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Surf’s-Up

音楽の話を中心に。時にノスタルジックに

Syrup16gが好きだった、旅立つ「君」にこの曲を送ります。






いつのまにか
ここはどこだ
君は何をしてる

乾かぬまま
白いシャツは
風に揺られ飛ぼうとする
大空へ

歩道の上
うつぶせでも寝れる
ひんやりしてる

渦の中
覗き込めば見える
恥ずかしい気持ちが
それとなく

いいさ どんな言葉でも
受けるよ
いいさ どんな言葉でも
受けるよ

知らせるさ 君には
きこえるかい
知らせるさ 君には
きこえるかい


今日は一日ぼんやり過ごしていた。


外に一歩も出ないで。




年間に数日あるかないかっていうくらいの籠もりっぷり。




明日から4月。


まだ感傷的な気分は抜けきっていない。


むしろどんどん増しているかもしれない。




この歌のように何度も何度も考えている。




http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND19577/index.html



今日は最後の出勤。
あっさり終わって、今焼き鳥屋で飲んでます。

野球を観ながら、ちびちびと。

決して悪くはないシチュエーション。でも今日はとてつもなく寂しい。

今の職場の勤務が終わります。




ここ1週間は残務整理で、それも火曜日くらいには終わっちゃって。




今日までは、人の仕事ばかりしていました。




今の学校は7年勤務したんですが、




最初の頃は辛くて辛くて、「異動したい」




いや「仕事辞めたい」とさえ思っていました。




それが年々愛着が湧いてきて




良い子ども達、良い仲間にも恵まれて。








なんか辛いです。




通勤途中「もうこの道を通らなくなるんだなぁ」とか




空っぽの机を見て、自分の席がなくなるんだ、とか。




胸がギュンギュンニ切なくなってます。




寝たら明日になっちゃうので、なるべく寝ないぞ。






別れ、というと昔からこの曲が浮かんできます。




これは中学生の頃自分が転校するときに




友達がラジカセでかけてくれた曲です。




未だに強烈に記憶に残っています。




寂しさと感謝が入り交じって、何とも言えない気分です。




でもやっぱり、お世話になった皆さん、ありがとう




と明日は笑顔で伝えたいです。






昔は「待つ」ことが嫌いだった。


でも、今ではすっかり変わった。


いつまでも待ち続ける人になってしまった。


帰りでも、電話でも、メールでも。




いろんな事・いろんな人に「取り残されてしまう」人間にとっては


ひたすら待つ事が、救いの道であるような気がするんだ。




それは田舎の駅に止まる、一日一本の列車のようなもので。


タイミングを逃さぬよう、静かに待っているしかない。




波や流れに乗れない、誰にも望まれない


そんな風に生きてることに自分は大分慣れてしまった。


慣れてしまえばそう悪いものではない。




そんなことを考える夜は


たいていCloud Nothingsを聴いている。


最近は1stやシングル・コレクション集Turning Onをよく聴く。




それは彼らの曲の中にいる主人公が


みんな「はみだして」いるから。




もう、見事に一人で、好きな人にも上手くはぐらかされて


世の中の流れを傍観しているだけ。




もうリアルすぎる。





7月に岩見沢で行われるJOIN ALIVE というフェスがある。

これ、毎年ハーフマラソンと重なっていて行けなかった。


場所も、いわみざわ公園というイマイチなところ。

正直、あんまり好きじゃないロケーション。

だから今まであんまり行こうという気持ちにならなかった。


で、

今日、アーティスト第一弾発表


ふむふむ、一応目を通してみるか・・・







なにっ!!



星野源が!!!



行こっ!

