってついて行きました。
競技としてはゴルフの軽量版とでも言うのか、幼稚園の園庭か小学校のグラウンドくらいのスペースに9ホールのコースが2面ありました。
ロングホールでも90m程で、ホールや球はゴルフより大きめ。スティックは1本しか使わないあたりがゴルフと違うのですが、他のルールやマナーはゴルフとほとんど変わらないそうです。
それで私はゴルフも打ちっぱなし以外やったことが無いのですが、ゲートボールなら1年くらいやっているので、そのためか初体験にしては上手いと言っていただきました。
まぁそれほど難しい競技でもなく、子供も高齢者も一緒に楽しめる競技だと思いました。
今年のつべつ夏まつりはこの土日に行われました。
昨年同様に私は山鳴太鼓メンバーとして、前夜祭の千人踊りと本祭のステージで和太鼓を叩きました。
前夜祭の千人踊りは昨年より若干人出が少ない感じでしたが、本祭当日は津別町の姉妹都市・船橋市からふなっしーがゲストで参加するとあって、何日も前から町役場や観光協会、警察などがピリピリムード。
1万人は集まるだろうと情報があり、例年の公園周辺駐車場以外に市街地の町有地や民間の空き地という空き地全てが臨時駐車場とされるくらいの勢いでした。



本祭当日となり、中学生の吹奏楽や小学生のバトントワリング発表などのあと我々山鳴太鼓が演奏。カラオケステージを挟んで船橋市の伝統芸能やジャズダンス団体の発表、そしてプログラム最後がふなっしーステージでした。
近隣の訓子府町でもアンガールズやその他ゲストを呼んだふるさとまつりが同日開催だったこともあってか、結果的につべつ夏まつりは恐れていたほどの混雑はありませんでした。
それにしても、道外並に気温があがるなかステージで大暴れしてくれたふなっしーには大変感謝しています。
余談ですが、町役場や観光協会から事前の見込みで大混雑やむ無しと、北見工業大学学生さんボランティア大勢に町内各所で案内役についていただきました。
確かに例年以上の来場者はありましたが、見込みほど混雑しなかったため公園から1kmを超える駐車場はあまり使用されなかった気がします。
公民館の角で案内をしていた北見工業大学軽音楽部ドラムスの小牧さん、駐車場としては使われなかったであろう公民館ですが交通案内は大変だったでしょう。
函館市出身とのことで津別の土地勘も無いなか本当にありがとうと言いたいことと、これから軽音楽部でのイベントや社会人になってからを考えても必用な経験になったと思います。
お互いこれからも頑張りましょう!

このブログで伝えているとおり、国鉄北見相生線廃線30年写真展を開こうと、仕事の合間を縫って津別町内外で打ち合わせをしています。
昨日は夜勤明けでしたが、事業の企画書提出期限がせまり、協力していただくふるさと銀河線沿線応援ネットワークへのプレゼンのため会議に顔を出しました。
役員の方々なのか結構緊張感があり、冗談を挟むどころか出されたお茶に口もつけられない勢いでプレゼン終了。協力しましょうと言われ結果良しで帰りました。
企画書をパソコンで打ち始めたのは少し睡眠時間を取った昨夜遅くから。今日は朝から昼過ぎまで私が事務局を務める老人クラブの日帰り旅行で網走に行く用事があったため、徹夜でなんとか打ち終わりバスで果物狩りに行って来ました。
そして先ほど昼過ぎ津別に到着すると、まちづくりの会に参加していただいた方々に提出前の企画書写しを配り挨拶して来ました。写真を提供してくださる方との打ち合わせも終わりいよいよ町役場へ。
担当部署の住民企画課に提出すると、応対してくれた方の話しでは町の助成対象になる可能性が高いとのこと。承認された時点からお世話になる他の部署の方々にも挨拶して、なんとか家に帰り布団に寝転がっています。
それにしても、昨日から顔を合わせてきた皆さんひとりひとりが忙しそうな方たちでした。
いつもお世話になっている銀河線ネットの長南さん、津別新報の相澤さん、あんまり面識がないのに激しく親切な読売新聞の広瀬さん、他の方々も皆さん本当にお騒がせしています。
津別町にある相生鉄道公園にて、旧国鉄北見相生駅舎と、当時の鉄道車両を保存整備していく活動を始めたいと思います。
津別町のまちづくり事業への参加ということで、今月中に企画書を提出しなくてはいけないのですが、町民5人以上で団体登録というのが想定外のハードルでした。
まず廃線30年写真展から始めるのですが、写真家の方は写真展以外関われないと会員になることは拒否され、逆に活動の軸となる団体は隣町から来てくれる方々なので町民ではありません。
そこでまず、以前相生鉄道公園の整備を私的にされていた故人の奥さんを名誉会員とし、次に写真の現像をお願いするカメラ屋さん、広報していただく読売新聞さん・北海道新聞さん・津別新報さんと、代表が私でとりあえず会員5人はクリアしました。
あとは月末までに企画書提出というハードルを乗り越えれば町の審査が受けられる見通しです。
承認されれば、お盆の真っ只中にJR石北本線のイベント列車運行にあわせて写真展を開催する予定です。
YOSAKOIソーラン祭りファイナルステージ2部は19時20分頃から始まりました。
ミュージカル・CATS出演メンバーのミニステージが終わったあと北海道知事特別賞の発表と演舞に続きます。
先に紹介されたのが日高三石のチーム、そして女満別稲城の龍舞隊が受賞。地域文化への貢献を長年にわたり続けてきたことなどが受賞につながったそうです。
そして、今年のYOSAKOIソーラン祭り龍舞隊最後の演舞が会場にいた人たちとTV番組を見ていた視聴者の注目が集まるなか始まりました!
実はこのステージが始まる前から一番心配していたことが現実になりました。今年の演舞では扇を使っていますが、網の袋に閉じた扇を収めるのが結構難しく[扇を網の袋に収められない]ミスが注目度Maxのこのタイミングで起きてしまったのです。
このブログを読んでいて現地やTV番組で見ていた人もいるかと思いますが、正面から見た左端で途中から扇を床に置いていたのが他でもない私です。
さすがに落ち込みましたが引きずってもいられないので[扇を持っているフリ]で最後まで踊りきりました。
全てが終わり、ホテルに戻って着替えを済ませ、トイレの中で代表に言われました。
「これが最後じゃないからね」
そう今年のYOSAKOIソーラン祭りは終わりましたが、オホーツク管内の支部大会や、各地で地域イベントなどまだまだ踊る機会があります。
週2回、毎週月木曜日の練習のうち、4月から休んでいた和太鼓の練習が木曜日でかぶるため、仕事の都合がついても毎週月曜日しかヨサコイはできませんが、少しでもチームの戦力になれるよう頑張って行きたいと思っています。
今日は午前中にファイターズ通りのパレード、ガーデンパークのステージを、午後から大通北・南でパレードと当初予定されていた演舞を全て終了しました。
さきほど更新したとおりこのあともう1回大通公園でのステージを踊ってから、ホテルで着替えて北見までバス、自分の車に乗り換えて津別の我が家に着くのは真夜中になるでしょう。



今朝ファイターズ通りのパレード前に撮った1枚です。
左端が私、左から2番目が龍舞隊の代表、次はスタッフのジャンパー、右端は女性の演舞衣装です。
なんだか龍舞隊がナントカいう賞を獲得できるようで、19時半過ぎにナントカファイナルで演舞が入ったと連絡がありました。
いい加減もうバテバテですが、夜まで頑張りたいと思います。