トンマッコルへようこそ
- トンマッコルへようこそ/シン・ハギュン
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輝きをもった映画である。
映画を批評する場合、脚本やら演技やら配役やら演出やらを引き合いに出し、あーだこーだと言う。映画の輝きはそれ以前の問題で、理屈では説明のできない、「なにものか」である。
どうして最近の日本映画には、この「輝き」がないのだろう。わたしにはこれが寂しい。
この映画に登場する「ちょっと頭のおかしな」女性がいる。この、可愛いでもなく、美しいでもない表情が日本映画に表現できるだろうか。その表情は、この映画を象徴する「不思議」な魅力なのである。
わたしは韓国俳優・女優をほとんど知らない。だからだろうか。この映画に出てくる人々は、映画の中で存在感をもって生きている。演技以前の問題で、この映画の中を生きている。
映画の中で北朝鮮の人民軍の隊長が、村の村長に質問する。
村人を掌握する秘訣はなんですか?
村長はさりげなく答える。
腹いっぱい食わせることだよ。
現在の北朝鮮がおかれた悲惨な状況を考えると、なんという皮肉だろう、と思う。
キジ鳩君
車に乗って出かけようとすると、よちよちとキジ鳩が歩いている。なかなか車の前からどかない。これじゃ車でひいちゃうよと、そろそろと車を前進させる。やっと早足で向うへ行った。
それでも、我が家の庭をよちよちと歩き回っている。
この庭には、猫の家があり、そこには5匹の猫がいる。それを知ってるんだろうか。もっとも、我が家の猫は外へ出ることはない。それでも、よその猫がときどきやって来る。近所の猫だ。面構えのいい大きな猫だ。そいつに襲われても知らないから。
このキジ鳩君は、まだ独身らしい。いつも一人でよちよち歩いている。はやく彼女(あるいは彼氏)が見つかるといいな。
私の庭には、でっかいエゴの木がそびえている。エゴの木は、山の木だ。だから安心するのだろうか。
エゴの木は、もうじき若葉を芽吹かせる。その枝に鳥の巣があったこともある。キジ鳩のかっぷるがいたのだろうか。そうして、このキジ鳩君は、ここがふるさとなのだろうか。
くれぐれも近所の猫には気をつけてね。
風が吹けば桶屋が儲かる
ここ最近の株価の急変で株価も「風が吹けば桶屋が儲かる」式の複雑なバックシステムが動いてるんだと感心した。
例えば、日銀が金利を引き上げた。われわれ庶民から見れば、0.25%の利上げなんて大したこたない、なんて思っちゃう。しかし、この金利引上げによって、円が急に上がった。
そんな状況とのきに、中国で株価が突然の大下落。で、ニューヨークの大下落。で、世界中の株が下がった。日本も下がった。
円キャリがどうだのこうだのと解説されているが、素人のわたしには、とんと合点がいかない。
なんでも安い金利の国、日本の円を大量に借りて、円を売って、ドルなどの高い金利の国で運用することで儲けているのだそうだ。そのサイクルが止まってしまうと、円が売られなくなるので、円が上がるのだそうである。
円が上がると株価が下がる。
輸出関連企業の収益が減ることになるので、そうした関連の株が売られ、結果安くなるのだそうだ。
また、一説にはロシアあたりの得体の知れない巨額なマネーが、日本の株価をひっかきまわしていたふしがあるそうだ。
仕手戦と呼ばれ、作為的に株価を上げたり下げたりするのだそうだ。
そう言われてみると、特に新興株なんかは、通常ではありえないほど急激に株価が上がったり下がったりすることがある。
あんまり、不自然なので、誰かが無理やりやってるように思えるのである。
とにかく、株価も「風が吹けば桶屋が儲かる」式だということで、用心、用心。
ちなみに、「桶屋」というのは、棺桶を作る商売だそうだ。今では死語に近いので、わたしはてっきり「風呂桶」だとばかり思っていた。
新日鉄の株
新日鉄の株価に注目してみた。
きのう3月8日の株価の動きはものすごい急上昇だったが、本日は、そのまま上昇しそうだな、と思われたが、午後になってガクンとダウンしてしまった。
ここ数日の株価を見ると、ろうそく足が通常この株が示すよりも長くなっていることに気付いた。
ろうそく足と呼ばれる株価を示すグラフは、始値(市場が開いて最初についた値段)と終値(市場が閉じるときの値段)を表していて、そのろうそく足が長いということは、一日の株価の変動が大きいことを示している。
