今日は朝から身体が重い。


特段予定もないので何もしないことにした。昼寝もした。その後は珈琲タイム。


なにせ身体が重い。寒い間自主トレでお疲れがたまってしまってる。先日は就寝時に唸るほどの足の痙攣を経験。 自転車でキャンプする時に時々経験することはあるけれど、自宅では本当に久しぶり。


明日も20kmほど自転車に乗る予定はあるけどそれ以外は何もせずに静養するつもり。


最近は 思考タスクが見つからないのでついつい身体を虐めがちになってしまう。少し労ってやらんとなあ。


来週からは野球やソフトボールの試合も増えてくるし、それに向けての焦りもあったが、ちょっとやり過ぎたし、今後のスケジュールをこなすためにも今日明日はやっぱりゆっくり休憩しますね。

先日は舐められやすい人の特徴を記したが、今回はその逆、人を舐めてかかる奴について述べてみる。


結果からいうとサイコパス以外は自身も舐められやすい特性、つまり挙動不審になりやすい人でないだろうか?自身が舐められて蔑まれたり搾取された経験がある人はその仕返しとして自身が損したものを取り返そうとしたりする。または、自身が舐められやすい特性を克服した経験があったりすると、自身は努力してその地位を得たのだから努力しない奴を下に見たりもしやすい。


以上のことは虐めでも同じことが言えると思う。


ここで良く考えて欲しい。他人に馬鹿にされて損したと思う人は、裏返しに言えば人を馬鹿にすることで得するという価値観を無意識に感じている。これがこれらのスパイラルの根源。


これにあるとき気づけた私は、私を馬鹿にする人こそが損をしていることに気づけた。だからさほど腹立たしいと感じなくなった。結果的に他人に馬鹿にされる経験が極端に減った。


もちろん、私が他人を馬鹿にする行動も慎むようになった。他人を馬鹿にする私が損をしてしまうから。


人間関係が劇的に変わった。人間状態で悩むことが無くなった。というよりそもそも悩む必要もないのだから。


一休和尚などは他人から馬鹿にされる方が得をすると解って人生を 送っていたようだ。だからあんなにノビノビと大らかな人生を送れたのだろう。馬鹿にする人に感謝できるのだから。


私もそうでありたい。まだまだ修行の身で ありんす。

一般的に人間関係に於いて舐められやすい人がいる。私もそうだったと思う。そういう人たちの特徴について述べたいと思う。


まず断っておくが、舐められやすい人がいるからといってそういう人たちを軽んじたり侮蔑したり搾取して良いということは絶対的にない。これらは犯罪行為なので、その一線は認識すべき。


さて、舐められやすい人の特徴として人が良いパターンと挙動不審なパターンの2タイプがあるように思う。ただし、人が良くても舐められにくい人もいる。きっと人が良すぎるタイプが舐められやすいのではないだろうか?人が良すぎるということも自身の意見を言えなかったり他人の要求を断れなかったりというある種の挙動不審とは言えないだろうか?


では、人はなぜ挙動不審になってしまうのか?


どんな人でも慣れない場所や環境で挙動不審になってしまうだろう。これは頻度の問題かもしれない。また、挙動不審気味でも落ち着いている人はさほど浮いた存在になりにくいが、あたふたした行動をしていると悪目立ちしてしまうのだろう。警察の職務質問も挙動不審な人がターゲットになるらしい。また、空気を読もうと必死になっている人もそのあたふた感で余計に空気が読めなくなったりもする。


私も過去は全くそういうタイプだったと思う。最近はそういう経験はめっきり減ったが。


つまり、舐められたくないなら自身の挙動不審感を認識し自然体でいられるいうになると良いと思われる。ただし、これが私にとっては長い道のりで、なぜ挙動不審になってしまうのか、自然体とはいったいどういうものなのかをかなり長い時間をかけて解いていった。そこを簡単に説明できないので機会があればお話しするつもりです。


ご自身が舐められやすいと感じるのなら上記のことを踏まえて考えてみてはいかがでしょう?


では今日はこの辺りで、

see you next time!