2019レミゼラブル・トリプルキャストの印象その1 | シャオ2のブログ

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最近は着物と舞台に夢中

とりあえず、キャスト全員見た役もあるので、順に初見の印象の違いを書いてみようかな。

最初はやっぱり主役のジャン・バルジャンから。

観た順に印象を書いていこうと思います。

 

 

2019最初のバルジャンは吉原さん。

2017では禅僧のようなバルジャンだったんですが、随分印象が変わりました。

まずコゼットに対する瞳がもの凄く優しくなって、より父親らしい感じに。

そして独白の歌唱で闇や自身の罪に対する怯えの表現が強くなり、召される直前のコゼットへ告白するシーンではようやっと肩の荷が下ろせたという安堵の表情がとても印象深い。

全体に柔らかく優しくなったなぁと思います。

そのせいか、2017で吉原バルジャンに感じた孤独は感じなくなりました。

2019の吉原バルジャンは、司教様を通じて愛を知り、その愛をコゼットに注ぎ、マリウスに託し、神の元に召されていく、と愛を受け渡すことで世界とつながっているバルジャンだと感じました。

良くなったと、吉原バルジャンが好きだと、いう人が多いのがよくわかるバルジャンです。

が、反面、2017で感じた、吉原さんにしかできないバルジャン、孤独で、一人ぼっちで、神の前に身を投げ出しはしても誰かと苦しみを分かち合うことを是としない、修行僧のような、ある種潔癖なバルジャン、の影は消えました。

私は、あのバルジャンが好きでした。常に孤独の翳を宿し、愛する娘であるコゼットすら根本的なところで拒絶しているような、あの吉原バルジャンが。

それを良しとするか悪しとするかは好みの問題だと思います。

ただ、私としてはちょっぴり残念だと思っていることは間違いありません。

 

2番目はシュガーバルジャン。今年初役ですね。

先日も書きましたが、かなり物足りないのは確か。重みが感じられないというのは、致命的だと思います。

良い評価をされてる方もおいでなのは分かっています。歌唱力という点では、かなりの実力派ですし。

ただ、ここは経験の差だと思いますが、シュガーさん、得意音域と不得意音域が結構はっきり分かるんですよね。

不得意な音域も音を外したりするわけじゃないのですが、なんていうか、滑らかに移動していかず、なんとなくひっかかるような感じで、あ、苦手なんだな、と。

吉原さんも福井さんも、そこは経験値というアドバンテージを生かして、あんまり気付かせないように歌われるんですけど、シュガーさんはまだそこまで練れてないというかなんというか……

それだけじゃなく、役者としての経験値の差もあってか、歌と演技の上手さのギャップが激しい。

歌一つ一つは素晴らしいと思います。これがコンサートやライブであれば、文句のない歌唱だと思います。

が、役を演じきるにはそれ以外の+αが必要だったりするわけで。

その+αが、まだ足りない。

ミュージカルは歌が一番。歌が上手ければ、演技の勉強なんて必要ない、という向きもおありでしょう。

ですが私はそうは思えないのです。元々ストレートプレイを好んで観ていた人間なので、余計にそう感じるのかもしれませんが、音を一音も外さず完璧に歌える役者でも演技力がない役者は好きじゃありません。むしろ、たとえ何音か外すことがあっても演技力でそれをカバーできるなら、そっちの役者の方が好きです。

じゃあ、その演技力とは何か、というと、究極には舞台上でいかにその役として生きられるかどうか、そしてそれを観客に納得させられるかどうか、だと思います。

上手な歌じゃなくても、その役がどういう人物なのか観客に納得させられるかどうか。

シュガーさんの歌は、「流石シュガーさん!」と感嘆できる歌です。ですが、「シュガーさん」なんですよね。「バルジャン」じゃない。そこが残念。

いつか「やっぱりバルジャンだ!」と感嘆できるような歌を聞かせてくれるようになればいいのになぁと思っている次第です。

 

最後は福井バルジャン。

2017とは随分印象の変わった吉原さんに対して、福井さんは2017を更に深めたようなバルジャンでした。

ただの人が聖人への道を歩んでいく様を見せてくれるバルジャンだと、当時書いた記憶があります。

2019では神の元に召されると同時に列聖された!と感じました。

完璧に聖人になりましたよ、福井バルジャン。

虐げられ打ちひしがれて性根まで歪みそうになった心弱い男が、司教様に救われ神の愛を説かれて目を覚まし、そして神の慈悲深い手に導かれるままに歩んで、遂に列聖されるまでの物語。それがレミゼラブルだ、と感じさせてくれるバルジャンでした。

典型的日本人である私には今一つピンとこないのですが、クリスチャンの友人によると、信仰の本質に人間の意志というのはあまり関係なくて、ただ神の御手に心と体をゆだね、その導くままに生きることが神を信じること、なのだそうです。

(これはあくまで、友人の説明を私がこう理解した、という意訳なので、もし違っていたならご指摘くだされば幸いです)

この私の理解が正しいなら、福井バルジャンは、そういう生き方をしてきたバルジャンです。時に悪魔の囁き(人違いで捕まった男がいると聞いて、正体を告白するか否か、悩むシーンなど)に耳を貸しそうになりながらも、神の導くまま、真っ正直に生き、ファンテーヌに託されたコゼットを愛し、そして全てをマリウスに譲って神の御許に召されていく、平凡であることが逆に偉大である男。

2017から更に表現を進化・深化させた福井バルジャンは、そういう風に見えました。

 

私は今回の3バルでは福井バルが一番好きかも。

これから回数を重ねたら、また変わるかもですけど。

現時点での完成度は福井バルが一番だと思いますが、吉原バルもシュガーバルも、まだ変わっていく余地が多いにありそうですしね。

どう変わっていくのか、とても楽しみです。