この美しき瑞穂の国
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今朝観た夢の話(火口湖?)

今朝観た夢の話である。


夢の中で僕はある場所に車を停め、窓にカーテンをして休憩していた。


すると僕の車の周りをガラの悪い男たちが囲んで窓を開けろと脅してきたので、開けないと車を壊される恐れがあると思い、運転席側の窓を開けた。


すると男たちのリーダー格の男が窓から車内に侵入してきて、なぜか車内をお湯で満たしお湯の中に尻をつけて尻の穴からボコボコとガスを出し始めた。

僕はそのガスを手で受け止めている状態で、男は僕に「珠を漬けてくれよ、珠を。」と何度も言った。


・・・夢から覚めた後、夢に現れたガラの悪い男達は龍神ではないかと思った。そしてお湯で満たされた車内は火口湖もしくはカルデラ湖を表しているのか?男が尻から出したガスは火山性ガス?

珠を要求する事からやはり龍神のように思える。どこかの火口湖もしくはカルデラ湖の龍神が呼んでいるのだろうか?


気になるので備忘録として今朝の夢を記しておこう。

ヒルナンデスに”慈恩の滝”出てきた

昼休みにヒルナンデスを観ていたら特急ゆふいんの森号が慈恩の滝のそばを通るシーンがあった。


慈恩の滝は電車で通り過ぎるだけでなく現地に足を運ぶ価値ありのおすすめな名瀑です。

ジーク・ジオン✊ジーク・ジオン✊

2026年春の雨乞い旅(北野天満宮)

2026年3月28日京都市中京区の神泉苑にお参り後、京都市上京区の北野天満宮にお参りした。




北野天満宮の大鳥居をくぐると影向松(ようごうまつ)がある。


影向松は北野天満宮創建当時からあると伝わる御神木で、立冬から立春前日までに初雪が降ると菅原道真公が降臨されて雪見を愛でながら詩を詠まれるという伝説があり、初雪が降った日には硯と筆と墨をお供えするという。


北野天満宮楼門


北野天満宮境内では春でも梅の花が残っていた。


北野天満宮三光門


三光とは「日・月・星」の事だが、三光門には日と月の彫刻はあるものの星の彫刻が無いので「星欠けの三光門」と云われている。

そして星が刻まれていないのは帝が御所から北野天満宮に向かってお祈りされる際に三光門の真上に北極星が輝いていたからだと云われている。



北野天満宮拝殿


御祭神は菅原道真公。

菅原道真公は宇多天皇に抜擢され、醍醐天皇の治世では右大臣に任命されて重用されたが、昌泰4年(901)時の左大臣藤原時平の讒言により大宰権帥(だざいのごんのそち)として大宰府に左遷された。


そして延喜3年(903)菅原道真公は大宰府で無念の死を遂げた。

その後、延喜9年(909)に藤原時平が亡くなったり落雷などの災害が立て続けに起きたため、これは菅公の祟りとの噂が広まった。


そのため菅公の死後20年経った延喜23年(923)菅原道真公の左遷を撤回して身分を右大臣に復して正二位の官位を贈った。


しかし延長8年(930)6月26日に清涼殿に落雷があり、大納言藤原清貫(ふじわらのきよつら)と右中弁(うちゅうべん)兼内蔵頭(うちくらのかみ)の平希世(たいらのまれよ)が死亡する清涼殿落雷事件が発生し、その3ヶ月後に醍醐天皇が崩御されたため、ますます菅公の祟りとして恐れられるようになった。

そして天慶5年、巫女である多治比文子(たじひのあやこ)という少女に菅公の霊が懸かり、北野の地に自分を祀るように託宣したことにより北野天満宮が創建された。


北野天満宮の裏側にある文子天満宮




文子天満宮では火水埴の清祓いを奏上してお参りした。文子天満宮は北野天満宮の前身であり天神信仰発祥の社である。


今回北野天満宮にお参りした理由についてはアメンバー限定記事第333弾(2026年2月21日)に書いた事をそのままではなく一部変更して引用し以下に公開する。


(アメンバー限定記事より引用)

昨日(2026年2月20日)雷神という記事を書いたが、雷神といえば菅原道真公も思い浮かぶ。

雷神


左大臣藤原時平の讒言により太宰府に左遷されて憤死した菅原道真公の死後、藤原時平や藤原一族に次々と不幸が起き、平安京の清涼殿に落雷があったことから菅原道真公は火雷天神とか天満大自在天神と称された。

そのため朝廷は菅原道真公の祟りを鎮めようと北野天満宮を創建して菅公を神として祀った。

菅原道真公も雷神に含めるとすると、令和の世が始まった令和元年5月1日の朝に観た夢の事がふと思い浮かんだ。


令和元年5月1日の朝に観た夢には尊い御方がお出ましになられ、御自ら御菓子作りを指揮され、周りの人々に様々なご指示をされた。そして僕には「君はみかんを搾りなさい」とのご指示とみかんを賜り、みかんを絞ろうとしたがカビが生えたみかんがあったのでご報告申し上げると尊い御方は「どうしたものか・・・。」と思案されてしまう内容だった。



令和の元号は天平2年(730)正月に太宰府で行なわれた梅花の宴で歌われた和歌三十二首の序文の一節「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」に由来するという。


そして令和始まりの日の令和元年5月1日に令和の由来発祥の地とされる太宰府にある坂本八幡宮に多くの参拝者が殺到したが僕も坂本八幡宮を訪れていた。

今日の昼飯(イン天神)


太宰府といえば菅原道真公が思い浮かぶ。菅原道真公は雷神、そして令和天皇陛下は世界の水問題の研究を長年のライフワークになさっておられる。

雷神は水を司る、令和元年5月1日の夢のカビたみかんは渇水と関係があるのか?この度の水問題にはもしかしたら菅公が絡んでいるのか・・・と考え始めている。


令和が始まった時から考えている夢の中のカビたみかんは何を表しているのか、この問題はどうしたら解決出来るのか、この事は令和以降の神社巡りにおいてずっと大きな課題となっている。


菅公といえば北野天満宮、太宰府天満宮にお参りに行くべきかもしれないがすぐに赴くことは出来ないのでとりあえず近くの天満宮にでもお参りしてみようか。

(引用おわり)


この限定記事を書いた日(2月21日)に東京都文京区の湯島天神、その翌日(2月22日)に東京都町田市の菅原神社、その翌々日(2月23日)に群馬県邑楽郡板倉町の板倉雷電神社にお参りし、菅公の命日である2月25日から本格的な雨が降り出した。

昨日の大統領飲み(2026年2月21日)


昨日の菅原神社詣でと昼飲みと地元夜飲み(2026年2月22日)


再訪板倉雷電神社(2026年2月23日)


菅公の命日から雨


以上が「菅公の命日から雨」の記事中で「僕が2月21日に湯島天神、2月22日に菅原神社にお参りしたの何でだろ〜う?」と書いた事の答え合わせである。


僕は適当に神社をお参りしているわけではなく、お参りする理由があるのだ。




いずれまた太宰府天満宮にもあらためて再訪したい。



北野天満宮お参り後は予定よりも早くお参りすべき所をまわり終えたので大好きな東山区に寄り道することにした。


(つづく)

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