心理カウンセラーの魔法の子育て -13ページ目

心理カウンセラーの魔法の子育て

心理カウンセラーから見た子育てのポイントと、ただの日記。NLPやコーチング、潜在意識など、最新の心理学理論を子育てに活用しましょう。

自宅でPCに向かっていると、ガチャっと玄関が開く音がする。

「ととー。」と元気よく帰ってきた娘、8歳。

一目散に僕の所に来て、

「とと、あんな。ととが好きそうな本借りてきたったで。」と、図書館で借りた本を見せてくれる。

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「お…、おう。ありがとう。」と僕は言う(笑)

「ほ~。ヘラクレスやな。ほ~。アトラスオオカブトやな」と。

そしてオフィスに仕事に行って、夜に帰って来たら、寝る前の娘がまた本棚を指して僕に言う。

「とと、あんな。ここにカブトの本置いとくからな。いつでも見たくなったら見てええからな。」

「お…、おう。ありがとう。」と僕は言う。

自分が育てている気でいるけど、彼女も彼女でまた僕を育てているのだろう。

うん。読んでみるか…汗
みなさん。こんにちは。
前回の記事では、たくさんの反響を頂きありがとうございます。

あの記事はあまりに個人的な内容で人様の参考になるようなものでもないので、ボツにするかどうか長い間迷っていたのですが、アップして良かったです。

そして、そんな個人的な記事に反響いただき、嬉しく思います。ありがとうございました。

********

今日は打って変わって、お役立ち系のお話をしますね。

子育てや人間理解に役立つ心理学のお話しです。

一言で心理学と言っても、世の中には沢山の流派が存在していて、それぞれが独特の世界観と体系をもっています。

そのどれが正解でどれが間違いというわけではなく、どの流派もある側面での真実として、『人の心』という奥深い世界を様々な角度から説明してくれています。

心理療法家である私たちは、そういった様々な心理モデルを並列的に理解した上で、目の前のクライアントに役立つ心理モデルをその都度選択して、その世界観と技法を使って解決へと導いていくわけです。

ですが、子育てをするお母さん(お父さん)は、そんなヤヤコシイ話に付き合ってる時間はありませんよね。

サクッと理解できて、今日から使えるような実用的な心理学でないと、なかなか役に立たないと思います。

そこで、このブログでは、そういった心理学の『オイシイどころ』を定期的にお伝えして行きたいと思っています。

ということで、記念すべき一回目。

まず最初に学んでいただきたい心理学。

それは、

『交流分析』

です。

交流分析とは精神科医のエリック・バーンによって提唱されたうにゃむにゃむにゃむにゃ……省略します…詳しくはWikipediaでどうぞ!(笑)

私の言葉で言うと、交流分析とは、それを知ることで人間関係はもちろん、子育てにも大いに役立つ、まさに生きるに役立つ心理学です。

その中でも、特に子育て中のお父さんお母さんに知っておいていただきたいのが、『自我状態のモデル』と呼ばれる考え方です。

通常、私たちは自分というのは1人の存在だと思っています。

でも私たちの自我の中には、

・親の人格

・大人の人格

・子供の人格


の3種類の人格が共存しているとエリック・バーンは言います。

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親の人格とは、父のように厳しく律したり、母のように面倒を見るような人格。

大人の人格とは、会社の会議の席で対等に意見を交わしている時の人格。

子供の人格とは、自由に遊び心を発揮していたり、従順だったり反抗的だったりする人格。

そして、人によって「親」の人格が大きい人もいれば、「子供」の人格が大きい人もいて、その配分はそれぞれなのですが、

この人間理解のモデルが秀逸なのは、その配分は固定されたものではなく、人間関係の中で変化するものとした点です。

例えば私の娘を例に見てみましょう。

普段の私は当然の役割として「親」の人格で娘と接していますので、娘は「子供」の人格で私に接します。

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遊んであげる「親」と、遊んでもらう「子供」というコミュニケーションがメインになっています。親子という役割上、当たり前のことですね。

ところが、そこに年下の姪っ子達が遊びに来ました。

すると自分より小さな幼児と接する場面になり、娘の中に急にお母さんのような人格が出てきて、姪っ子を抱っこして面倒を見たり、遊びを仕切りだしたりします。

娘の中に「親」の人格が現れたのです。

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姪っ子が娘の中に潜んでいた「親」人格を引き出したのです。

娘の中にいた「親」の人格は、父親である私との関係の中では出てきにくかったのだけど、姪っ子との関係では引き出されたわけです。

これが、関係性によって配分が変わるということですね。

そして、この理論を発展させると、面白くなってきます。

「うちの子はいつまでたっても子供のままで、ワガママ放題で困っている…。」と、親である私たちは、そう言いたくなる場面が多いものです。

ですが、この理論を使って、その場面を説明すると、

親である私たちが、「親」というポジションを取り続けることで、子供の中にある「親」の人格や「大人」の人格を抑圧してしまっている。子供を「子供」ポジションに固定させてしまっている。

と言うこともできるわけです。

こうして見てくると、この心理モデルの豊かな使い道が明らかになってきます。

【実践してみよう】

つまり、私たち親が「ちゃんとしなさい!」と言って「親」のポジションを取るだけではなく、時にはあえて「子供」のポジションを取ることで、子供に備わっている「親」の責任感や自律心を引き出すこともできるのです。

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具体例を見てみましょう。

随分前の話ですが、妻が外出していて、私と子供たち2人で過ごしていた時のことです。私も午後の仕事の時間になり、子供達を残して出て行かなければならない状況になりました。

