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シャオ2のブログ

最近は着物と舞台に夢中

どうやら沢山の方にブログ読んでいただいているようで、ありがとうございます。

あくまで初見の感想で今後変わる可能性大ですし、大千秋楽の後にはまた纏めるので、とりあえずそう見えた人もいたんだな~くらいで読んでいただければ、と思います。

さて、3番目はコゼット。

 

最初に観たのはいろはちゃん。

2019のキャストが発表になって初めて知った女優さんなんですけど、宣材の写真からして若くて可愛くて、本物の美少女じゃんと

そんで2月末だったか3月だったかのツイッターで高校卒業しましたって呟いてたのを見て、年齢的にもコゼットに近い子なんだなぁと。

等身大のコゼットが観られるかと期待大。もし、歌があんまり…でも、とにかく可愛いからいいよね!と大変失礼なことを思っておりました。

それが、蓋を開ければ、多少不安定なところはあるにしろ、歌は上手いし演技もそれなり。

レミゼと言う作品におけるコゼットは『愛』の象徴だと思ってるんですが、それにぴったりの上品な愛らしいコゼットで、私的にはとても満足。

2017で卒業していった清水さんが流れる水の妖精なら、いろはちゃんは軽やかな風の妖精のようで、2019レミゼにおける一推しコゼットになりました。

本当に可愛いよ、いろはちゃん。可愛いといえば現役アイドルの生田ちゃんがいるわけですが、生田ちゃんがいかにもアイドルらしい、ある意味あざとさのある可愛らしさなら、いろはちゃんは素直に育った10代の子しか持てない作為のない無邪気な可愛らしさ。

どちらも甲乙付けがたい感じですが、今しかない輝きという点で、今年はいろはちゃんかな~と。

いや、ホンマに可愛いで、いろはちゃん

 

2番目は小南さん。

2017の時はそんなに思わなかったんですが、タイタニックを観て、あれ、この人、もっと主体的で意思的な女の子の方があってるんじゃないかな、と思ったんですよね。

実際、今回のコゼットを見るに、一番気が強いというか自分の意思をしっかり持ってそうなコゼットでした。

三人のコゼットの中では歌の技術は一番かな。それに、演技プラン!

小南さんのコゼットはエポに気付いているんですよね。プリュメ街で屋敷が襲撃された後、一瞬、エポとコゼットは顔を合わすんですが、その時、他の二人はただマリウスをここに連れてきてくれて、何かから自分たちを助けてくれた女の子という認識しかない様子なんですが、小南さんだけは、首を傾げて、それからハッとした表情をする。私が観た回のエポは昆ちゃんだったんですが、昆ちゃんがあえてコゼットから視線を逸らして顔を見ないようにしているのとは対照的にマジマジとエポを見つめるんです。門を閉じる時も、見送った後も、マリウスが気になるのは勿論にしても、エポのことを気にかけている様子が見て取れる。

そも演技に、脱帽しました。

レミゼの場合、トリプルキャストでそれぞれ動きが違うのは事故の元ですから、どのキャストも基本的な動きは同じなんですが、些細な部分は勿論違います。

その些細な大筋とは関係ない部分の動きでこれだけ関係性に違いが現れるなんて!と驚嘆しました。

これ、他のエポだとどうなんだろう。めちゃくちゃ興味深いです。

幸い、名古屋でふうかエポと、大阪で屋比久エポと、それぞれ組み合わせが観られるので、とても楽しみです。

ただね……小南さんの時、マリウスが三浦くんだったんですよね~。

三浦くんって割と童顔なんですよ。小南さんは3コゼの中では一番大人っぽいコゼットだし、昆ちゃんもそう。

三浦マリが小南コゼに一目ぼれは納得するんですよ。ほら、青少年が年上の綺麗なお姉さんに初恋とか、よくあるじゃないですか。

けど、逆は……なんというか、美少年を取り合うお姉さん達って、下手するとアイタタタ…ってなりかねないわけで。

傷ついたマリウスをお姉さんなコゼットが支えるっていうのは納得ではありますが、一目ぼれするかどうかという点で、あんまり良くない組み合わせだなぁと思いました、まる。

 

最後が生田ちゃん。

2017での生田ちゃんの為に用意されたかのような咳払い演技は今年はなくなっていましたが、プリュメ街の屋敷から登場したシーンのクルクルと回る可愛らしさときたら!

