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shutdown-r 再起動

shutdown-rコンピュータを再起動すること。

JW(エホバの証人)の頃のコントロールされた考え方、思い、傷を手放して再起動しよう!

JW組織を出て、
何年も経つと、
心と体は、
それなりに癒えてきます。


親が良い親だった人は、
比較的早く、

そうでない人は、
それなりに‥です。



毒親の度合いや、
自分の性格にもよると思います。


親が猛毒級で、
本人の性格が
真面目だったりすると、

ただ、立ち上がるのでさえ、
長い時間を、
要すると思います。



でも、でも、
生きていただけで、スゴイ!
スゴイんです。


毒親育ちは、
「生きてるだけで、丸もうけ
なんです。


そういうレベルなんです。



だから、

社会的に受け入れられなくても、
年相応の責任を果たせなくても、

自分って人間性、
最低だなぁと
仮に思っても、

それでも、いいんだと思います。

いいんです!


そして、何より、
毒親育ちは、
親と離れても、
頭の中に、親の価値基準の辞書が
インストールされてるので、

ボーッと考えてると、
常に
「自分自身を責め続けます」


それに気が付き、
なかなか困難ですが、
辞書をアンインストールし、

自分を自分で受け入れて、

どんな自分でも、
クズな自分でも、
ゴミな自分でも、
ウンコな自分でも、

 いやぁ、良く生きてきたよ!
+。:.゚ヽ(*´∀)ノ゚.:。+゚

そう思ってあげる、

それだけで、
オールオッケーかと
思います(^-^)



大丈夫です。

わたしたちは、強い。



「悲しいほど強い魂
どれだけ憎んでも
消えない、消せない

何よりも綺麗な事、
本当はもっと知っている ずっと」


Butterfly  
 BUMP OF CHICKEN







Yahoo!の朝ドラの記事の
コメントに、

主人公の母親の鈴、
松坂慶子さんが毒親だ!!と、
皆さん、鼻息荒くていらっしゃる。



わたしは、あの程度、
毒親の訳ないじゃん^^;
と思ったのですよ。
(※主観です)



自分が苦労したから
ってのもあって、

娘の結婚相手を
認めないし、
わからずやで、 
あの手この手で、
娘をコントロールしようと
躍起だけど、 

子どもの事は、
本当に愛しているのです。


今日はついに!
結婚を認めてくれたし。




んで、その程度で
(※再度主観です)
皆さん、毒親と断罪。


でも、欠点のある母親を
安易に毒親と 
レッテル貼りして欲しくなかった。

なぜなら、
若いお母さんたちが、
「わたしって毒親かしら?」と
悩んでしまうのではないかと 
思ったからです。



少なくとも、暴力を振るわず、
多少、子どもを
コントロールしただけで、
毒親と認定するのは
どうかと思います。


親は、一生懸命、
子どもの為に、子どもを愛し、
子どもの事を考えているからこそ、
その気持ちは、
わたしも汲めるし、

多くのJW二世だって
きっと理解します。
 


ただ、JWに洗脳された親は、
程度の差こそあれ、
毒親です。


コップの水に、
一滴毒が入っていても、
そりゃ、毒水ですわ。



その上、
子どもをモノか家畜の扱いをし、
道具での体罰、
言葉の暴力、
人格否定、
罵倒、

人権や感情を無視し、
信仰から離れると、
徹底的に忌避し、

子ども個人を、
人間とは認めないくらいの
勢いでコントロールする。


この親たちの
どこが毒親ではないのでしょう?