小さな子供達2人だけで留守番してもらうわけです。そこで私はあえて以下の様なやり取りをしました。

私「のん。ひな。お父さん、そろそろ仕事に行ってくるわな。」

娘「うん。行ってらっしゃい。」

私「のん。ひな。あんな。ここにな。お菓子があるで(笑)ちょっとくらいやったら食べてもバレへんのちゃう?」

娘「も~。お父さん。お菓子は3時になるまで食べたらあかんのやで。」

私「ふ~ん。でも、食べてもバレへんで!」

娘「あかんのやで、ちゃーちゃん(お母さん)と約束したもん。」

私「ふ~ん。じゃあ、お菓子はのんの横に置いとこっと…ぐししし(・´艸`・) 美味しそうやなぁ。」と、あからさまに悪い顔をして、沢山のお菓子を、遊んでいる子供達の横に起きました。「食べたくなるんちゃう~?」

娘「食べへんもん!」「食べへんわ!」と2人でムキになって言います。

私「ふ~ん。そっか。じゃあ、お父さんは仕事行ってくるわ。誰も見てへんから、ちょっとくらい食べてもバレへんと思うけどな。ぐししし(・´艸`・)」

娘「も~。食べへんもん! 早く仕事行きーよー!」

私「はいはい。行って来ます。」


こうして追い出されるように仕事に行きました(笑)

私自身が「子供」の人格(反抗的な子供)を表現することで、子供たちの中の「親」の人格(厳しく律する父親)を引き出して、それを体験させたのですね。

大人の人格を引き出すことで、「2人での留守番が心細い」という「子供」特有の不安も消し去ることに成功しました。

後で家に帰ってから妻に聞いてみると、子どもたちはお菓子を食べなかったことを誇らしく自慢していたそうです(笑)

つまりこのコミュニケーションによって子供達に、『誇り』や『自尊感情』をプレゼントすることができたわけですね。

もし私が常に「親」の人格で、

「良い子にしとかなあかんで!」とか「勉強しなさい!」とか「お菓子勝手に食べたらあかんで!」
と言い続けたとしたら、この子達はいつまで経っても「子供」の人格に閉じ込められてしまい、「親」や「大人」の人格を体験する機会を失ってしまいます。

それはとてもモッタイナイことですね。

今、この瞬間に、子供の中にある「親」「大人」「子供」の、どの人格を引き出せば良いのか?

そのためには自分が今どのポジションを取るべきなのか?

そうやって自分の人格を選べるようになると、子供のいろんな側面を引き出すことができるようになります。

それは子供の心を耕やし、まだ小さく頼りない新芽に光を当てるような、貴重な教育となります。

【完璧を求めない】

いかがでしたでしょうか?

こういうお話をすると、「難しそうだ」とか「私にできるかな」とか、心配する声もあるとは思いますが、大丈夫です。100%実行する必要はありません。

学んだことの10%でも20%でも使いこなせれば大成功だと思って下さい。

あなた自身の心に余裕がある時に、「子供の違った人格を引き出してみよう!」と思ってゲーム感覚でやってみてください。意外に簡単で面白いと思います。

大切なのは、遊び心と、結果を期待しないこと。

それでは、次回も引き続き、この『自我状態のモデル』を使ったコミュニケーションの実践例をいくつかご紹介したいと思います。

お楽しみに。


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おもむろに私の人生語りから始まりますが、

私は高校生の頃、多感な時期の男児の多くがそうであるように、ロックや文学などのカウンターカルチャーにどっぷりとハマっていました。

この世界のダークサイドを見てみたい、できれば体験したいと思ったのですね。

そうなると、どこまで行っても平凡を絵に描いたような、自分の生まれというのがなんとも憎らしく物足りなく思えたものです。

少しは気の利いた毒のあるエピソードでもあれば良いのにと。

今の言葉で言うと、「中二病をこじらせた」となるのでしょうか。

私が求めたものとは違って、我が家の属する世界観は「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」が象徴するような、どこまでいっても平凡で何の悪意も無い優しい世界でした。

そんな守られた世界に私は生きていたわけです。

それは自分の特異性によってアイデンティティーを打ち立てようとする高校生にとっては、恨めしいほどに物足りないものでした。


そして、そんな私も歳を重ね、30代になりました。

カウンセラーとして沢山の人の生きた歴史に触れるようになり、凄惨な家庭環境を生きた人達の痛みを追体験するようになって初めて、

私が恨んだ平凡さというものが、誰にでも当たり前に与えられたものではなく、先祖より引き継がれた財産であることを知りました。

カウンセラーというのは心を壊しやすい職業です。

毎日クライアントの残酷な過去や痛みの中に一緒に入って行き、それを証人として目撃し、癒しへの道筋をガイドします。

そんな作業を繰り返しながらも私の心が病むことなく、あっけらかんと平穏を保っていられるのは、私の心がとてつもなく強固で揺るぎない「平凡さ」の中に属していて、その世界観によって守られているからです。

