この記事には映画およびブロードウェイ・ミュージカル「ディアエヴァンハンセン」のネタバレが含まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさん、映画「ディアエヴァンハンセン」はもうご覧になったでしょうか?

この映画は同名のブロードウェイ・ミュージカルを原作にしています。

ブロードウェイ版のメイン・ヴィジュアルはこんなかんじ。

顔が見えないのは舞台だと主演のキャストが変わるからでしょうか。

 

この映画、ブロードウェイ版と違うのはメイン・ヴィジュアルとキャストだけではありません。

映像化するに当たり、キャラクターやストーリーに大きく変更や追加が行われています。

舞台では成立するが映像では不可能な演出を補うためであったり、ミュージカルや舞台に馴染みのない観客にストーリーラインを理解してもらうための簡略化も含まれます。

また、舞台は生ですから、実はロングラン上演の最中に脚本とか演出とか変わることも多いんですね。

ただ映画だとそうもいかないので、一発で観客の最大公約数にバチッとハマるようになってたりします。

 

僕はブロードウェイ版そのものを観劇したわけではないのですが、作品の音楽に惚れ、シナリオブックを購入し、そして、

 

 

 

 

急に文字が自己主張してすみません。

つい自慢したくて暴走してしまいました。

機械翻訳使いまくりなんで意外となんとでもなります。Thank you, Google & DeepL.

 

シナリオブックはここで買えます。電子版だけじゃなくてペーパーバック版もあるみたいですね。

 

 

そんなわけで一応ブロードウェイ版のストーリーは全て知っているのですが、その上で映画を観ると「えっ!」となったり「あっ、そうするんだ~」となったりしました。

映画を観た方でも、ブロードウェイ版との違いを知ればさらに物語を深く知ることが出来るのでは?

と思い立ちまして、非常に乱暴にではありますが、その違いを記事にしました。

 

ただ、まともに全部解説していくととんでもない長さになってしまうので、一先ず「キャラクター」「ストーリー」「楽曲」に記事を分けて書いていこうと思います。

今回は第一弾として

登場キャラクター

の変更点について述べていきます。

前置きがずいぶん長くなりました。以下が本編です。

 

 

ディアエヴァンハンセンには主要登場人物が8人います。

それぞれについて解説していきましょう。

 

1.エヴァン・ハンセン

ストーリーの変更の影響を受け、受け身なキャラクターになっています。

ブロードウェイ版では積極的にコナーとの思い出を語ったり(一幕六場)、コナー・プロジェクトの発案者もエヴァンだったりします(一幕十二場)。

また、映画版にない要素として自分の中にいるコナーと会話するシーンが出てきます(一幕十二場・二幕八場)。これは映像化すると不自然になるということでカットしたと監督がインタビューで答えていました。

それから、エヴァンのSAD(社交不安障害)の描写なのですが、ブロードウェイ版では手汗という形で表現されています。映画ではより分かりやすく吐き気でしたね。

ちなみにエヴァンは17歳ですが演じているベン・プラットは撮影時26歳です。

僕自身15歳のときに30歳と間違われたことがあるので、老け顔の高校生と思えば個人的には違和感なかったです。

 

2.ゾーイ・マーフィー

彼女はそこまで大きな変更点はありません。

兄との関係に悩み、兄の死後は環境の変化に戸惑い、少しずつエヴァンに惹かれていく、ヒロイン然としたキャラクターです。彼女の周りのキャラクターに変化があるため、それに応じて役割が微妙に変化したりはします。

 

3.コナー・マーフィー

出番が大幅に変わっています。

エヴァンの項でも書きましたが、ブロードウェイ版ではエヴァンの中にいる存在としてエヴァンが一人でいるときに現れ彼に問いかけます。

ちなみに幽霊ではないです。シナリオのト書きにも

”And suddenly Connor is ther beside him. There is nothing spectral or spooky about Connor's presence, and Evan is not at all surprised to see him.”

「すると突然、彼の隣にコナーがいる。コナーの存在にはまったく霊的なものも不気味なものもなくエヴァンは彼を見ても全く驚かない。」

とあります。(一幕十二場)

嘘をついていることに悩むエヴァンの自問自答の相手として現れます。

なので、生きているコナーとは全くの別人格であり、おそらく役者さんもエヴァンの別側面として演じているのではないかと思われます。

ここがカットされているので、”Disappear”(消失)という曲が映画版ではオミットされています。

しかし、映画版ではラストシーン、更生施設でギターを弾きながら歌うシーンが追加され、それに伴ってソロ歌唱曲として”A Little Closer”が追加されました。

ブロードウェイ版では生きているときのコナーは手紙を奪って立ち去ったあとからは一切出てきません。なので生きているときのコナーの印象が映画版とは大幅に変わります。

本人が現れるのはほんの二場であり(一幕一場・一幕二場)、あとは伝聞で傍若無人な性格が描写されるのみです。

 

4.アラナ・ベック

おそらくすべてのキャラクターの中で一番変化があったのが彼女です。

まず重要度が違います。

映画版のラスト・クレジットで彼女を演じるアマンドラ・ステンバーグさんの名前はエヴァン、ゾーイに続いて3番目に出てきます。

ブロードウェイ版のシナリオブックでは彼女の名前は8番目です。

映画化にあたりプロデューサーも務めた脚本のスティーブン・レヴェンソンさんはアラナにとても大きな役割を与えました。コナー・プロジェクトの発案者であり、エヴァンとは違うタイプの孤独に悩むティーン・エイジャーという役割を。

ブロードウェイ版のアラナははっきり言って「嫌な女」です。僕の多少の偏見はありますが。

映画版と違い、学生団体の代表をいくつも勤めていません。友達作りを少し下に見たようなセリフもあります。

”Even though I was so busy, I still made some great friends. Or, well, acquaintances, more like.”

