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ハタオリの街
今月上旬の出張の最中にユダヤ人埴輪といわれる不思議な埴輪を観たことで出張明けに山梨県富士吉田市へ行こうと決めたことを忘れてはいない。
富士吉田市のことを調べていたら機織りの街だということを初めて知った。富士吉田市というとほうとうとか吉田うどんが有名でうどんの街というイメージだったが機織りの街となるとやはり秦氏に繋がるのかもしれない。
雄略天皇の御世に秦氏の長者・秦酒公(はたのさけのきみ)が絹や縑(かとり)を献上し、うず高く積まれたことから「禹豆満佐(うずまさ)」の姓を賜り、これに「太秦」の漢字を当てたのが京都太秦の由来である。秦氏は養蚕や機織りを日本に伝えたといわれている。
ここで「甲斐の徐福伝説」の記事から引用↓
古代中国・秦(しん)の時代、中国を統一した秦の始皇帝が不老不死を求めて方士である徐福に不老不死の霊薬の捜索を命じた。
すると徐福は捜索の旅に様々な分野の技術者集団と大勢の童男童女を連れて行くことを始皇帝に願い出て許可され、大船団で海を渡り日本へ亡命したという伝説がある。
そして徐福は九州から紀州熊野に至り、熊野へしばらく滞在したがやがて富士山に至り、富士北麓へ至って土着したという。
古代氏族秦氏の祖とされることもある徐福(じょふく)は現在の富士吉田市辺りに土着したようで、日本に様々な技術や文化をもたらしたとされる。そして徐福は富士山で他界すると三羽の鶴となり、そのうちの一羽が死んで落ちた地が福源寺の鶴塚とされているようだ。
(引用終わり)
富士吉田市には都留(つる)市と南都留(みなみつる)郡が隣接しているが、都留の地名は藤蔓(ふじつる)のように長く伸びた地形からとする説がある。しかし別の説によれば徐福が死後鶴になって土地の人々を護ったことからこの土地を都留郡(つるごおり)と呼ぶようになったとする話もある。
ここ数年の僕に示されたキーワードには養蚕や鶴などが度々含まれていたが、一連の示しは徐福に繋がるものだったのだろうか。そういえば挙母(ころも)も衣であり、愛知県豊田市(旧・挙母市)は昔養蚕・織物の街だったのでこれまた養蚕・機織りに繋がる。
キーワードの記事だけで548件あるので(※2023年10月20日現在)たくさんあるキーワード【鶴】の関連記事は貼らないが、日々お読み頂いている方ならばこれらのキーワードが過去に出てきたことを覚えていらっしゃることと思う。
でも一応養蚕・機織りに繋がる記事は貼付しておこう。
やはり徐福ゆかりの地に行かねばならない。