そして、私がカウンセラーとしてクライアントに与えている重要な価値の1つが、この平凡な心であることにも気付きました。

この世界がどこまでいっても平和で、何一つ悪意が無く学びしか無いという確信。人生に対する信頼感。

それが私の雰囲気からクライアントに作用して、恐れに固まっていたクライアントの心を緩めるのです。

親から受け継いだ平凡さこそが、カウンセラーとしての私が提供している価値であり武器であり、食うための力だったわけです。

そしてそんな私も子供を授かり、父親になりました。

子供の小さな手を握って一緒に街を歩く時。そのおぼつかない歩みと小さく弱々しい生命を父親として見守っている時、

この平凡で安全な日常を維持することに、両親がどれほどの思いを注いだのか、その祈りに似た心情を理解して、はっとさせられるものがありました。

当たり前に続いているようなこの平凡な日常こそが、世の親達が心血を注いで守ろうとしてきたものではなかったか。

小さな我が子の寝顔を見て思います。

この子たちの生きる今後の人生が永遠に平和で安らぎに満ちたものでありますようにと。

もしこの子たちの今後の人生に痛みや苦しみや哀しみがあるとしたら、その全てを自分が肩代わりできたらいいのにと。

どうやら、そんな祈りのような成分で、この「平凡さ」は作られていたようです。


私は日曜日に仕事が早く終わると、子供達を連れて近所のホームセンターに行きます。

そこで子供達とあれやこれやと買うわけでもない商品を見たり、ペットコーナーで飼うわけでもないインコに勝手な名前を付けたり、絶品のたい焼きをベンチに座って一緒に食べたり、そんな時間を大切にしています。

少し時間ができたら「たい焼き食べに行こか!」と誘い、一緒にご機嫌でそこに向かう。

毎回毎回同じ事の繰り返し。

お気に入りのインコが売れたら一緒に淋しがり、代わりに子犬を眺める。そしてまたたい焼きを食べて帰る。

そんな時間が何より大切なのです。

きっと子供達は遠くの遊園地に連れて行った方が喜ぶでしょう。そんな非日常も時には良いものです。

でも私がしているのは、こうした平凡な日常の繰り返しを通じて、子供達の心の中に確固として揺るぎない平凡な日常の景色を作ることなのです。

子供達の胸に「平凡さ」という刻印を押すことなのです。

この子たちもやがては歳を重ね、世の中のダークサイドを見ていく時期が来るでしょう。それは人の精神の成長には不可欠なものだから。

過去の私がそうであったように、暗く危険な世界を欲し、そこを通過するのでしょう。それは避けがたいことです。

でも、生まれ育った川に帰ってくる魚のように、人の心もある時期が来たら慣れ親しんだ世界に帰ってくるものです。

その時、この子たちが迷わずに帰って来られるように、そしてまたこの平凡で安全な日常を生きられるように、私はこの子たちの記憶の中に「平凡さ」という目印をつくりたいんですね。

たい焼きを食べながら。飼わないインコに名前を付けながら。この子たちの心の中に見まがうことのない目印を付けているのです。

決して道を迷わないように。

平凡な風景がこの子たちを守りますように。

学校に行きたくない!という問題を使って、子供達に感情の扱い方、セルフコントロールの方法を教えることができます。

その時、朝のグズり問題は、我が子を教育する最高のチャンスとなります。


********************

みなさん、こんにちは。GWが開けて今日からお仕事ですね。僕もカウンセリングの日々が始まります。

そしてそれは子供達にとっても同じ事で、楽しかった連休が終わり、学校生活が始まります。

今日は連休明け初日だったからか、朝から下の娘(小1)が「がっこういやぁ~! 行きたくないぃぃぃ~!」と、ものすごい声でグズっていました。

ほとんど咆哮と言っていいような強烈な叫びだったので、これは一筋縄では行かないな(-_-;)と感じました。

こういう時みなさんはどう対処されていますか?

行きたくないからと言って、休ませるとサボり癖が付くだろうし、結局は無理やり引っ張ってでも登校させることになるのではないでしょうか?

まだ小さな幼稚園児であったり、グズり方が軽い場合はそれで良いと思うのですが、あまりに本格的に体全身で嫌がっている場合はどうでしょうか?

無理やり引っ張って登校させると、それはそれで子供の心にトラウマとして刻み込まれるリスクも否定出来ません。

「自分は行きたくないのに行かされた」という被害者意識を植え付けたり、余計に学校嫌いにしてしまうかもしれません。

あるいは「自分の嫌な気持ちをコントロールできなかった。結局大人の強制力によってしか動けないんだ」という無力感を学ばせて、子供の自尊心を傷つけてしまうかもしれません。

それはできれば避けたいことですね。

でも、だからと言って学校を休ませると、自分の怠け感情に屈したことになり、サボり癖が付いてしまうかもしれません。

この問題の難しいところは、

結局どちらを選んでも負けである点です。

子供にとっても親にとっても負けである点です。

どちらを選んでも、マイナスの学びを与えてしまうのです。(少なくともそのリスクがあるのです。)

では、子供が学校(幼稚園)に行きたくない!という場面で、大人である私たちはどこへ導けば良いのでしょうか?

どうすればこのゲームに勝つことができるのでしょうか?

それは、休ませることではなく、無理やり連れて行くことでもない第3の道を選ぶことです。

つまり、

子供自身が自分の中に芽生えた「学校行きたくない!」という感情と向き合って、それを変化させて、自分で納得した状態で学校に行けるように導くことです。

言うは易し行うは難し…。

果たしてそんなことが可能なのでしょうか?

それが、可能なのです。

朝の10分から15分もあれば可能なのです。

実際に今朝の我が家ではそれが行われました。

泣き叫んでいた子が、15分後には静かにご飯を食べ始め、

30分後にはランドセルを背負って「まだ~? 早く行こうよ~(・∀・)!」と一緒に行く姉に催促していました。

どのような援助によってこの変化は起こったのでしょうか?

