信心一つで救われる。

それが、浄土真宗の教えです。

 

それでは、私達はどうしたら、信心を得ることができるのでしょうか。


その要点がまとめられている正信偈は、全部で三部構成になっています。

 

親鸞聖人は正信偈の中で、まず阿弥陀仏について触れ、次にお釈迦様について触れ、最後に自身が尊敬している七人の高僧について触れています。

 

ここで注目したいのは、親鸞聖人が、お釈迦様よりも先に、阿弥陀仏について触れているという点です。

 

仏教は、お釈迦様が説いた教えです。

 

それなら全てのはじまりは、お釈迦様のはずです。どうして親鸞聖人は、お釈迦様よりも先に、阿弥陀仏について触れているのでしょうか。

 

それは私達が信心を得るために、最初に聞かなければならないものが、阿弥陀仏という仏が誕生するまでの物語だからです。

 

阿弥陀仏という仏が誕生するまでの物語とは、つまり、南無阿弥陀仏という念仏が完成するまでの物語です。

 

阿弥陀仏は、どのような苦労の果てに、南無阿弥陀仏という念仏を完成させて仏に成ったのか。その物語を聞くことなく、信心を得ることは難しいでしょう。

 

それほどに大切なことだから、親鸞聖人は真っ先に、阿弥陀仏について触れているのです。

 

正信偈に書かれている阿弥陀仏という仏が誕生するまでの物語とは、このようなものです。

 

【意訳】

阿弥陀仏がまだ、法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)と名乗っていた頃の話です。

 

菩薩とは、仏に成るための修行をしている立場という意味です。つまり、法蔵という名前の菩薩は、仏に成るための修行をしていた訳です。

 

法蔵菩薩には、大きな願いがありました。その願いとは、このようなものです。

 

全ての人を等しく救い取る、そういう仏に成りたい。

 

法蔵菩薩が仏に成る前から、星の数ほどの仏が誕生し、星の数ほどの仏の国が作られていましたが、このような途方もない願いを完成させた仏は、ついに現れることはありませんでした。

 

どんなに優れた仏の救いにも、例外があったのです。

 

しかし法蔵菩薩は、一切の例外を設けず、誰一人として見捨てることなく、全ての人を等しく救い取る、そういう仏に成りたいと願っていました。

 

その願いを完成させるため、法蔵菩薩は、自身の師匠である()自在(じざい)王仏(おうぶつ)という仏の元を訪ねます。

 

法蔵菩薩の決意が固いことを知った世自在王仏は、このように答えます。

 

「それでは、これから地獄や人や神や仏の国が、どのように作られたのか、そこに住む者がどのような有り様なのか、その善いところも悪いところも、全てお前に見せてやろう。それらを見て、どうすれば全ての人を等しく救い取ることができるのか、自分で考えてみなさい」

 

師匠の力添えで、全ての善し悪しを余すことなく見尽くした法蔵菩薩は、とても悩みました。

 

法蔵菩薩は五劫という長い間、悩みに悩み、考えに考え抜いた末に、全ての人を等しく救い取る手立てとして、南無阿弥陀仏という念仏を完成させました。

 

そのようにして自らの願いを完成させた法蔵菩薩は、阿弥陀仏という仏に成りました。

 

阿弥陀仏は、広大な救いの光を放って、世界の隅々までを照らし尽くしています。


その光は様々な名前で褒め称えられ、全ての人を等しく照らし続けているのです。

正信偈316行目)

 

これが、阿弥陀仏という仏が誕生するまでの物語です。

 

この物語を聞いて、あなたは、どう思ったでしょうか。


阿弥陀仏という仏がいて本当に良かった。念仏とは何と有難いものだろうか。そう、素直に感謝することができたでしょうか。

 

おそらく、そうではないでしょう。

 

ほとんどの人は、この物語に何の意味があるのか、さっぱり分からなかったと思います。もしくは、おとぎ話のように聞こえたかもしれません。

 

どうしてこの物語が、私達が信心を得るために、最初に聞かなければならないものなのでしょうか。

 

その真意に、二つの疑問点から迫ってみたいと思います。

 

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