やはり現役アイドル、侮れない可愛らしさですね~。

前回より安定して澄んで綺麗な声と小鳥のような可愛らしさは、愛され女子としてのコゼットの面目躍如ってとこでしょうか。

若干あざとさはあるにしろ、それが悪いほうに働かず、良いように見えるのは、彼女のアイドルとしてのスター性なんだろうな。

そうそう、あの日は隣が恐らく生田ちゃんファンだろう男の子だったんですが、穴が空くんじゃないかって感じで熱心に観ていて、微笑ましかったなぁ。

あと、マリウスが内藤くんだったんですが、クルクル回って恋をしたのって歌う生田コゼットと、コゼットに会えることで浮かれて、エポを空中に投げ出す勢いで抱き上げるようにしてクルクル回る内藤マリは、大変お花畑でよい組み合わせでした。

 

 

というわけで、今年もコゼットは大豊作だと思います。

個人的なイチオシはいろはコゼットなんですけど、生田ちゃんも可愛いし、小南さんの演技プランは大変興味深い。

とても楽しみです。

早く他の役も三人全員観たいなぁ。5月末の帝劇で初見なのは川口さんと海宝さん、じゅんさんなんですが、それでマリウスとジャベールは全員ですね。

テナルディエは斉藤さんは名古屋、マダムのほのかさん、エポの屋比久ちゃんは大阪までお預けなのが辛いところです。

早く観たいぞ!

 

さて、トリプルキャスト、全員見たのはあとはファンテーヌとコゼット。

今日はファンテーヌについて。

 

プレビューで観たのは二宮ファンテ。

2017でも思ってたんだけど、二宮ファンテは『若く美しく愛情深く、けれども愚かな』女っていう私のファンテーヌのイメージそのもののファンテ。

美人だけどあんまり深く物事を考えない、容姿以外はごく平凡な女の子が、うっかり男の甘言に乗ったばかりに転落していく様子をこれでもか、と見せてくれるファンテで、だから観ているほうはとても怖い。

彼女の気質があまりにも平凡すぎて、小奇麗な女の子なら誰でも陥る可能性のある地獄を見せてくれるから。

だって、イマドキの女の子って、大抵小奇麗じゃない?

そして、これは男の子も女の子もなんだけど、若い子は大抵無鉄砲だし、自分だけは大丈夫だって根拠のない自信がありますよね。

「若く勇気溢れ」ってファンテは歌うけど、その勇気は若さゆえの無鉄砲さと同義だと思わせられるのが二宮ファンテ。

あまり深く物事を考えないところから、つい人の神経を逆なでするような発言を繰り返して、結果、工場の仲間からそっぽを向かれたんだろうな。工場をクビになった後、目の前のお金につられて大事なものを手放し続けて、ついには娼婦に身を落とす羽目に陥ったのも、その思慮のなさが原因なんだろうな。そういう想像が容易にできてしまう。

原作ではファンテは美しい髪と歯の持ち主で、困窮して髪だけじゃなく歯も売ったっていう描写があるんだけど、二宮ファンテなら納得。

自分が生きていくためにも、コゼットのためにもお金が必要で、でも工場をクビになってどうやってお金を稼げばいいかもわからない。

目の前に現金をぶら下げられたら、後のことも考えず飛びついてしまう。そうしてどんどん身を落としていって、最後に行き着いたのは、自分を切り売りする娼婦という職業。嫌で嫌でたまらないけど、目の前のお金には逆らえず、他にどうしていいかも分からなくて、流されるままに身を売ることに頷いてしまう。

二宮ファンテから感じられるのは、そういう愚かさなんですよね。

現代人である私には、当時の女が働ける職場は限られていて、だから娼婦になるのも仕方がないことだ、という知識はあっても感情的な理解が及ばない部分があるのだけれど、二宮ファンテの場合、こういう女だからなんだと理解できてしまうのが、ある意味恐ろしい。

2019でも変わらず二宮ファンテはそういうファンテで、変わったとすれば、コゼットへの愛の大きさくらいかな。

2017では逃げてしまった男への未練の方が大きく感じられたんだけど、2019では娘への愛情の大きさの方が勝ってるような印象で、より『母親』としての側面が強調されているように私には感じられたかな。

とにかく、三人のファンテの中で一番気が弱くて儚げなんだけど、個人的には一番観ていて怖いファンテが二宮ファンテです、はい。

 

二人目は濱めぐファンテ。

実は結構好きな役者さんで、観る前から期待値はかなり高かった私。

はい、歌唱力は流石でした。元四季の役者さん全般に言えるんですが、滑舌が良くて歌詞が聞き取りやすく安定した歌唱、役に対する理解、芝居として成り立つ演技力、そういったものの基礎がきちんとしているので、安心して観られるのが、彼女の良いところ。