今日は実録でその方法をお伝えしたいと思います。

【なぜ行きたがらない子がいるのか?】

その前に少しお話を。

もしかしたら、お子さんが学校に行きたがらないことで、「自分の育て方が悪かったのかなぁ…」と、自分の子育てに不安を感じている方もいらっしゃるかもしれません。

あるいは自分を責めてしまっているお母さんもいらっしゃるかもしれません。

でも心配はいりません。

兄弟の多い方は実感されていると思いますが、同じ育て方をしても、ノリノリで学校に行きたがる子もいれば、なぜか行きたがらない子もいます。

幼稚園や学校に行きたがらない理由は、あなたの子育ての問題ではないのです。

それではなぜ学校に行きたがらないのでしょうか?

この理由を明確に説明するにはとてもヤヤコシイ心理のお話を長々としなくてはならなくて、それは私にとっても、きっとあなたにとっても不幸なことなので(笑)省略するとして、ここでは大切なことだけをお伝えします。

それは

・学校に行きたくない理由を問い過ぎると、余計に行きたくなくなる。

ということです。

勿論、もしかしたら学校でいじめがあったり、現実的な問題を抱えている可能性もありますので、原因を問うことは大切です。

親である私たちは、子供がそういった相談ができやすいようなオープンな雰囲気を作ってあげることが大切です。

特に学校好きだったのに急に行きたがらなくなった時には、原因を訊いてあげることが大切です。

でも、そういった場合を除いて、多くの場合は学校の行きたくない理由を訊いても、明確な理由が出て来ません。

うちの子に訊くと「ずっとイスに座ってるのが嫌やから…」と言っていました(笑)

それは確かに原因の1つなのでしょうが、朝の異常な嫌がり方の理由としては弱く感じます。

ではなぜグズっているかというと、

・実は学校に行きたがらない理由は、本人にもわからないのです。

なぜかすごく嫌で、心が行きたくないと言っている。そんな自分の反応に本人もまた困っているのです。

だから、ここで「なぜ行きたくないのか?」という原因に、あまりこだわらないようにしてください。

原因を問いすぎると、脳の機能として、与えられた質問に無理矢理にでも答えを見つけようとしてしまいます。

つまり、行きたくない理由を検索し続け、発見し続けてしまいます。

そういえば友達と仲良くなれていないな。そういえば先日◯◯ちゃんがいじわるなこと言ったな。そういえ担任の先生が2組の先生より怖いな。などなど…、

これまでは気にしていなかった些細な出来事が、原因として検索されつづけ、行きたくない理由として定義されていきます。

その結果、子供は「学校に行きたくない」という思いと立場を強固にしてしまいます。

だから、原因にこだわり過ぎることには注意してください。

先に言ったように、学校に行きたがらない理由は、本人にもわからないのです。

そして私が今日お伝えしたい最も大切な点。

それは、理由など分からなくても、そのイヤイヤ病は瞬時に治すことができるということです。

では早速、実践法をお伝えしましょう。

今朝、私が実際にやったこと、言ったことを、そのまま書きます。(関西弁ですみません!)

生の現場に触れてください。理論は(カッコ)の中に補足しました。

それでは御覧ください。

【学校イヤイヤ病を解消する方法】

「がっこういやぁぁぁあ」と泣き叫んでいる子供をまずはそのまま、「そっか~行きたくないかぁ。」と受け止めてあげました。行きたくないと思うことは悪いことではなく、良いことでもなく、たんなる事実です。

そういったニュートラルな気持で子供と向き合います。

そして、しゃがんで子供と同じ目線になって、軽く抱擁してあげながら次のように言いました。

「美奈(仮名)の心の中に学校に『行きたくない~』って言ってる子がいるんやな。そっか~。でも行かなあかんって思ってる子もいるなぁ。

美奈の心の中で行きたいって思ってる子と、行きたくないと思ってる子と二人いて、ぶつかり合ってるんやな。

行きたくないし、行かなあかんし、どっちも進まなくなってるなぁ。わかるわかる。大丈夫や、美奈。そんなんあるある。大丈夫や。」


(起こっていることを整理して定義しています。そしてそれを治す方法を大人である私は知ってるよ。簡単なことだよということを示唆して、興味付けを行なっています。)

「美奈。学校に行きたくない!嫌や~ってなってるんやな。その子どこにいる? その感覚はどこにある? 胸かお腹か?お腹の上の方か? 背中か? しっかり感じてみ。しっかり嫌な感覚を見つけるんや。その子はどこにいる?

どこで嫌や~!言うてる? どっかで泣き叫んでるやろ。しっかり感じて見つけてみ。」
そう言って、胸やお腹や背中に触れて、しっかり身体の内側を感じられるように導きました。すると美奈は少し静になりました。意識を内面に向け始めたのがわかります。

(ここでは嫌な気持ちと本人を分離させています。私が行きたくないのではなく、「私の中で行きたくない子が騒いでる」という感覚へと移行させています。こうすることで感情より自分の方が大きな存在となります。つまり扱えるようになります。)

「丁寧に感じるんや、美奈。その子どこにいる? どんな感覚してる? ピリピリしてる? モワモワしてる? ジンジンしてる? ちゃんとその感覚を感じてみ。そう。しっかり感じるんや。」

(「嫌だ」という気持ちを「モヤモヤ」などの身体感覚に変換させています。感情とは突き詰めると、気持ちではなく単なる感覚なのです。)

「その子が、嫌や~言うてるんやな。ヨシヨシしてあげて。『そうか~嫌なんか~。』って言って受け止めてあげるんや。そう。ヨシヨシするんや。『嫌なんやな~。』『学校行きたくないもんな~。わかるよ。』って言ってあげて、ヨシヨシするんや。ワンワンを抱いてあげるみたいに、ヨシヨシして抱きしめたげるんや。」