あと1週間。


とても感傷的な気分だ。


ちょうど1月の末もこんな感じだった。


あの頃は眠れなくて食べられなくて。



返信は来ないけど、何度かメールしてみる。


やっぱりすぐに返事は来ない。


そんな余裕は今ないんだろうな。


というよりは、


今そこに、君はいない、って感じなんだろう。



そう、この歌みたいだ。



この歌詞、素晴らしい。


特に最後の2行


「ときにウィンターは 切ないけれど


そばにあんたが いないのだけど」



それは仕方のないこと。


でもやっぱり、やっぱり悔しい。


現実を蹴り倒してやりたい。



でも、蹴り倒すくらいの力があるのなら、


痛みを受け入れる力もあるはずなのだ。



僕はこの1週間、笑って暮らす。


いっぱい食べて、いっぱい寝てやる。

絶対に。

4月から職場が変わるんだけど、


新しい環境に胸躍ることはなく


むしろ不安の方が大きい。




それは自分が極度の人見知りだから。


他人に言わせると、「そんなことはない」ってなるんだけど、


人付き合いにはかなり消極的な方だと思う。




休みの日もそんなに人と会わないし


自分から誘うって事が、ほとんどない。


それは別に一人が良いってことではなくて


自分に付き合わせてしまうことに、


微妙な後ろめたさを感じるからだ。




メールや電話なんかもそうで


自分からすることがほとんどない。


これも「したくない」「はずかしい」ってことではなくて


自分が必要とされれば、自然と来るだろうという


基本「待ち」の姿勢だから。




自分が親しくしている人は


ほとんどが家族持ちか恋人持ちだ。


あ、一人って本当に少ない。


特に休みの日は


家族や恋人とゆっくり過ごしたいはずだ。




そんな中にメールや電話をするって事ができない。




って話を、先日会った友人に話したら


「そんなんだから、おまえ面白いんだよなぁ。


高校生の時からそんな感じだから


なんかちょっかいかけたくなる」って言っていた。




ちなみに彼は朝だろうが夜中だろうが


ガンガンメールや電話を寄越します。


でも彼は、自分のそんな考え方が理解できないって言うんじゃなくて


「こっちからするからちょうどいいじゃん」と軽く流します。


「人は必要とするところでお互いが近づくわけだし、


そんな風にしていたって、必要とされれば必ず向こうから近づいてくるものだよ」と。


面と向かっては絶対褒めないが


ずいぶんと素敵じゃないか。




世の中はそんな風にして釣り合いが取れているのかもしれない。


でも、そのバランスは実に繊細なものなんだよな。




10数年使い続けたCDラックがあります。

増え続けるCDをどう整理しようか考えていたときに

引っ越しのついでに買おうと思い

通販で購入しました。


届いたときのうれしさは今でも覚えています。

持ってたCD全て収まったときの感動。


以来、「彼」は僕のスペースの中心に常にいました。

1日1回は必ず向き合って、会話もしていました。


それが、ある日収納に限界が来まして

最初買い換えようかとも考えたんですが

彼とお別れするのは寂しいと思い

追加の棚を自作しました。


はじめは一つだったのが、一昨年にもう一つ追加。

そして今年さらに、もう一つ。

本棚も似た規格で作りました。


すると、どうにも彼の存在が部屋から浮いてしまう。

簡単に言うと、インテリアとしてのバランスが取れないんです。


それでも、どうにか再利用できないかと本棚に改造しました


でも、なんだかそれは「エースの4番」が「控え」に回ったような寂しさで

結局元に戻しました。


やはり思い切って処分した方が良いのかと考えていたときに

「移籍先」が見つかりました。


用途はもちろん(いや、たぶんか)CDラック。

よかったよかった、とホッとしました。


今は我が家の玄関で、ひたすら次の出番を待っています。

空っぽの彼にすごく違和感を感じちゃって。

なんだか不安そうなので、少しでも早く移籍させてやりたいんですけどね。


自分と長い時間をともに過ごしてくれた

良い友達でした。


今までありがとう。

ついに家に届きました。


小沢健二「我ら、時」


詳細は後日アップします。


あと、今更ですがTwitter始めてみました。


とはいっても、2年ほど前に取得はしたんですが


全く使っていませんでした。


続くかどうかはわかりませんが。