ですが、その結果は、今回の場合思わしくない方向へ働いたような気が……

というのも、濱めぐさんは二宮さんや知念さんに比べても些か年齢が高い。それもあってか、ファンテーヌ、という役に合わせて声や仕草をかなり若作りしてるわけですよ。で、結果として全体に無理してる感が……

4月の感想にも書きましたが、儚げに見せようとしている割に、バルジャンを弾劾してるようにさえ見える箇所があるのがなんとも違和感。

なんていうか、本来の声が強いというか、最近「強い女」を演じすぎて「弱く儚い」女が出来なくなってるんじゃないかしら、彼女。

恐ろしく自覚的なファンテだったしなぁ。目がね、強いんですよ。泥を啜っても、地獄を這いずっても、娘のために金を稼ぐ!っていう決意が瞳に現れてて、哀れな被害者にはとても見えない。

最近見た友人によると、儚げ路線を捨てて強いファンテになりつつあるそうなんで、それを観たら多分感想は変わると思う。

強い女が社会の圧に負けて死んでいく、っていう路線のファンテなら、きっとぴったりくるんじゃないかな~。

次に濱めぐファンテを観るのは名古屋なんで、路線変更したファンテを観られることを楽しみにしています。

 

三人目が知念ファンテ。

知念ファンテは気が強いよね~と2017の時から思ってたんですが、やっぱり気が強いファンテでした。

女子には珍しくぼっちでいることが平気で、だから人に合わせないとなんて考えない。そういうところが一部の女子からはめちゃくちゃ嫌われるんだけど、それを気にも留めない、そういう女の子。それが知念ファンテの印象。

あと、手紙を読まれて子供がいるってばらされた時に、「あんた達には関係ないわ」っていうんだけど、その歌い方というか言い方がもの凄くカチンとくるんですよね、知念ファンテ。

それまではどちらかというと同情的な子もいただろうに、あれで工場の女全員敵に回した感が強い。あの場面、二宮ファンテの場合、元々苛めっ子のターゲットだったのが虚勢を張るから余計に鼻であしらわれる結果になったように見えたし、濱めぐファンテの場合、強くて近寄りがたかった女の弱みを見つけたと思ったらそんなこというもんだから余計に憎たらしいと思われたように見えたんだけど、知念ファンテは一気に全員敵に回った感がすごくて、(自分も女だけど)女の集団怖い!って震えがきたわ(笑)

知念ファンテは最初の躓き(うっかり実のない男に惚れて子供作っちゃった)がなければ、それなりにいい人生送れそうなファンテだなぁと思います。

 

 

てわけで、三人の印象は、

 

二宮ファンテ→あまりにも普通の女過ぎてみてて怖い

濱めぐファンテ→儚げ路線が違和感。強いファンテならいいかも

知念ファンテ→気が強くて、でもめぐり合わせ悪すぎたよね

 

でした。

ファンテに関しては、2017の和音ファンテ千秋楽があまりに歌唱演技共に圧倒的過ぎて、いまだに和音ファンテ最高!状態なので、誰が一番とか言えません。多分、私が生きてる限り、最高のファンテは和音ファンテだと言い続けると思います。

だって、いまだに思い出すと涙出るもの……

 

とりあえず、キャスト全員見た役もあるので、順に初見の印象の違いを書いてみようかな。

最初はやっぱり主役のジャン・バルジャンから。

観た順に印象を書いていこうと思います。

 

 

2019最初のバルジャンは吉原さん。

2017では禅僧のようなバルジャンだったんですが、随分印象が変わりました。

まずコゼットに対する瞳がもの凄く優しくなって、より父親らしい感じに。

そして独白の歌唱で闇や自身の罪に対する怯えの表現が強くなり、召される直前のコゼットへ告白するシーンではようやっと肩の荷が下ろせたという安堵の表情がとても印象深い。

全体に柔らかく優しくなったなぁと思います。

そのせいか、2017で吉原バルジャンに感じた孤独は感じなくなりました。

2019の吉原バルジャンは、司教様を通じて愛を知り、その愛をコゼットに注ぎ、マリウスに託し、神の元に召されていく、と愛を受け渡すことで世界とつながっているバルジャンだと感じました。

良くなったと、吉原バルジャンが好きだと、いう人が多いのがよくわかるバルジャンです。

が、反面、2017で感じた、吉原さんにしかできないバルジャン、孤独で、一人ぼっちで、神の前に身を投げ出しはしても誰かと苦しみを分かち合うことを是としない、修行僧のような、ある種潔癖なバルジャン、の影は消えました。