(感情を否定せず、大きな自分が嫌がっている自分を受容するという態度を作っています。大切な心理教育を実践で教えているわけです。)

「もっと話を訊いてあげよう。なんて言ってる? 学校行きたくない以外に何か言ってるやろ? なんて言ってる? しっかりと訊いてあげよう。しっかりとその子を感じて、意識をむけて、言ってること訊いてあげて。耳を澄ませてしっかり訊いてあげるんや。なんて言ってる?」

とても静かになっています。しっかりと内側を感じながら、内的対話ができる時間を与えてあげます。

「なんて言ってる? もう嫌や~言ってるんかもしれんなぁ。めんどくさい~って言ってるのかもしれんなぁ。なんて言ってる?しっかり感じてみ。」

(言っていることを訊いてあげる事で、なにか気付きが起これば感情は小さくなります。気付けない可能性もあるので、次のように言って気付きを補助してあげます。)

「まだ寝てたいのに、起きたくないのに、起こされて学校に行かされて嫌や!って言ってるのかもしれんなぁ。勝手に決めないで!って言ってるのかもしれんなぁ。めんどくさいわ~。もっと一人で遊びたいわ~って言ってるのかもしれへんなぁ。しっかり訊いてあげて。なんて言ってる?」

実際にその子が答えを話してくれる必要はありません。親である私達が教えてもらう必要もありません。意識を向けるだけで大丈夫です。

「なんか言ってたら、『そっかそっか。わかるよ~』って受け止めてあげて。よしよししたるんや。『そっかそっか、学校嫌なんやな、わかるよ~』って言って抱きしめてあげるんや。

『でもあなたの味方だよ。仲間だよ』って言ってあげて、抱きしめてあげよう。小さいワンちゃんをヨシヨシしたるみたいなもんや。『友達やで』って言ってあげて。

そして名前もつけてあげよう。この子はなんて名前がいい?

美奈、その子とずっと仲良くしてあげるんや。ずっとよしよししてあげるんや。話を聞いて欲しそうやったら訊いてあげるんや。」


(自分の中の感情感覚とコミュニケートしたり、仲良くなるための関わり方を教えています。これはつまり大人が言うところの「自分と向き合う」ための実際的な技法です。)

この頃にはもう泣き止んですっかり落ち着いています。イヤイヤエネルギーが随分と解消して静まったのだと思います。ここからは方向性を与えてあげます。

「その子をヨシヨシしながら、一緒に御飯を食べよか。その子にも朝ごはんを食べさしてあげるみたいに、ご飯食べよ。」

そういうと静かに座ってご飯を食べ始めます。

時折、「ちゃんと感じてるか? その子いるか?」とか「感じてあげるんやで。」「よしよししてあげるんや。」などと言ってその子に意識を向けるように注意を喚起してあげます。

そして「その子をよしよししながら、歯を磨いて来よう。」と準備を進めさせます。

もうこの頃には、スッキリとした表情で自主的に準備を進めてくれています。

「美奈、その子どうなった?」と訊くと「変なんなった。」と笑いました。照れているのだと思います。

「美奈、いつでもその子が出てきたら、そうやって仲良くなるんやで。しっかり感じて話を聞いたげるんや。ヨシヨシしたげるんや。」

美奈ははにかんで笑っていました。

「もう小さくなったら、また今度ね。って言ってお別れしよか。また言いたいことあったら出てきていいよって。今日は一緒に学校で遊ぼうねって、勉強頑張ろうねって言ってあげるんや。そうやって自分の中の子と仲良くするんやで。」

こうして気づけば美奈はすっかりと元気になり、ランドセルを背負って水筒を肩にかけて「早く行こうよ~!」と一緒に行く姉に催促をしていました。

【大切なのは自分と仲良くなること】

いかがだったでしょうか? このワークは心理療法の中のフォーカシングという技法の理論を子供との対話の中で展開させています。

長くなりましたが、とてもとても大切なことなので、どうしても正確にお伝えしたかったのです。

多くの子供は、この学校イヤイヤ病によって、社会との関係を、そして自分との関係をもこじらせてしまいます。

大人のクライアントの中にある社会への恨みや被害者意識の奥底を掘り下げていくと、登校を嫌がっていた過去の記憶に行き当たったりします。

だから、お子さんの大切な時期に一緒にいられるあなたに実践して欲しいのです。

適切な親のサポートの中で、子供は自分の感情との関わり方や自己対話のやり方を習得していってくれます。

人生で最も大切な能力。自己コントロールの方法を、この体験を通じて、お子さんに伝えることができるのです。

人生で最も大切な教え。自分と仲良くやっていく方法。ご機嫌で生きていくための方法を、是非あなたからお子さんに伝えてあげてください。

それを伝えるきっかけとして、この学校イヤイヤ病を利用して欲しいのです。

何度でもイヤイヤ病を発症して、何度でもこのプロセスをあなたの誘導で進めて欲しいのです。

そうすることで、それは知識ではなく能力としてあなたのお子さんに備わります。自分自身と上手く付き合う術を習得していってくれます。

その体験と技術は、親から子に与えられる最高のギフトとなり、生涯に渡ってその子を支え続けることでしょう。


子供に歌を歌わせてやろうと思って、ヤフオクでアコギ(アコースティック・ギター)を買った。

4200円…(笑)

それが今日届いた。

子供に歌わすのめっちゃ面白い。

何の恥じらいもなくドヤ顔で外れた音程で歌ってくれる(笑)