こういうふうに一日の中で株価が大きく変動する株が「デイトレード」に向いている。
デイトレードでは、株価が上がっても下がっても儲けることができる。だから、株価の変動こそが重要となる。
しかし、上げ下げの予測や売買のタイミングの判断を誤ると、一気に損失へとつながってしまう。ここがデイトレードの危険なところだ。それが、恐ろしく上昇したり、急降下したりするのが、新興株である。ジャスダックなどの銘柄で、特にデイトレーダーが注目するのがIPOと呼ばれる上場したばかりの新しい銘柄である。
それとは違って、一切新興株に手を出さずにデイトレードをする手法を考えて実行しているのが、徳山秀樹さんである。
要は、新興株のように急上昇や急降下がない東証一部の安定株だけを扱う方法で、通常売買高がある一定水準以上で安定している株をピックアップし、上がりすぎた株は下がる(通常に戻る)可能性が高く、下がりすぎた株は反対に上がって(通常に戻る)可能性が高いことにポイントを置いて、株の売買を一日のうちに行ってしまうやり方である。
徳山さんによれば、この方法だとある程度売買を自動化できるそうである。最近発生したような突発的な下落など心配しないよう、一日のうちに買った株は売り、売った株は買うのである。つまり、デイトレードだ。
しかし、わたしのような素人には、ターゲットとなる株のピックアップがうまくいかない。ピックアップできても、資金が寂しいので、分散して株の売買がなかなか思うようにできないだろう。
というわけで、当面は、一挙にアップダウンする新興株を注目している。
新興株が上昇するときは、すさまじいものだ。そのすさまじさに乗じて、ポンと乗っかって、ポンと降りる。そういう感覚。
本日の新日鉄株、前場(午前9時から午前11時までの市場)は、調子よくアップしていったが、じりじりとダウンしていき、後場(午後12時30分から午後3時までの市場)は、いきなりダウンして、それからよたよたとアップダウンの繰り返しだ。
どうしてこうなるの?といろいろとプロたちの解説を見たが、はっきりしたことはどこにも見出せなかった。やっぱり、株のアップダウンに答えはないのである。
なんでも900円という値段がだいぶおおごとらしい。心理的な部分で株式も動くらしい。これまであんまり順調にアップしてきたので、ちょっとびびって、ここらで現金に変えておこうという心理で、売られたらしい。株は、売られるとダウンする。
だから、午後の株価グラフが示すことは、売ったり、買ったりをだらだらと周期的に繰り返していたということになる。
アメリカの株価が上がっていて、円が安くなっている条件でも、いろいろと株価を左右する条件がたくさんあるらしい。
ここらへんは、素人のわたしには皆目見当もつかない。
そんなことどうでもいい、上がりすぎは下がる、下がりすぎは上がる、これだけでいい、と言い切っているのは徳山秀樹さんである。
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プラチナの不思議
金属泥棒のニュースで、プラチナが盗まれたと報道されていた。
陶器を焼くときの窯の温度を計る温度計に使われていて、プラチナが使われていることを知っていて、プラチナだけ盗んで行ったそうだ。
なるほど、プラチナは、融点が高く、こういう使い方もあるのかと感心した。
もともとプラチナという金属は地球上のものではなく、大昔にでっかい隕石が地球に衝突して、その隕石に含まれていたそうである。だから、金の30数倍も貴重で、これまで算出された量は、たった4,000トンだけなのだそうだ。
そのプラチナの価値がますます上がってきている。
装飾品としての用途だけでなく、工業用として非常に重要な役割を果たすようになったからだそうだ。
たとえば、無公害の燃料電池に触媒(電極)として使われている。
だから、燃料電池は高価になってしまう。
その他にも、排ガスのフィルターとしても使われていて、工業用としても重要な金属になっている。
しかし、もし、大昔に隕石の衝突がなかったら、どうだろう?
プラチナは、地球上に存在していないことになる。
いったいプラチナは、宇宙のどこに存在しているのだろうか?
そして、宇宙には、わたしたちの知らない金属や物質がまだ存在しないだろうか?
