昨日は野球、仕事で途中で抜けたけど、4安打5盗塁(6打席)の絶好調だった。


実はその前日も朝に別のチームの練習に参加してかなり打撃の調子が良かった。昨日も試合前練習でも依然好調。(ただし左のみ、右は大振りでボールを芯でとらえきれない。だけど昨日の対戦相手は右投手ばかりなので大丈夫。)


試合では流石に練習ほどは良くないが、いつもは足で稼ぐ内野安打は最終打席のセフティバントの1本のみ。いつもはバント警戒で内野前身守備されることが多いが、流石にあれだけ当たってたからか三塁手もかなり後ろを守ってたので悠々の進塁だった。


実は、この数週間ずっと取り組んできた課題があった。いつも右腰が開いてしまうのを我慢してのスイング。ただし、これがきつい。もうずっと右の大臀筋やハムストリングがピクピクした数週間を過ごしてきた。


この最近は自転車にもよく乗ったけど、その時も辛かった。


なんか、やっと打撃に対して確信的なものが見えてきたような気がする。これまでは足に頼り切ってきただけで何とか数字がついてきただけで、時々調子は上がっても直ぐに落ちてしまう。


で、昨日も走りまくったけど、足の方はまだまだ本調子手前。周りが私の足を警戒しすぎて自滅したり、そもそもチャレンジもされず走らせて貰えたりで、まだ8割程度の仕上がりがバレてない状態。こちらも6週間ほど前の大怪我から考えれば上々の仕上がりなので来月中には本調子に持って行けるだろう。


今年こそは足に頼らない打撃、絶対完成達成しよう!

GWの予定は決めましたか?


私の今年のGWは日曜日に野球の試合(審判)があるので、その間のウィークデイを利用しようかと画策中。


30日に貝塚で仕事が夕方に終わるので、そこから発って5月3日の午後に同じ貝塚で仕事があるのでその時間に合わせて帰って来るというパターンで行くつもり。


去年も同じように自転車で和歌山に向かって御坊で折り返して岩出の公園で職場の仲間と合流、なんて楽しい経験をさせてもらった。


で、今年は取り敢えずは歩くつもり。そのまま貝塚から海岸線を歩いて最終日に電車で戻るパターンと、一旦電車で海南か湯浅辺りまで出てからそこから歩くか?どちらにせよテントとシュラフと担いで行くつもり。


12年前と同じ出で立ちで。


でもあの時やってて良かったな。あれは梅雨明けから真夏の期間だったけど。


あと、天気は心配だな。まあ雨降っても決行するというプランもあるけど 、どうしようか?


ゆっくり考えよう!

昨日自転車で大変な目に合いかけた。


訳あってリアタイヤの中に太めのチューブを入れていたがそれが原因。私自身は細めのタイヤと太めのチューブはそれほど相性悪くないと思っていたが、走行中にリムとタイヤの間からチューブ がはみ出してきて、路上で緊急修理。先日のパンクのお陰で替えのチューブや工具は持ってたので助かった。


とは言え、その後は不安で不安で仕方なかった。小さな段差も細心の注意を払い、スピードも控えめで、何とか60km超えの道のりを乗り切れた。


そんな経験をしながら不安について考えてみた。


今回はセッティング自体を見誤っていた。つまり信頼できるセッティングでないことが判った途端に不安が押し寄せてきた。信頼できない時に人は不安を感じるのかもしれない。


しかし、多くの不安症の人たちを見てきて、彼らは信頼できないからではなく依存できないから不安を抱えているようにも感じた。先程の私の経験で例えれば、私自身が信頼できるセッティング調整を行っているか、信頼できるショップでピッチ調整して貰えば差ほど不安は感じないだろう。しかしどんなに慎重にセッティングしてもトラブルは起こるし、避けれない。一つ一つ対処するしかない。一方で絶対にトラブルを起こさないセッティングでないと不安で自転車に乗れないと感じる人はどんなに高価で頑丈な自転車でも不安は消えないだろう。そんな彼らが乗れる自転車は信頼を越えて心が依存できる乗り物ではないだろうか?


不安は私にとっては学びの素。なので不安であることは有り難い。不安があるから様々な学びを得られる。人として成長できる。一方で不安な心を他人や物事で 癒やそうとする人は不安から逃げようとして依存先を探し続けて行くのだろう。それ自体が生き辛さではないだろうか?


不安は私の先生。仲良く学べば様々な事を教えてくれる。今回の経験も有り難いものでした。