一つ目のはたらきを、往相と言います。
信心を得た人は、極楽浄土へ往って、仏に生まれ変わります。
これを、往生すると言います。
それが、往相です。
二つ目のはたらきを、還相と言います。
さとりをひらくということは、阿弥陀仏やお釈迦様と等しい、仏の知恵と慈悲を身に付けるということです。
往相によって極楽浄土へ救い取られた人が、新たな仏と成り、今度は、この世に還ってきて、迷い苦しむ人々を救うようになる。
それが、還相です。
寄せては返す波のように、往っては還る二つのはたらきが、阿弥陀仏の本願には備わっています。
このことを親鸞聖人は、尊敬する高僧方の教えを元に、繰り返し解説しています。
そして、その知恵と慈悲でもって、自由自在に人々を救うようになるのです。
【意訳】
極楽浄土へ往生するための、たった一つの条件である信心を得ることもまた、他力によって起こります。
そのようにして信心を得たのなら、ほんの一時も煩悩から離れることのできない私達であっても、必ずさとりをひらくことができるのです。
そうして、さとりをひらいた後は、迷い苦しみ続ける人々を、極楽浄土まで導く案内役となるのです。
曇鸞大師は、天親菩薩の著書である「浄土論」を解説して、極楽浄土へ往生する因(原因)も果(結果)も、阿弥陀仏の本願のはたらき(=他力)によると教えました。
往相も還相も、全ては、他力によって起こります。極楽浄土へ往生するための、たった一つの条件である信心を得ることもまた、他力によって起こります。
そのようにして信心を得たのなら、ほんの一時も煩悩から離れることのできない私達であっても、必ずさとりをひらくことができるのです。
そうして、さとりをひらいた後は、迷い苦しみ続ける人々を、極楽浄土まで導く案内役となるのです。
【意訳】
しかし、南無阿弥陀仏の念仏一つを頼みとする他力の信心は深く、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することができるのです。
源信僧都は、お釈迦様の教えを深く信じ、ただ自身の往生を願い、この世のあらゆる人々にも、これを勧めました。
自分の力を頼みとして、沢山の修行をする自力の信心は浅く、仮の浄土にしか往生することができません。しかし、南無阿弥陀仏の念仏一つを頼みとする他力の信心は深く、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することができるのです。