第23代「顕宗天皇」傍丘磐坏丘南陵(けんぞうてんのう、かたおかのいわつきのおかのみなみのみささ) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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3月23日(月)

この日は人混みを避けて・・・早朝より奈良に


神宮 & 天皇陵巡りです音譜


右矢印橿原神宮

右矢印畝山陵墓管区事務所

右矢印神武天皇陵

右矢印カレーランチ


ここからさらに天皇陵を3か所回ります。

右矢印第7代 孝霊天皇陵



次は、香芝市に移動


山の中にあって登り入り口がなかなかわからない天皇陵がおおいですがここは国道168号線のすぐ横にありました。



整備された歩道の前が天皇陵。


拝所が良く見渡せます。







宮内庁の制令版




顕宗天皇、傍丘磐坏丘南陵


(けんぞうてんのう、かたおかのいわつきのおかのみなみのみささ)


陵形は、前方後円




顕宗天皇右矢印参考


(在位:顕宗天皇元年1月1日 - 同3年4月25日)








顕宗天皇 傍丘磐坏丘南陵


(けんぞうてんのう、かたおかのいわつきのおかのみなみのみささ)




顕宗天皇陵 御陵印音譜



顕宗天皇陵


住所 奈良県香芝市北今市



追伸:

天皇陵の事を調べていて判りましたが、


私の住んでいる三木市には史跡「志染の石室」があります。


仁賢天皇、顕宗天皇となった二王子の伝説が古くから伝わり、「日本書紀」や「播磨国風土記」にも記されています。


飛鳥時代、約1,600年前、第20代の安康天皇が亡くなったあと、皇位をめぐる争いが起こり、この争いから逃れた市辺押磐皇子(いちのべのおしわのみこ)の二人の王子、


億計(オケ)王子 (後の仁賢天皇)


弘計(ヲケ)王子 (後の顕宗天皇)


兄弟が幼少の頃隠れ住んだ石室と伝えられています。


私も一度行ったことが有りますが・・・、


ここの「窟屋の金水」がこの辺りでは有名で(藻が沸いて日に当たると光る)


天皇の伝説は頭残っていませんでした。