世間の人々は、
鈴さんを、毒親認定した。


JWの極端にひどい親を、 
毒親とすることにより、

自分は悪くなかったと、
ただ、その思いだけを支えに
生きてきた二世も、
たくさんいるのです。

わたしを含め、
皆、サバイバーです。



親を許せと、
時々、善意から言われます。

自分の幸せの為に、
親を許すべきだと。

それは、わかっているのです。

そんなウンコみたいな
恨みや憎しみなどの感情は、
払いのける方が
幸せにつながるのは、
わかっているのですよ。


ただ、ただ、
「何事にも時がある」
と、言うじゃありませんか。


毒親から徹底的にやられた傷も、
いずれ、治る時が来ます。

傷跡は一生残りますが、
普段は傷の痛みは感じないくらいまで、回復するのです。


その時、親への憎しみは、
手放せばいい。


親を許せと、
どうか言わないで。


これ以上、
罪悪感を抱かせないで。


親から愛されず、
(条件付きの愛情も含め)
裏切られた思いは、
深く、深く、
心の奥底に刻み込まれ、 

何か引き金があると、
激しい感情となって、
本人を苦しめるのです。


自分の親を、
毒親と思わない方は、
毒親問題を提起する必要は
無いと思います。



一世二世問題、
親を許せ問題は、
わたしがブログをはじめた
10年前から、
何回も何回も起きては
炎上し、
人の心を傷付け続けているのです。


どうか、
皆さん、育った環境の差こそあれ、
元仲間。
デリケートな問題には、
なるべく触れないで。


持論を展開するにしても、
正しいか、正しくないかで、
裁かないで欲しいと
わたしは、感じてしまいます。


以上、
すべてわたくしめの
主観でございます。
そして、ただのお願いでございます。








わたしは、体がエホバの証人であることを拒否し、集会に行けなくなり、結果やめることが出来ました。

おかしくなった体さん、ありがとう!
体は正直だね。思考は自分をだますけど、体はウソをつかない。

その時は自己肯定感が地に落ちた。

体調が悪くなり、動けなくなりました。
奉仕にもろくに行けません。集会中も座っているだけです。



だから、無価値な自分が、大嫌いになりました。
出来ない自分が、本当に大嫌いでした。




情けなくて、消え入りたい気持ちでいっぱいでした。
でも、どうがんばっても、体は動きません。


大学病院で検査もしましたが、異常は無いと言われます。


仲間からも見捨てられ、会衆からも、そしてとうとうエホバからも見捨てられました。



自分の何もかもが、大嫌いで、大嫌いで。

この顔も、体も、声も、性格も、流れている血に対しても嫌悪感がいっぱいで、親が選んで付けた、名前の響きも、大嫌いでした。


毎日、自分を責め続け、くだらない無価値な自分をけなし続けました。


これでもかってくらい、自分自身で。
自分が一番、自分の敵でした。

自分で自分をサンドバッグにして、叩いてました。
奉仕を出来ない自分に対して、罰を与えるように。

それも徐々に過去のこととなりました。
今は、自分責めは決してしないように、自分だけは自分の味方でいよう、世界がすべて敵になったとしても。

そう思うようにしています。
難しいけどね。





出典 



エホバの証人になった両親は、わたしを育てるときに、わたし自身がいかに無価値か教え込みました。

自己犠牲が当たり前。

なぜなら、わたしには価値がないから。


価値がない。
価値がない。
価値がない。

お値段ゼロ円。


じゃ、どうすれば少しでも価値が上がる?

それが、奉仕であり、霊的活動と言われる事をした時です。その時だけ、オンリー、自分には価値があるのです。


でも最大級にがんばらなくては、その価値も下がってしまいます。


最大級って?


「奴隷」くらいです。


子どもは、「親の奴隷」と母はよく言ってました。


神の奴隷。


自分自身にムチを打ち、倒れるまでがんばって初めて、自分には価値があると思えるです。

すべての価値基準はそれ。

厳寒も酷暑も関係ない、とにかく奉仕!奉仕!
一日中奉仕をすると、言いようのない安堵感に包まれ眠る事が出来ました。


基本が間違っていました。


野のユリやスズメに価値があるのに、神の形に作られたわたしは、痛みを感じるほどがんばらなくては価値がないと思っていました。


組織の教えはいつもダブルスタンダードで、無垢な子どもたちは混乱し「自分」を信じられなくなります。

エホバの証人の二世は、自己肯定感を持てない人がたくさんいます。

それは、自死を選んでしまうほど苦しいのです。なんとかしなくてはなりません。


エホバの証人の教えで育てられ、
母親がサゾの毒親。


もはや、SMです。


荒縄で縛られ、
金属のタガをはめられ、
鎖で縛られ、
家畜のようにくつわをかけられ。
熱いロウソクを垂らされ続けた。
→念のため、比喩ね。


そんなのが積もりに積もって、30年、
自分というものが
わからなくなってしまいました。


自分が自分であることの証明、

自分は何がしたくて、
何が好きで、
何が心地よく感じて、

どんな服が着たくて、
どんな食べ物が好きで、
どこに行きたいか、

とにかくすべて、
わかんなくなりました。


こうなってくると、
自分自身を生きるために
生まれてきたのに、

自分の頭の中が
親の価値観に乗っ取られて、
自分で自分を責める事が日常に。


もはや、生きることが
出来なくなり、
自殺未遂しました。


死ななかったのは、
まだまだ大丈夫、
先はあるってことだったのか。


多分、一旦今世を終了して、
また違う人生を歩むという
選択肢もあったのでしょうが、

あたしは、また戻ってきました。



多分、親がいい親で、
JWってだけだったら、
やめなかったかもしれない。


新しい人生を
歩む事が出来るようになったのは、
親が毒親だったからかもしれない。

強制的に、JWを
やめざるを得ませんでした。


今は、親が毒親であったことを
感謝?まで出来るように
なった感覚があります。


憎しみや怒りや、恨みを出して、
それを受け入れ、手放せたからかも
しれません。


今でも、思い出すと、
胸はチクリと痛むけれど。


新しい人生は、
なかなか気に入ってます。