全ての人を等しく救い取るという阿弥陀仏の願いのことを、本願ほんがんと言います。


この本願を完成させたことにより、阿弥陀仏という仏は誕生しました。

 

阿弥陀仏が完成させた本願は、全部で四十八個あります。

 

その中で最も大切な願いが、十八番目の願いです。そこには、阿弥陀仏の本心が誓われています。本願中の本願である第十八願とは、このようなものです。

 

【原文】

せつ得仏とくぶ 十方じっぽう衆生しゅじょう 至心ししん信楽しんぎょう 欲生よくしょう我国がこく 乃至ないしじゅうねん にゃく生者しょうじゃ 不取ふしゅ正覚しょうがく

仏説ぶっせつ無量むりょう寿じゅきょう

 

【意訳】

わたし(阿弥陀仏)が仏に成る時、全ての人々が心から信じて、わたしの国である極楽浄土に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もしも生まれることができないようなら、わたしは決してさとりをひらきません。

 

ここで「わずか十回でも念仏して」と言われている念仏が、南無阿弥陀仏です。

 

阿弥陀仏は第十八願で、阿弥陀仏を心から信じて、阿弥陀仏の国に生まれたいと願い、南無阿弥陀仏と念仏する全ての人を、苦しみの一切無い極楽浄土へ必ず救うと約束しています。

 

極楽浄土へ救われるために必要なものは、阿弥陀仏を心から信じる、信心のみです。他には何にも要らないし、どんな条件も付けない。それが、阿弥陀仏の救いです。

 

南無の語源は、ナマスという言葉だと言われています。ナマスとは「お任せします」という意味です。つまり、南無阿弥陀仏は「阿弥陀仏に、そのまんまお任せします」という意思表示なのです。

 

何をお任せするのかと言えば、私達の命そのものです。

 

死ねば必ず極楽浄土へ救ってくれるという阿弥陀仏の約束を、そのまんま信じて、私達の命の行き先を、そのまんまお任せするのです。

 

生きている者にとって最も大切な命の行き先を、そのまんまお任せするには、心から信じていることが絶対条件です。

 

本当に大丈夫だろうか?

騙されているのではないだろうか?

 

そのように疑う心がある間は、恐ろしくて、とても命そのものをお任せすることなどできません。

 

全ての疑いが晴れ、信心が定まり、南無阿弥陀仏をそのまんま頂いた時こそ、煩悩具足の凡夫煩悩具足の凡夫のままで、大悲の願船に乗せて頂く時なのです。