こんなちっぽけな地球上に存在するものだけが、宇宙のすべてではない。
最近中国が月へ向かう宇宙計画を発表したが、ひょっとしたら、プラチナを探しに宇宙へ向かうのかもしれない。
すべての金属よ中国へ来たれ!である。
金属泥棒と新日鉄の株価
現在日経平均株価をひっぱっているスーパーマンのような株が新日鉄の株価である。その上昇カーブは、最近突発的に発生した世界同時株安にもびくともしないほど固い。それこそ、鉄のように硬い上昇志向である。
さて、本日の終値は、「891円」で、前日より38円高。株価上昇率にすると4.45%である。
この株は、売買単位が1000株なので、最低891,000円の投資が必要となる。そして、昨日から本日にかけての上昇は、38,000円ということになる。
気になるのは、この株の上昇とともに金属泥棒が急増していることだ。
何か、どこかで、関連がありそうだが、経済の素人であり、株の素人であるわたしには、そう感じるだけで、確たる理由を説明できない。
ニュースなどで、知った限りでは、盗まれた金属は、最終的に中国へ吸収されるそうである。ニュースでいろいろな金属が盗まれた報道を見て、「よし、おれにもできそうだ」なんて、金属泥棒に参加する無鉄砲な人もいるに違いない。半鐘や蛇口、会社のネームプレートまで盗まれている。それを、興味本位で「へぇー」という味付けで報道するものだから、いけない。
報道するならば、その盗まれた金属が、いったいいくらで売れるのか、盗みというリスクを犯して、どれだけ儲かるのかをきっちり伝えるべきだと思う。
ニュースなどで、報道される被害額は、盗まれた金属「製品」と同じものを購入した場合の金額である。何十万円、何百万円と報道されても、その金額は決して泥棒をして儲かる金額ではない。ニュースでは、被害の大きさを強調するためかどうか知らないが、あくまでも「製品」としての被害額でしかない。
被害者にとってみれば、それはそれでいい。同じ金属「製品」を購入しなければならない金額なのだから。
しかし、こんな泥棒をしてもそれほどうまい儲けじゃないよ、という意味で、盗品の「金属」としての売値も報道して欲しい。そうすれば、なんだそんなに儲からないや、と金属泥棒をあきらめる賢い人もいるに違いない。
まして、捕まったら、もっと損をすることになるのだ。
最近ピカソの絵画が盗まれ、たしか150億円とか報道されていた。
しかし、ニュースの画面に登場したフランス人は、「売れなければ儲からない」と釘をさしていた。
わたしたちは、「へぇー150億円もの絵画が」と驚いてしまうが、これはあくまでも相場の価格であって、その価格で売れた場合のことであり、売れなければただ同然である。
ここのところワイドショーの話題にならなくなったが、叶姉妹が妹に持ち逃げされたダイヤの金額の報道が興味深い。
最初5億円と報じていたが、そのうちに4億円になっていた。
ところが、相手の弁護士から伝えられたダイヤの金額が1,000万円である。
こうなってくると報道もしずらくなったようだ。あくまでも訴えている叶姉妹を信用すれば、ダイヤが3億で、その他合わせて4億だが、さて、実際相手の言い分では、せいぜい1500万円の被害になってしまう。
そもそもそのダイヤをどのようにして手に入れたのだろう。誰かからプレゼントされたものなのか。それとも、自分でお金を払って購入したものなのか。購入したものなら、買った店、あるいは人物から購入金額の証明ができ、ダイヤの鑑定をしなくても、すくなくとも売買された金額はわかるはずである。
しかし、そのあたりは、きっとブラックボックスなのだろう。
プレゼントされたものなら、誰からと言えばいいが。やはり、ブラックボックスなのだろう。
そういう香りがぷんぷん漂う雰囲気の姉妹ではないか。
さて、新日鉄の株に戻ろう。
この調子で株価が鉄のように硬く上昇していくのなら、いっそデイトレードなんて止めて、この株をしばらく保有していた方が楽だし、確実に収入になるだろう。
しかし、株は恐ろしい面もある。
せっかくせっせせっせと株価の上昇階段をかげ上がっていたのに、ここんところの世界同時株安が、ある日前触れもなく、どかんとやって来ることがある。誰かこの中国株の突然の暴落を予測できただろうか。そして、それが世界中をかけめぐると予測しただろうか。否である。
日経平均が毎日上昇に上昇を重ねて「うはうは」「るんるん」だったはずだ。そんな楽しいパーティーに突然カミナリが落ちた。
今更ながら、日銀が利上げしたことが大きなインパクトになった、と言っているが、みんなで、どうせ大丈夫さ、なんて言っていたではないか。
だから、やっぱり基本的には、デイトレードである。
死者の書
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人が死んでから天国へ旅立つまでを、具体的に、真剣に記述した死者を導くための書である。
もう随分前に読んだ本だが、その具体性には感銘を受けた。
人が死ぬと、再びこの世へ生まれてしまうような誘惑が襲いかかってくる。その誘惑をはねのけ、成仏させるためのマニュアルである。さもないと、成仏することができず、誘惑に負け、とんでもないものに再び生まれ変わってこの世に戻ってきてしまう。
今、テレビの番組で当然のように使われている「輪廻転生」の世界である。
最近、わたしは、人の存在というものは、2重になっているのではないかと思っている。