今はほとんどの曲はネットで検索したら歌詞もコードも出てくるんですね。そしてyoutubeで原曲を聞きながら練習することができる。

ほんと便利で自由な時代になりました。

「よし、じゃあバンド組むぞ。」と僕。

娘「え? バンドって何?」

僕「演奏するグループや。のんが歌な。ととがギターや。」

娘「うん。のん歌な。」

僕「よし、じゃあバンド名決めよか。何がええ?」

娘「う~ん。う~ん。…ベラメスは?」

ベラメス…(笑) ごっつい悪そうな名前やな…汗

ということで「ベラメス」始動です。

僕の遺伝子の関係で、娘めっちゃ音痴です。気の毒に…。

それでもベラメス頑張ります。

J-popの2人組といえば「B'z」か「ゆず」か「コブクロ」か「ベラメス」です。よろしく!
日々カウンセリングをしていると、仕事で上司からのひどい恫喝(怒鳴られること)で心を病んでいる人が本当に多い。

恫喝されることで、仕事のパフォーマンスが上がるのなら良いのだけど、怒られた当人は身体が萎縮してしまって、普段なら簡単にクリアできるはずの仕事でもミスが多発している。

「相手の反応が自分のコミュニケーションの成果である 」というNLPの原則に従うならば、この上司は恫喝というコミュニケーション手段を選ぶことで、部下のミスを創りだしているということになる。

ある種の攻撃や暴力性が、相手にとってプラスになることはあるのだろうか?

それとも愛のある褒め言葉のみが、人を育てるのだろうか?

最近、教師の体罰による(と思われる)高校生の自殺以来、メディアでも体罰に対する話題がひっきりなしだ。

僕の意見としては、「体罰や恫喝は有効ではあるが、その扱いが非常に難しい。」というもの。

どのように有効かと言えば、例えば坐禅で和尚が「喝!」と言って、棒で肩をピシャリ!と叩くような場面。

この時、身体に直接刺激を送ることで、目が覚めたように意識がスッキリする。

これが例えば「しっかり集中してくださいね。雑念を払って、起きててくださいね。」と言葉で言われるだけだと、本人の意志力ではとても難しい。

身体マインドに痛覚でアクセスすることで、潜在意識下の雑念が消えて意識の次元が上がるというようなことは確かにある。

少しマニアックな例だと、K-1のリングに上る直前のバダ・ハリはコーチからバシン!バシン!と頬を打たれながら何かを言われている。その時のバダ・ハリは明らかにトランス状態に入っている。

その痛みの中で恐れや雑念を払いのけて、バダ・ハリは戦うマシーンのように自分を変身させている。

こうして見ると、確かにある種の暴力性には、優しいだけの指導では導けない境地へと連れて行く力があると言うことはできる。

ただこれは、何も暴力を使わなくても、言葉で叱ることでも同じような効果を与えることができる。

「こら!!」と雷を落とすことで、「はっ」と目が覚める。それによってさっきまでウジウジとしていた意識の次元が一瞬で上がる。

こういう指導はとても大切だ。

愛と優しさだけでは連れて行けない世界がある。しかし、それがなかなか難しい。

【不動明王的指導の難しさ】

昔スピリチュアルな世界にどっぷりと入り込んで修行をしていた時、師から言われたのは、

「さはらは如来系の癒しのエネルギーは運用できてるが、明王系のエネルギーの扱いが甘い。」というものだった。

明王とは、不動明王や大威徳明王など、剣を持って怖い顔をした仏のこと。

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仏には優しい顔から怖い顔までさまざまあるが、それは完成された人間の心が備えるべき気質を表している。そしてそれは人の心を悟りへと導くために必要な気質でもある。

薬師如来のように傷を癒して愛するだけで、改心して立ち直る人もいれば、

明王系の恫喝と剣を持って相手の魔を断ち切ることで、改心させないとどうにもならない人もいるのだ。

ただし、この荒々しい明王系のエネルギーの運用はとてもとても難しい。

その運用の勘どころを思いつくままに書いてみると、

1)まず喝を入れるべき相手の中に、今は隠れてしまっている善なる真心があることをしっかりと見据えて、それを邪魔している邪な心のみを斬ることに意識を定められる洞察力。

2)そして剣を振るう意図を相手を思う真心と、改心させて連れて行きたい世界への志に結ぶこと。

つまり自分の真心と志を見つけられていないと明王の運用はできない。

3)そして、言葉にも剣の一振りにも、自分の感情的な恨みや私情が一切乗らないほどに、癒された心。

4)さらにそのエネルギーを言葉に乗せて恫喝するためには、臍下丹田の開発やゆるんだ筋肉など、物理的な身体の開発がいる。

以上のことが揃わないと、先に書いた会社の上司のように、叱ることでどんどん部下を破壊していってしまうのだ。

そして相手のために叱っているつもりが、どんどん自分の感情や怨念が乗って行き、やがては魔が差してくる。

最初は魔が差す程度だが、やがては魔に乗っ取られ、恫喝する事自体が気持ちよくなってきて、暴走し始めていることに自分でも気づけなくなる。

自分が魔になってしまっているのだ。

桜宮高校の教師が生徒を30発も殴ったというのは、明らかにそれだろう。

それは体罰でも指導でもない。

【それでも残して欲しいもの】

体罰は確かに時代遅れであり、今後は学校教育やスポーツ指導の世界でもどんどんコーチングの持つ可能性へと開かれていくだろう。

でも一方で人間が持っている明王系の指導力の可能性も残しておいて欲しい。

明王系の氣を乗せて「ばかもん!!」と叱ると、相手はハッと我にかえるだけで、自分の存在を否定されたという感じはしないし、恨みも出てこない。心が傷つくこともない。

むしろ目が覚めて清々しく感謝すら湧いてくる。

みなさんもそういった風に「凛」と心が晴れ渡るようなお叱りを受けた経験があるのではないだろうか。

それは師の境地の高さによって可能な指導で、真似をするのはとてもとても難しいのだけど、指導者たる者はその境地を目指すことによって可能な世界があることを知っておいて欲しいのです。

