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朝起きても疲れが取れない。

仕事や人間関係に追われ、気づけば一日が終わっている。

「どうして生きることは、こんなにも苦しいのだろう」

そう感じたことはないでしょうか。

 

実はこの問いに対して、お釈迦様は2500年前に答えを出しています。

今日は、「なぜ人生は苦しいのか?」というテーマでお話ししてみたいと思います。

 

忙しい現代社会の中で私たちは毎日、頑張って働いて、人間関係にも気を使い、幸せになろうと努力しています。

けれど心の片隅には、消えない不安や寂しさが残っているのではないでしょうか。

そして時には、「何のために生きているのだろう」と感じてしまうこともあるかもしれません。

 

そんな風に感じてしまうのは、決してあなただけではありません。

周りから見れば、どんなに恵まれた環境にある人でも、心の奥には、その人なりの悩みや苦しみがあるものです。

 

2500年前。お釈迦様もまた、老い、病み、死んでいかなければならない人間の生涯を見つめて、同じことを考えました。

 

そしてお釈迦様は、こう結論づけました。

「この世のすべては苦しみである」

 

これを仏教では、 一切皆苦と言います。

 

この言葉だけを聞くと、とても暗い教えのように感じるかもしれません。

しかし、これは決して「人生は絶望だ」という意味ではありません。

この世界は思い通りにならない。だからこそ苦しみが生まれるという、人間の現実を見つめた言葉なのです。

 

例えば、どんなに嬉しい出来事も、どんなに欲しかったものも、ずっと同じ形では残りません。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、大切なものもいつかは壊れていきます。

どんな立場の人であっても年を取り、やがて命を終える日が来ます。

このように、この世界の全てのものは変わり続けています。

 

仏教ではこのことを、諸行無常と言います。

 

この世界で変わらないものは何一つない。それだけが、唯一変わることのないルールです。

けれど私たちは、この変わり続ける世界の中で、変わらない幸せや永遠に続く安心を探し求めています。

大切な人が、ずっとそばにいてほしい。

手に入れた幸せが、ずっと続いてほしい。

失いたくない。

苦しい思いはしたくない。

そう願うのは、とても自然なことです。

 

しかし、この願いが大きければ大きい程、失った時の苦しみもまた大きくなります。

このような人の願いを仏教では執着と呼びます。

執着とは、何かを強く握りしめて離したくないと願う心です。

けれど、どれだけ強く握りしめても、この世界のものは、必ず手の中からこぼれ落ちていきます。

だから私たちは、苦しくなるのです。

 

しかし、仏教はここで終わりません。

お釈迦様は、この苦しみから離れる道があると説いています。

それは、執着を手放すという道です。

 

もちろん、簡単に手放すことはできません。

人間は、執着する生き物だからです。

 

けれど、目の前にある現実を見て、「これも、いつかは変わってしまうものなんだ」と気づくことで、ぎゅっと握りしめていた手を、緩めることができるのではないでしょうか。

すると不思議なことに、心は少しずつ軽くなっていきます。

変わるものを、無理に変わらないようにしたいと願わなくなるからです。

 

仏教は、人生を楽観的に考える教えではなく、人生の現実を、ありのままに見つめる教えです。

その現実を受け止めたとき、人は初めて、本当の安らぎに気づくことができます。

 

もし今、人生が苦しいと感じているなら、それはあなたが弱いからではありません。

それは、人として自然なことです。

その苦しみが本物であるからこそ、救われたいという気持ちもまた、本物になるのでしょう。

そして、救われたいという気持ちが本物であるからこそ、仏教を真剣に聞こうという姿勢が整うのだと思います。

 

その時、仏方は、その人に合った救いの道を示してくれます。

浄土の教えでは、南無阿弥陀仏と念仏することで、阿弥陀仏の功徳に身を任せ、極楽浄土に生まれてさとりをひらく道が説かれています。

 

今日は人生が苦しい理由について、仏教の視点からお話しさせて頂きました。

もしよければ、これから先も仏の教えを通して、人生を軽くするヒントを、一緒に探していけたら嬉しいです。

 

※過去記事は、こちらにまとめてあります。