昨日のお参り(熱田神宮~津島神社) | この美しき瑞穂の国

昨日のお参り(熱田神宮~津島神社)

昨日は早朝5時前に和歌山を出発して西日本を後にした。電車が止まる前にいち早く西日本を脱出せねば帰れなくなるのでとにかく急いだ。

そして午前10時前に名古屋に着いた。



その頃の名古屋では太陽が出ていたので、せっかくだから今回の旅で元々締めに巡る予定だった熱田神宮と津島神社に立ち寄ることにした。


まずは熱田神宮を訪れると、真っ先に清雪門(せいせつもん)に向かった。


清雪門


清雪門は旧本宮北門で開かずの門とされる。


それは天智天皇の御世(668年)に道行という新羅(しらぎ)僧が清雪門から熱田神宮に侵入して草薙剣を盗む事件が起きたため、以来二度と盗まれないように開かずの門になってしまったといわれている。


道行は草薙剣を盗んで新羅へ逃亡しようと難波の津より船出したが、嵐により海が荒れて遭難し、結局日本へ戻ってきたという。そしてこれを神罰と恐れをなした道行は草薙剣を川に放り出して逃げ出したという。その地には放出(はなてん)という地名が残っている。


そして戻ってきた草薙剣は一時、難波の放出の地で祀られ、その後皇居へ遷されたが天武天皇が病にかかられた際に占いにより草薙剣の祟りだとされたため、以後熱田神宮に戻されたという。


今回の旅では昔草薙剣を祀っていたことがあるとされる放出(はなてん)の大阪の阿遅速雄(あちはやお)神社にお参りしてきた。ここが先日の記事天啓の神社である。


阿遅速雄神社(8月13日にお参り)



話を熱田神宮に戻す。清雪門を観た後は草薙剣が鎮座するとされる八剣宮をお参り。


八剣宮


そして熱田神宮拝殿にお参り。



熱田神宮をお参り後、愛知県津島市の津島神社へ向かった。



津島神社



津島神社拝殿


津島神社の主祭神は建速須佐之男尊(たけはやすさのをのみこと)。津島神社は全国三千社ある津島社・天王社の総本社である。


社伝によると建速須佐之男尊が朝鮮半島の曾尸茂梨(そしもり)から日本へ渡った後、出雲に荒魂(あらみたま)、対馬に和魂(にぎみたま)が鎮まったが、和魂は欽明天皇元年(540)6月1日に現在の津島の地に鎮まったという。


尾張津島という地名はホツマツタヱに登場する。ただホツマツタヱで記される尾張津島は文脈からして熱田のことだと思われる。それでも一応ホツマツタヱのエピソードを記しておこう。

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ヤマトタケの葬儀より9年後のヲシロワケ天皇53年8月、ヲシロワケ天皇は(御子である)ヤマトタケの生前の軌跡を辿ろうと思われ東国へ御幸された。そして尾張津島を訪れた際に尾張連オトヨがお迎えに上がり、オホマの殿に天皇は御自らお作りになられた和幣(にぎて)を奉り、『親子の交わりもほとんど無く別れてしまったので、忘れられずに自ら赴いて和幣を奉った。』と仰られた。


その日の晩、天皇の夢枕に白斎鳥(しらいとり)なるヤマトタケが現れてこのように語ったという。



『昔、大神(アマテル神)がソサノヲにこのように仰せられました。

『汝いかんぞ 地(くに)望む  陽陰法(あめのり)なせば  地(くに)の守(かみ)』

そしてアマテル神はソサノヲに君としての心構えを諭す歌を示しました。


天(あめ)が下  和(やわ)して巡る  日月こそ
晴れて明るき  民の父母(たらちね)


ソサノヲはこの歌の意味が分からず罪に落ち、高貴な身分を奪われて野をさすらうことになりましたが、甥のイフキヌシに拾われてヤマタノオロチ退治等の功により八重垣の臣となることが出来ました。


しかし(アマテル神の御孫の)ニニキネ尊はこの歌の意味を深く悟られ、ホツマの国を素晴らしく治めて天君(あまつきみ)となられました。ソサノヲはこのニニキネ尊を羨み、(ヲシロワケ天皇の元へ)仮の親子として再びこの世に生を受けました。』



夢の中のヤマトタケは父に感謝の言葉を述べた後、このような歌を歌った。


我が光る  晴(はら)みつ錦(にしき)  熱田神(あつたかみ)
本(もと)つ粗衣(しまわ)に  おれるか氷川

(私は今は晴れやかな衣を着る熱田神として祀られていますが、元は粗末な下民の衣を着た賤しい氷川神だったのです。)



このように三度述べるとヤマトタケは賤しい氷川神(ソサノヲ)の姿に変わり雲隠れしてしまった。


この夢を観てヲシロワケ天皇は我が子が自分の迷いを晴らすために出てきてくれたことを悟られた。そしてこのように仰せられた。

昔曰くは  神は人  人は神なり  名も誉れ
道立つ法(のり)の  神は人  人素直にて
ほつま行く  真(まこと)神なり


この夢告によりヤマトタケに熱田神の名を贈ったという。その後も天皇はヤマトタケ縁の地を御幸され、ヲシロワケ天皇54年9月30日に都へ戻られたという。

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このホツマツタヱのエピソードで尾張津島の地名が登場するので今回訪れたのである。ちなみに今回で三度目のお参りだが、過去二度のお参りでは改修工事中につき社殿の全容を観ることが出来なかった。今回のお参りで初めて社殿を拝することが出来た。


津島神社では今回初めて火水埴の清祓いを奏上して当地に光の御柱が立ちますように祈った。



津島神社から最寄りの名鉄線津島駅へ戻る頃には台風10号の影響で風雨がとても強くなっていた。そのため折り畳み傘が壊れてしまい、傘なしのずぶ濡れ状態でなんとか駅へ戻った。


そして当初名古屋で直会をしていく予定だったがこれ以上風雨が強まれば東海道線が運休する恐れがあったため、すぐに帰りの電車に乗った。



だが浜松に着くとまだ名古屋ほど台風の影響が出てなかったので途中下車して浜松餃子で直会。





大生二杯と浜松餃子二人前。餃子はいっぺんに持ってきたが冷めても皮がぱりぱりで美味しい。以前にもこの店を訪れ、同じメニューをペロリと食べたが今回は結構満腹になった。



この後は寄り道せず真っ直ぐ帰った。



今回の旅は当初和歌山北部の旅の後に紀伊半島を西側から南下し、闘鶏神社をお参りしてからすさみ町へケンケン鰹を食べに行き、翌日熊野三山をお参りしてから三重県熊野市の花の窟(いわや)を訪れ、最終日に名古屋へ行く予定だった。だが台風10号の影響により熊野詣でを断念し、名古屋行きも延期するつもりだった。


だが名古屋に着いた時、外は強風ながら晴れていたので行動可能と判断し、熱田神宮と津島神社をお参りしたのであった。これで今回の旅で巡る予定だった初めと終わりの神社を巡ることが出来たのだが、途中の熊野が抜けてしまったのである。



ゆえにまた日を改めて熊野へ詣でようと思う。