私は、あのバルジャンが好きでした。常に孤独の翳を宿し、愛する娘であるコゼットすら根本的なところで拒絶しているような、あの吉原バルジャンが。

それを良しとするか悪しとするかは好みの問題だと思います。

ただ、私としてはちょっぴり残念だと思っていることは間違いありません。

 

2番目はシュガーバルジャン。今年初役ですね。

先日も書きましたが、かなり物足りないのは確か。重みが感じられないというのは、致命的だと思います。

良い評価をされてる方もおいでなのは分かっています。歌唱力という点では、かなりの実力派ですし。

ただ、ここは経験の差だと思いますが、シュガーさん、得意音域と不得意音域が結構はっきり分かるんですよね。

不得意な音域も音を外したりするわけじゃないのですが、なんていうか、滑らかに移動していかず、なんとなくひっかかるような感じで、あ、苦手なんだな、と。

吉原さんも福井さんも、そこは経験値というアドバンテージを生かして、あんまり気付かせないように歌われるんですけど、シュガーさんはまだそこまで練れてないというかなんというか……

それだけじゃなく、役者としての経験値の差もあってか、歌と演技の上手さのギャップが激しい。

歌一つ一つは素晴らしいと思います。これがコンサートやライブであれば、文句のない歌唱だと思います。

が、役を演じきるにはそれ以外の+αが必要だったりするわけで。

その+αが、まだ足りない。

ミュージカルは歌が一番。歌が上手ければ、演技の勉強なんて必要ない、という向きもおありでしょう。

ですが私はそうは思えないのです。元々ストレートプレイを好んで観ていた人間なので、余計にそう感じるのかもしれませんが、音を一音も外さず完璧に歌える役者でも演技力がない役者は好きじゃありません。むしろ、たとえ何音か外すことがあっても演技力でそれをカバーできるなら、そっちの役者の方が好きです。

じゃあ、その演技力とは何か、というと、究極には舞台上でいかにその役として生きられるかどうか、そしてそれを観客に納得させられるかどうか、だと思います。

上手な歌じゃなくても、その役がどういう人物なのか観客に納得させられるかどうか。

シュガーさんの歌は、「流石シュガーさん!」と感嘆できる歌です。ですが、「シュガーさん」なんですよね。「バルジャン」じゃない。そこが残念。

いつか「やっぱりバルジャンだ!」と感嘆できるような歌を聞かせてくれるようになればいいのになぁと思っている次第です。

 

最後は福井バルジャン。

2017とは随分印象の変わった吉原さんに対して、福井さんは2017を更に深めたようなバルジャンでした。

ただの人が聖人への道を歩んでいく様を見せてくれるバルジャンだと、当時書いた記憶があります。

2019では神の元に召されると同時に列聖された!と感じました。

完璧に聖人になりましたよ、福井バルジャン。

虐げられ打ちひしがれて性根まで歪みそうになった心弱い男が、司教様に救われ神の愛を説かれて目を覚まし、そして神の慈悲深い手に導かれるままに歩んで、遂に列聖されるまでの物語。それがレミゼラブルだ、と感じさせてくれるバルジャンでした。

典型的日本人である私には今一つピンとこないのですが、クリスチャンの友人によると、信仰の本質に人間の意志というのはあまり関係なくて、ただ神の御手に心と体をゆだね、その導くままに生きることが神を信じること、なのだそうです。

(これはあくまで、友人の説明を私がこう理解した、という意訳なので、もし違っていたならご指摘くだされば幸いです)

この私の理解が正しいなら、福井バルジャンは、そういう生き方をしてきたバルジャンです。時に悪魔の囁き(人違いで捕まった男がいると聞いて、正体を告白するか否か、悩むシーンなど)に耳を貸しそうになりながらも、神の導くまま、真っ正直に生き、ファンテーヌに託されたコゼットを愛し、そして全てをマリウスに譲って神の御許に召されていく、平凡であることが逆に偉大である男。

2017から更に表現を進化・深化させた福井バルジャンは、そういう風に見えました。

 

私は今回の3バルでは福井バルが一番好きかも。

これから回数を重ねたら、また変わるかもですけど。

現時点での完成度は福井バルが一番だと思いますが、吉原バルもシュガーバルも、まだ変わっていく余地が多いにありそうですしね。

どう変わっていくのか、とても楽しみです。