甲斐の徐福伝説 | この美しき瑞穂の国

甲斐の徐福伝説

出張先の近くにある芝山古墳で発掘された武人の埴輪が日本人離れしており、その姿がユダヤ人に似てるとしてユダヤ人埴輪と呼ぶ人もいる。



芝山古墳群から発掘された埴輪の一つのレプリカ



これ…日本人に見えますか?


そしてこの埴輪からユダヤ人秦氏の関わりを考察する人もいるようだ。


秦氏関連の旅は今年7月に高知県の土佐神社や秦神社、今年8月には長野県の治田神社にお参りしているが、今回の出張の前に山梨県の旅をした。この間に挟んだ山梨県は秦氏と関係ないのかと調べてみたら、関係ないどころか深く関係しているようだ。



古代中国・秦(しん)の時代、中国を統一した秦の始皇帝が不老不死を求めて方士である徐福に不老不死の霊薬の捜索を命じた。


すると徐福は捜索の旅に様々な分野の技術者集団と大勢の童男童女を連れて行くことを始皇帝に願い出て許可され、大船団で海を渡り日本へ亡命したという伝説がある。



そして徐福は九州から紀州熊野に至り、熊野へしばらく滞在したがやがて富士山に至り、富士北麓へ至って土着したという。



徐福は現在の富士吉田市辺りに土着したようで、日本に様々な技術や文化をもたらしたとされる。そして徐福は富士山で他界すると三羽の鶴となり、そのうちの一羽が死んで落ちた地が福源寺の鶴塚とされているようだ。



そのようなわけで甲斐国は秦氏(秦徐福)と非常に関係が深いのである。しかも鶴と徐福が繋がるとは思わなかった。



ゆえに出勤が明けたら今度は富士吉田の徐福関連の地を巡ってみたい。