【原文】

帰命(きみょう)無量(むりょう)寿(じゅ)如来(にょらい)

南無(なむ)不可思議光(ふかしぎこう)

正信偈:1~2行目)
 
【意訳】
阿弥陀仏を心から信じて、私の命の行き先は、そのまんま阿弥陀仏にお任せします。
 
このような状態に心が定まることを、信心を得ると言います。
 
私達が信心を得るためには、阿弥陀仏の本願が必要不可欠です。
 
このことを親鸞聖人は、尊敬する高僧方の教えを元に、こう解説しています。
 
【原文】

印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)

中夏日域之(ちゅうかじちいきし)高僧(こうそう)

(けん)大聖(だいしょう)(こう)()正意(しょうい)

(みょう)如来(にょらい)本誓応機(ほんぜいおうき)

正信偈:45~48行目)
 
【意訳】
インドの菩薩方や、中国や日本の高僧方は、口を揃えて、お釈迦様(という仏)がこの世に誕生したのは、阿弥陀仏の
本願を説いて、全ての人を等しく救い取るためだったと教えています。
 

【原文】

本師源(ほんしげん)(くう)(みょう)仏教(ぶっきょう)

憐愍(れんみん)善悪(ぜんまく)凡夫(ぼんぶ)(にん)

真宗(しんしゅう)教証(きょうしょう)興片州(こうへんしゅう)

選択(せんじゃく)本願(ほんがん)()(あく)()

正信偈109112行目)

 
【意訳】

私(親鸞聖人)の師匠である(ほう)(ねん)上人(しょうにん)は、深く仏教を知り抜いて、東の片隅にある日本という国に、浄土の教えを開きました。

法然上人は、善人も悪人も、全ての人が救われるようにと、阿弥陀仏の本願を広く世間に示しました。
 
【原文】

()(きょう)大士宗師(だいじしゅうし)(とう)

(じょう)済無辺極濁(さいむへんごくじょく)(あく)

道俗時衆共(どうぞくじしゅうぐ)同心(どうしん)

唯可信斯(ゆいかしんし)高僧(こうそう)(せつ)

正信偈:117~120行目)
 
【意訳】
インドの菩薩方や、中国や日本の高僧方は、阿弥陀仏の
本願を説くことで、末法の世界を生きる全ての人を、極楽浄土へと導いています。
どんな立場の、どんな人であっても、阿弥陀仏の本願によって、同じ信心を得ることができるのです。
そのような救いがあることを教えてくれた高僧方に、ただ感謝するばかりです。
 
信心一つで救われる。
 
それが、親鸞聖人の教えです。
 
その教えは、日本や中国の高僧方、インドの菩薩方を経て、お釈迦様、そして阿弥陀仏へと繋がっています。
 
果てしない過去から、永遠の未来まで繋がっていく、阿弥陀仏の本願
 
それを素直に喜ぶ人のことを、親鸞聖人は、このように呼びました。
 

御同朋(おんどうほう)御同行(おんどうぎょう)
 

信心を得た人は、同じ南無阿弥陀仏の念仏という行(行為)によって、同じ阿弥陀仏の本願に救われるのだから、そこには上下の違いなどなく、誰もがみな、同じ仲間(朋)である。

 
それが、親鸞聖人の生涯変わることのない姿勢でした。
 
そのような想いに至った理由を、親鸞聖人は、このように語っています。
 
【原文】

親鸞(しんらん)弟子(でし)一人(いちにん)ももたず(そうろ)ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏(ねんぶつ)(もう)させ(そうら)はばこそ、弟子(でし)にても(そうら)はめ。弥陀(みだ)(おん)もよほしにあづかつて念仏(ねんぶつ)(もう)(そうろ)ふひとを、わが弟子(でし)(もう)すこと、きはめたる荒涼(こうりょう)のことなり。

(歎異抄:第六条)
 
【意訳】
私(親鸞聖人)には、一人の弟子もいません。
もしも、私の力によって、人に念仏をさせているのであれば、その人を私の弟子と呼ぶこともできるでしょう。
しかし、信心を得た人というのは、阿弥陀仏の
本願によって、念仏をしているのです。
そのような人を私の弟子と呼ぶのは、大変な思い違いです。
 
親鸞聖人の教えは、正信偈に書かれていることは、決して難しい内容ではありません。
 
それは、誰でも分かる、誰でも救われる、簡単な教えです。
 
親鸞聖人が勧めているのは、阿弥陀仏の本願によって、信心を得ること。ただ、それだけなのです。
 
それぞれの人が、それぞれのタイミングで、阿弥陀仏の本願によって、同じ信心を得るまでの応援メッセージとして、親鸞聖人の遺言を記し、結びの言葉とさせて頂きます。
 
【原文】

()(とし)きわまりて、安養(あんにょう)浄土(じょうど)(げん)()すというとも、和歌(わか)浦曲(うらわ)片男浪(かたおなみ)の、()せかけ()せかけ(かえ)らんに(おな)じ。一人(ひとり)()(よろこ)ばは二人(ふたり)(おも)うべし、二人(ふたり)()(よろこ)ばは三人(みたり)(おも)うべし、その(いちにん)親鸞(しんらん)なり。

 

【意訳】
間もなく、私(親鸞聖人)の命も終わりを告げるでしょう。
一度は、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生するけれど、寄せては返す波のように、(仏と成って)すぐに戻ってきます。
一人で喜ぶ時は、二人で喜んでいると思いなさい。二人で喜ぶ時は、三人で喜んでいると思いなさい。どんな時も、あなたの側には親鸞がいるのです。

おわり