2023年2月岡山旅(木山寺) | この美しき瑞穂の国

2023年2月岡山旅(木山寺)

2023年2月12日岡山県津山市加茂町のサムハラ神社奥の宮をお参り後、真庭市の木山寺を訪れた。


サムハラ神社奥の宮から木山寺までは車で約1時間掛かる。


医王山(いおうやま)感神院(かんしんいん)木山寺(きやまじ)は高野山真言宗別格本山で弘仁6年(815)弘法大師による開山と伝わる。


弘法大師が当地を訪れた折、木こりの老人に当地へ導かれて寺院を建立するのに相応しい地であると告げられたという。この木こりは薬師瑠璃光如来の化身だったそうだ。


木山寺は木山牛頭天王(きやまごずてんのう)と善覚稲荷大明神を鎮守神としている。


牛頭天王の本地仏は薬師瑠璃光如来であるが12の大願を発し、須弥山(しゅみせん)の中腹にある豊饒国の武塔天王(むとうてんのう)の一人息子として垂迹(すいじゃく)したという。

太子(皇位を継ぐもの)となった彼は身長7尺5寸、3尺の牛の頭を持ち、その頭には3尺の赤い角があったという。

やがて太子は王位を継いで牛頭天王を名乗ったが、生まれつきの奇怪な姿ゆえに后になってくれる者がおらず、その寂しさゆえ次第に酒浸りの生活を送るようになる。

そんなある日、牛頭天王をお慰めしようと3人の公卿が天王を狩りに連れ出したところ、人の言葉を話せる一羽の鳩が現れ、大海に住む娑伽羅(しゃがら)龍王の娘の元へ案内すると申し出たという。


こうして牛頭天王は鳩の案内で龍王の娘を娶るための旅に出ると、その途次で一夜の宿を求めて土地の長者である巨旦将来(こたんしょうらい)の家を訪れた。しかし巨旦将来はこれを拒否したため、次に巨旦将来の兄である蘇民将来(そみんしょうらい)の家に一夜の宿を求めて訪れた。


すると蘇民将来は牛頭天王を快く迎え入れ、貧しいながらも粟飯で精一杯もてなしたという。この蘇民将来のもてなしに感じいった牛頭天王は御礼に願い事がなんでも叶う牛玉を授けたので後に蘇民将来は富貴繁栄したという。


そして龍宮へ赴いた牛頭天王は娑伽羅龍王の三女・頗梨采女(はりさいじょ)を娶り、龍宮で8年過ごすうちに七男一女の八王子をもうけたという。

その後、牛頭天王は豊饒国へ帰国する途中で一夜の宿を拒否した巨旦将来の元へ八万四千の眷属を差し向け、巨旦将来は千人の僧侶を集めて読経祈祷させて対抗したが途中で一人の僧侶が居眠りしたために術が破れて巨旦将来の眷属五千余りはことごとく牛頭天王の眷属に蹴り殺されたいう。

しかし巨旦将来の妻は蘇民将来の娘であったことから、牛頭天王はこの娘には茅の輪を作って赤絹の房を付け「蘇民将来之子孫なり」と記した護符を身につければ災難を逃れられると教えて救ったという。



木山寺本堂


木山寺本堂にて薬師如来真言と牛頭天王真言を唱えてお参り。

薬師如来真言

おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 

牛頭天王真言

おん はられいきゃ 牛頭(ごず) でいば 請願(せいがん) 随喜(ずいき) 延命(えんめい) そわか


なお、蘇民将来の説話には微妙に違うバージョンもあるので参考記事を添付しておく。


山陽道辺りにおける牛頭天王信仰は祇園信仰と称され、京都の八坂神社を総本社としている。そして牛頭天王は素盞嗚尊と習合し、同じ牛頭天王・素盞嗚尊信仰は愛知県津島市の津島神社にも見られる。


日本の牛頭天王信仰は遣唐使の吉備真備(きびのまきび)が中国から伝えたものだといわれている。吉備真備は日本の陰陽道(おんみょうどう)の祖と云われる。


本堂をお参り後、後ろのほうのかなり離れた木の上から妙なカラスの鳴き声が聞こえてきた。


「カッカッカッカッカ」と高笑いするように高い声で鳴いたかと思えば「ガァーガァーガァー」と低い声で鳴くことを繰り返していた。カラスの鳴き声は数十種類あることが現在までに解明されており、また鳴き声の回数にもそれぞれ意味があることが解明されているが、この鳴き声は一体何を意味しているのだろう。


カラスの姿は確認出来なかったが一応録音しておいた。


木山寺をお参り後は岡山県赤磐市の石上布都魂神社に向かった。

(つづく)