全ての人を等しく救い取る阿弥陀仏の本願には、二つのはたらきがあります。

一つ目のはたらきを、往相おうそうと言います。


信心を得た人は、極楽浄土へって、仏にまれ変わります。


これを、往生おうじょうすると言います。

 
私達が信心を得ることも、それによって往生することも、全ては阿弥陀仏の本願のはたらきによるものです。

決して、私達個人の能力や努力によって得られるものではありません。
 
阿弥陀仏の本願のはたらきによって、今を生きている私達が、現実に信心を得て、極楽浄土へ救い取られる。
 
それが、往相です。

二つ目のはたらきを、還相げんそうと言います。
 
極楽浄土へ往生した人は、阿弥陀仏の本願によって、さとりをひらきます。
 
さとりをひらくということは、阿弥陀仏やお釈迦様と等しい、仏の知恵と慈悲を身に付けるということです。
 

往相によって極楽浄土へ救い取られた人が、新たな仏と成り、今度は、この世に(かえ)ってきて、迷い苦しむ人々を救うようになる。


それが、還相です。


寄せては返す波のように、ってはかえる二つのはたらきが、阿弥陀仏の本願には備わっています。

 

このことを親鸞聖人は、尊敬する高僧方の教えを元に、繰り返し解説しています。
 
【原文】

帰入(きにゅう)功徳(くどく)大宝(だいほう)(かい)

必獲入(ひつぎゃくにゅう)大会衆数(だいえしゅしゅ)

(とく)()(れん)華蔵(げぞう)世界(せかい)

即証(そくしょう)真如(しんにょ)(ほっ)(しょう)(しん)

()煩悩(ぼんのう)(りん)現神通(げんじんづう)

(にゅう)生死(しょうじ)園示(おんじ)応化(おうげ

正信偈:67~72行目)
 
【意訳】

(てん)(じん)菩薩(ぼさつ)は、信心を得たのなら、必ず極楽浄土へ往生すると教えました。

極楽浄土へ往生すれば、阿弥陀仏の本願によって、その身に仏の知恵と慈悲が備わります。
そして、その知恵と慈悲でもって、自由自在に人々を救うようになるのです。
 
【原文】

(てん)(じん)菩薩(ぼさつ)(ろん)註解(ちゅうげ)

報土(ほうど)因果(いんが)(けん)誓願(せいがん)

往還(おうげん)回向(えこう)()他力(たりき)

正定之因(しょうじょうしいん)(ゆい)信心(しんじん)

(わく)(ぜん)凡夫(ぼんぶ)信心(しんじん)()

(しょう)()生死(しょうじ)(そく)涅槃(ねはん)

必至(ひっし)無量(むりょう)光明(こうみょう)()

諸有(しょう)衆生(しゅじょう)皆普化(かいふけ)

正信偈:77~84行目)
 
【意訳】

曇鸞(どんらん)大師(だいし)は、天親菩薩の著書である「浄土論」を解説して、極楽浄土へ往生する因(原因)も果(結果)も、阿弥陀仏の本願のはたらき(=他力)によると教えました。

往相も還相も、全ては、他力によって起こります。
極楽浄土へ往生するための、たった一つの条件である信心を得ることもまた、他力によって起こります。
そのようにして信心を得たのなら、ほんの一時も煩悩から離れることのできない私達であっても、必ずさとりをひらくことができるのです。
そうして、さとりをひらいた後は、迷い苦しみ続ける人々を、極楽浄土まで導く案内役となるのです。
 
【原文】

源信(げんしん)(こう)(かい)一代(いちだい)(きょう)

偏帰安(へんきあん)(にょう)(かん)一切(いっさい)

専雑執心判浅(せんぞうしゅうしんはんせん)(じん)

報化二土(ほうけにど)正弁(しょうべん)(りゅう)

正信偈:101~104行目)
 
【意訳】

源信(げんしん)僧都(そうず)は、お釈迦様の教えを深く信じ、ただ自身の往生を願い、この世のあらゆる人々にも、これを勧めました。

自分の力を頼みとして、沢山の修行をする自力の信心は浅く、仮の浄土にしか往生することができません。
しかし、南無阿弥陀仏の念仏一つを頼みとする他力の信心は深く、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することができるのです。