この世に存在するわたしという肉体は、ここにいるわたしという存在と、こことは別のところにいる存在から成っている。
こう考えると、ユングが述べている、世界観と整合性が取れるような気がする。ユングは、人の存在には浅いものからだんだん深いものまであると述べている。もっとも深い部分は、自分でも意識することができず、個として存在するのではなく、もっと普遍的に存在するのだという理論である。
わたしという存在は、この世で肉体として存在し、別の世界につながっていて、2つの世界でつながりをもって通信しながら存在している。この世とちがう別の世界のことは、かいもく、わからない。
しかし、肉体が機能しなくなり、この世で死んでしまうと、この世の肉体に宿っていたわたしという存在は、この世ではもはや存在できなくなり、消滅するか、あるいはあの世へ戻っていって、いずれにしてもあの世の存在だけになる。そこから先は見当もつかない。
今日は、この考えは、このくらいにしておこう。
しかし、存在というものは、「なぞ」である。だれも、まだ、明確な「答え」を知らない。
ひょっとしたら「仏陀」は、その「答え」を知っていたのかもしれない。
その「答え」をこの世に存在するものに説明することが不可能であることを。
ハイテンション
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ハリウッドで作られたスプラッターホラーとは、ちょっと一味違ったフランス版スプラッターホラーだ。
ハリウッド製のホラーは、ますます露骨に人を切り刻み、頭をつぶし、血しぶきを噴出しているが、こっちのフランス製でも、その点は同じで、それだけじゃつまらない。
しかし、映画のところどころにフランスらしさが出ている。
まず目に付くのは、「タバコ」である。最近のハリウッド映画では喫煙シーンが意図的にか、それが自然なのか、ほとんど観られないが、この映画では、むしろ映像のアクセントとして目立っている。
ヘビースモーカーのわたしとしては、ちょっとうれしくなってしまう。
もうひとつ特徴的なのは、音楽である。
アメリカで流行しているような、ヒップホップやラップなどのアフリカ系のノリのある音楽が流れず、それこそ20年前よりもっと古い時代のミシェル・ポルナレフ風のポップ音楽が流れる。なんとなく、どこか懐かしい感じだ。非常に保守的な感じ。
それから、アメリカのホラー映画でよく登場する若者の「乱痴気騒ぎ」もない。自由奔放なエロチックシーンもない。
ごく普通の家庭でごく普通の人が、ものすごく異常な犯人によって惨殺されていく。見方によっては、犯人はすごくまじめに殺人を犯していくのである。
この部分はちょっと怖い。現実に日本で起こった、世田谷の一家惨殺事件など実際の事件現場と状況を彷彿とさせてしまう。
ここまではすごいホラー映画だ。
しかし、ここから先がちょっと意見がわかれるだろう。
実は、この映画のストーリー全体が異常なのであるという、どんでんがえしが待っている。
「シックスセンス」にも似た手法である。
ただし、わたしのカミさんは、ぶーぶー文句をつけていた。このどんでんがえしがなければ、立派なホラーなんだけど、と。
この映画を作った脚本家と監督がそもそも正常ではないのではないだろうか?と疑問も出てくる。
DVDでオマケで入っているメイキング映像で、監督と脚本家が得意げに説明するのだが、なんか言ってることのピントがズレているようで感心できない。こういうのが、フランス流映画制作なんだろうか。
ふと昔観たミッキ-ロークの「エンゼル・ハート」という映画を思い出した。
こちらの映画はほとんど内容を憶えていないくらい古い映画だが、ずっと複雑で、悪魔的、オカルト的、猟奇的ですばらしい出来だった。やはり、どんでん返しが待っているのだが、それがごくごく自然なカタチで、しかも衝撃的にやってくる。
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猫の病気
わたしの家には、猫が6匹いる。
モモ子、タカちゃん、ピヨタ、シロちゃん、リカちゃん、ミケちゃんである。
最近タカちゃんの体調が悪くなった。
猫は、言葉をしゃべれないので、体調のことはよくわからない。しかし、食欲を見ていれば、ほぼわかるようになる。食欲が落ちてくると、危険信号である。
タカちゃんは、突然食べ物をはいてしまい、その後食べなくなってしまった。
タカちゃんは、数ヶ月前、はやり同じような症状で、動物病院へ入院したことがあった。血液検査をして、点滴を売って、2日間入院した。黒猫で、たしか15才である。人間でいえば相当な年である。
このとき、体温を保持できるようなベッドを入れ、しばらくして、すっかり回復した。
今回は、4日くらい食欲がなかったので、また入院かと気をもんだが、ペット暖房器を入れてあげ、ポカリスエットのような犬猫用のサプリメントで水分を補給してやり、人間用の栄養ドリンクを飲ませてあげた。前回の入院で針のない小さい注射器のようなもので薬を飲ませたので、その注射器で飲ませてあがた。
それが効果的に作用し、現在は食欲が回復しつつある。
ペット用暖房具などで、あたためてやり、水分と栄養を補給してやることで、免疫力が回復したのだと思う。
現在は、ホームセンターなどで、手軽な価格でペット用暖房器具が購入でき、便利になったものである。かつては、毎日湯たんぽにお湯を入れて暖めてあげたことを思い出す。