少なくとも、「境地」という目指すべき方向があるという、ロードマップは残しておいて欲しい。

悟った心であるはずの仏の中に、剣を持った存在がいることの意味を知って欲しいのです。
朝、8歳の娘の横で寝ていると、妻の声がします。

「のんちゃん。起きるんよ。朝やで~。」

数分後

「のんちゃん、もう起きよ。7時なってるで~。」

数分後

「のんちゃん! ほらもう7時10分になってるよ。起きなっ!」

数分後

「ほら、のんちゃん!! もう7時15分になったよ!!あんた間に合うん!?」


と除々に緊迫してくる妻の声で、僕が目覚めるわけですが…(笑)

どこのご家庭でも毎朝繰り広げられている光景だと思います。

そして当の本人はまだ布団から出る決心がつかないようで、眠そうに目を閉じてグズグズとしています。

そこで、私は少し違った言葉の使い方で娘に声をかけてみました。すると娘はスッと布団から起きだして朝の準備を始めました。

何度「起きなさい!」と言われても起きない娘を動かした言葉とは、いったいどんな言葉だったのでしょうか?

特に変わった提案をしたわけではありません。当たり前のことを少しアレンジして、人の無意識に作用しやすいように作り替えただけです。

その言葉とは次のようなものです。

「のん。あっちの部屋に行って、ストーブのスイッチ押して、ストーブの前に座っとき。そしたらだんだん目が覚めてくるわ。」

この言葉をかけられる立場で聞いてみてください。ただ単に「起きなさい!」と言われるより少し動きやすく感じませんか?

ではなぜ「起きなさい!」ではダメで、この言葉だと動きやすくなるのでしょうか。

簡単に原理を理解しておきましょう。

【イメージできた時に無意識は動き出す】

「起きなさい!」という言葉で子供達が動きにくいのは、その言葉では意味の固まりが大きすぎるからです。

「起きなさい!」という言葉で実際に起き上がるためには、頭のなかで

「起きなさい!」を「布団から出て、隣の部屋に行って、顔を洗ったり着替えたりすること。」のような細分化したイメージに変換処理する必要があります。

意外に高度でクリエイティブな情報処理だとは思いませんか?

幼い子供にはなおさらです。

子供たちはお母さんの言うことに従う意志はあっても、メッセージを細分化する技術がまだ備わっていないことで動けないことが多いのです。

そこで親である私達が、具体的にどう動いたらいいのかイメージできるレベルにまで細分化して伝えてあげるわけです。

そうすると子供は、自分で細分化する必要が無いので動きやすくなります。

それ以外にもこの言葉の使い方には2つの特徴があります。


1)一度に3つ以上の命令を含めると、どの命令に対して抵抗すればいいのか判断するのが面倒になり、その結果、無意識は命令に従う方を選ぶ。

これは天才的な心理療法家ミルトン・エリクソンが使った語法です。面倒なことを避けようとする無意識の性質を逆に利用したテクニックです。

今回の場合は、「あっちの部屋に行きなさい。」と「ストーブにスイッチを入れなさい。」「その前に座っておきなさい。」の3つの小さな命令を伝えているわけです。


2)メッセージの最後に「快」になる暗示を付け加えていることで、動機付けをしている。

今回の言葉だと、「だんだん目が覚めてくるわ」というのがそれです。

以上の原理を理解して、ケーススタディをしておきましょう。

【どんな言葉も魔法の言葉に言い変えられる】

「早く宿題しなさい!」「早く着替えなさい!」「早くお風呂に入りなさい!」「早く寝なさい!」

こうして私達が日常的に子供達に与えているメッセージを振り返ってみると、大人では動けても、子供達にとっては意味の固まりが大きすぎことに気づかれると思います。

では、先の原理に従って、どのように言い変えられるでしょうか。

ポイントは

1)行動がイメージできるように3つに細分化する。

2)最後に「快」を暗示する。

です。

例えば「宿題しなさい!」だと以下のように伝えます。


「◯◯ちゃん。今日の宿題は何が出てるの?」

「算数の計算ドリルと、音読。」

「ふ~ん。じゃあ、ランドセルから計算ドリル出して、ここに持ってきて、問題解こうよ。先に宿題終わらせたら気持ちいいし、◯◯ちゃんの好きな遊びができるよ。

解説すると

「じゃあ、ランドセルから計算ドリル出して(命令1)、ここに持ってきて(命令2)、問題解こうよ(命令3)。先に宿題終わらせたら気持ちいいし、◯◯ちゃんの好きな遊びができるよ(快の暗示)。」

となり、子供の頭のなかには「快」に行き着くための道筋がイメージできているわけです。

次は、

「お風呂に入りなさい」



「ここで服脱いで、裸になって、お風呂につかりなさい。よーく温まって、そこで2人で遊んだらいいよ。」


次は

「早く寝なさい!」



「あっちの部屋に行って、布団に入って、ぬいぐるみと一緒にぬくぬくしとき。だんだん気持よーくなってくるよ。」

コツは掴めてきたのではないでしょうか?