「忙しかったけど素晴らしい友達ができた。あ、まあ知り合いってとこかな」(一幕一場)

またコナーが自殺した際、真っ先にコミュニティを作りますが、それは自分がコミュニティの中心になるためであると露骨に示されます。

映画版では”The Anonymous Ones”の中で「隠すのは上手だけど楽なわけじゃない」と歌っていましたが、ブロードウェイ版では隠せてすらいません。

出しゃばりで仕切りたがりの委員長タイプ、しかしその理由は何者かでなければ消えてなくなってしまう恐怖からです。彼女はコナー・プロジェクトに半ば依存しその成功にこだわり、結果として、彼女はコナーの遺書をいささか衝動的にネットにアップロードしてしまいます。

その後彼女はラストシーンまで舞台に現れません。炎上を恐れ雲隠れしてしまいます。

 

5.ジャレッド・カルワニ

役名が違います。シナリオブックにある役名はジャレッド・クラインマン。これは演じている俳優さんの人種によるものだと思います。映画版を演じるニック・ドダニさんはインド系なので変更されたのでしょう。ブロードウェイ版ではユダヤ系です。

人種が変わったことによるセリフのカットというのも無いわけではないのですが、彼の場合は出番そのものがかなりカットされています。

例えばコナーが自殺したあと、ジャレッド・クラインマンはコナーの名前が入ったバッジを作り一儲けしようと企むシーンがあります。これは映画版で明確にカットされた要素です。(一幕十二場)

”Exactly. We are at the peak. Which is why I've got to move these buttons before the bottom drops out of the Connor Murphy memorabilia market. Because pretty soonm there will be some Third World tsunami to raise money for, and Connor will just be that dead kid whose name no one remembers”

「その通り、今がピークなんだ。だからこのコナー・マーフィー記念特需が収まる前にバッジを売り抜けないと。どうせそのうち第三世界に津波なんかが来て募金が流れちまう。そうなったらコナーは名無しの死人だ。」

ただ、この露悪的な態度も彼が自分に被せているキャラクターである可能性が大いにあります。彼は常にエヴァンをバカにし斜に構えて世の中を冷笑します。それも彼がエヴァン以外に話す友達がおらず、孤独を感じ続けているからこそ何者かになりたい、居場所がほしいという魂の発露が形をなしたのかもしれません。

また、コナー・プロジェクトが発展するにつれ、ジャレッドはエヴァン、アラナの二人から疎外感を感じるようになる描写もあります。映画版だと一人スピーチをするエヴァンを、一人音響席から眺めるといった形で示唆されていますが、セリフを含めてより露骨に表現されます。

 

6.ハイディ・ハンセン

エヴァンの母親で、看護師として働いています。

ブロードウェイ版ではそれにプラスして、パラリーガル(弁護士補助員)になるために夜間学校に通っています。なのでエヴァンとの時間はより少なくなっているでしょう。

またブロードウェイ版ではオープニング・ナンバーとして二人の母親が子育てに悩む”Anybody Have A Map?”という歌唱があるのですが、その中で息子エヴァンと会話をうまく続けられないことに悩む一面が強調されます。

 

7.ラリー・マーフィー

映画版から入った人には一番衝撃が大きいかもしれません。

ブロードウェイ版ではコナーとゾーイの実父です。

実の父でありながら、コナーの子育てには完全に諦めが見えます。”Anybody Have A Map”の中では食卓でバッド・トリップに入った息子に義務的に声をかけるだけで真剣に向き合おうとしません。

この曲の中でマーフィー家が完全に家庭として崩壊していることが示されます。

父親は家庭を顧みず、息子は非行に走り、娘は兄と罵り合い、母は必死に家を纏める。

そんな情景が描写されます。

ちなみに、映画・舞台共にラリーの職業は弁護士です。オフィスが日本人の考える弁護士事務所の様相と違うので初見ではわからなかった方もいるかもしれません。

そんな稼いでいる弁護士であるラリーは、ハイディをパラリーガルとして雇いましょうかと完全な善意で持ちかける場面があります。映画でもあったマーフィー家にハイディを招く場面でです。

その際にハイディが受けた恥ずかしさは痛感するに余りあります。

 

8.シンシア・マーフィー

映画版に比べてブロードウェイ版では少々地味です。

映画ではエヴァンの果樹園での作り話はシンシアの誘導尋問のような形になっていましたが、舞台ではエヴァンが自ら思わず口に出してしまうところから”For Forever”が始まります。

また、キャラクターとしては抑圧された専業主婦の面が強く出ているのかもしれません。

映画版に比べ誰かに依存するような性質が強くあります。夫であったりエヴァンであったり。バイタリティの強いハイディとの対比で、家庭的で守られる女性としての役割を与えられています。

 

映画を観た方がこの記事で新たな知見を得られれば幸いです。

次は【ストーリー編】でお会いしましょう。

それでは。