ただし、これらの言葉は単に子供に投げかけるだけでは動きません。しっかりとまずお子さんの名前を呼んで、こちらを向かせてあらたまった状態で、子供が頭の中で1つ1つのシーンをイメージしているのを確認するように、ゆっくりと伝えてあげましょう。

そうすると、子供の無意識の中に行動するためのイメージの道筋ができあがります。

それでも動かなければ、

「こらっ! ええかげんに風呂入らんかい!! 何時やと思とんねんっ!!」 

って感じで、背中を押してあげましょう(笑)

【最後に】

こういったメッセージの伝え方は、動きやすくなる反面、子供の自主性を奪うのではないか?

指示待ちで受け身な人間になってしまって、自分で考える力を奪ってしまうのか? と心配される方もいらっしゃるかもしれません。

もちろん、いつまでもこういったメッセージを出し続けるのは考えもので、やがては子供達が自分自身の中でメッセージを細分化し、自分で自分を動かす言葉やイメージを生み出すスキルを身につけて欲しいものです。

そのために親ができるサポートは、質問を使って子供自身から答えを引き出す「コーチング」という手法になります。

それはまた別の機会にお伝えするとして、小学生の低学年くらいまでは、成功体験を積ませてあげることに集中してあげてください。

「何度言っても、言うことを聞かない子」「グズグズする子」だと思っていたお子さんも、実は意味の固まりの細分化につまづいているだけで、メッセージを工夫してあげると、素直に動ける子なのかもしれません。

元旦に5歳の娘にお年玉をもらった。

$心理カウンセラーの魔法の子育て

中を開けてみると、110円が入っていた(^^)

毎日洗濯物をたたむお手伝いをする度に10円の収入をもらっているようなので、彼女の11日分の給料だ。

優しい子に育ったなと思う。

でも、正確には優しい子に育ったのではなく、彼女は最初から優しい子だった。

子供を2人育ててみると、その子の性質というものはしつけや教育の結果ではなく、最初から持って生まれたものであることに否が応にも気づくものだ。

最初から持って生まれたものがあり、最初から親を驚かすように子は存在している。

だから、敬意を持って接することが大切なのだと思う。(実際に思いやりという部分において、この子は私より偉大だ…。)

日本の心理学の大家である河合隼雄さんが村上春樹と対談した折に、「オウムの麻原彰晃でもカウンセリングで変わるものですか?」という質問に対して、「会ってみないとわからない。」とのお答えの後に、こう続けられた。

「会って相手のほうが器が大きければ無理。そういうものだよ。例え相手が6歳でもその子の方が器が大きければ無理。

さすがに何万人と向き合ってきたカウンセラーの人間理解だなと感動したのを覚えている。

年齢とか学歴とか職業とか一切のバイアスを取り除いて、その人そのものを透徹した眼差しで見ていると、

「例え相手が6歳でもその子の器のほうが大きければ…」

というような感覚がとてもよくわかる。

小さな子どもの振る舞いの中に気高い品格が漂っていたり、妙にセクシーなエネルギーを発していたり、学者のような思慮深さを漂わせていたり。

そういった子供の中に見え隠れする偉大さの片鱗に対して、37歳の自分が無意識に敬意を払っていることに気づいて驚いたりする。

それは既にその子の中にあるのだ。

英語でいう教育(エデュケーション)の語源は、ラテン語の「エドゥーコー」に由来し、その語義は『外に引き出す』にあるのだそうだ。

つまり空っぽの器に何かを入れていくことが教育なのではなく、そこに既にあるものに気づき、引き出し、外に出られるように導くことこそが教育だ。

教育者としてその子の前に立った時、その子を未熟で空っぽな器のように見たり、可能性に満ちた真っ白なキャンバスのように見てしまうと、それはもう既に見誤っているのだと思う。

「大人」や「子供」や「5歳」ということや、これまでのその子の言動や記憶を一切排して、今ここのその子を見た時、その子は何を持って何を発しているのか? 

それを観る透徹した眼差しと敬意。

そこが教育者としての立ち位置だ。

とはいえ親というのも多面的な存在で、日々教育者として子供の前に立つわけでもなく、友達として子に接したり、大いにブレることもあるのだけど、しっかりとそこに立ち返っていきたいですね。

妻が子供達を連れて先に実家に帰っているので、僕は昨日から1人で大阪に残っている。

普段ガチャガチャとうるさい子供達が今日はいない。それが淋しくもあり、快適でもある。

子供達がいなくなってみると、あの子達に頼られていることが、どれほど僕を力付けてくれているのかがよく分かる。どれほど日々の営みに意味を与えてくれているのかがよく分かる。

子供達が僕にそうしているように、誰かを頼るということは、その人に力を与えることでもあるのだ。その人に存在理由を与えることでもあるのだ。

それは立場を変えると子供達に対しても同じで、

子供達を頼り、子供達に助けてもらうことで、彼女たちに力と存在理由を与えることもできるということだ。

そのようにして、お互いに何かを交換するように育っていくんだろうな。
クリスマス・イブ。

$心理カウンセラーの魔法の子育て


「ええ子にしとかなサンタさん来うへんで~。」と前々からさんざん脅してきたからか、

イブの夜にケーキを食べているのに、8歳になる娘の顔が暗い。


「今日はサンタさん来てくれへん気がしてきた~(´・ω・`)」と、ナーバスになっている(笑)


「別に来なくてももええしな」的な感じで、前もってショックを中和しようとしてる感もある(笑)


それが可笑しくて可笑しくて仕方が無かった(*´艸`*)


でも、ちゃんとサンタは来るのだよ。えらい散財したのだよ。

開き直らずにええ子にするのだよ。