サーモセラピーでスイッチ 温! -5ページ目

老いも歓喜

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「生も歓喜、老いも歓喜」
老いることは万人に共通で、必然の進化のプロセスであることから、歓喜でもって受け入れられるべきもの。
大事なことは、何もしないで漠然と空しく老いるのではなく、一瞬一瞬を全力で生き切り、充実感をもって歳をとっていくことではないでしょうか。そこには、後悔のない大歓喜の生き様があります。

幸せのルール 浜口直太著より
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アンチエイジングや、長寿遺伝子のスイッチを入れる等々、若さの維持がブームになっています。

でもいくら頑張ったとしても、老いと死は必ず訪れるわけで、ブームに乗っかっていると、生きていくこと自体がストレスに成りかねないと思ったりしました。

これからは、「老い」を歓喜でもって迎えたい。

羞恥心

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羞恥心なんて根も葉も無い感情です。
それはただ風俗や教育の賜物であって、いわゆる習慣というものの一形態にすぎないのですからね。
裸の男と女を創り出した自然が、同時に裸になることの嫌悪や羞恥を人間にあたえようはずがないじゃありませんか。
もし人間がつねに自然の原理に従っていたのだったら、人間は羞恥心などというものをけっして知らなかったでしょう。

マルキ・ド・サド著 悪徳の栄え(上巻)より
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私が昔、不動産の仕事をしていたときに、その会社で仕事のできる先輩方は共通して、およそ羞恥心というものを知らない人たちでした。
変人にならないと家が売れないのかと思うくらいでしたが。。。

それはさておき、先のノートで書いた「快楽主義と自律神経」にある「動物的な状態に身をおく」訓練において、一番邪魔になるのはこの「羞恥心」という感情でしょう。他人(ひと)は他人、私は私。
「恥知らず」ではいけないかもしれないが、その線引きはどこにあるのかを知りたい、と同時に紙一重なのだろうとも思う。

快楽主義と自律神経

快楽主義の哲学 澁澤龍彦著

この本の中で、「禁欲主義」と「快楽主義」との関係を興味深く説明する一節があるので記したい。

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あるときストア派の連中とエピクロス派の連中とが、アテネの広場に集まって喧々囂々と議論していた。

エピクロス派は「人生の目的は快楽だ。」と主張。一方ストア派は「快楽を遠ざけ、宿命を受け入れよ。」と主張。
そこではどんな激しい議論が始まるかと思いきや、意見を交換しはじめると、たちまち意気投合した。
それは、その奥深い面で互いに相通じる部分があったから。どちらも「自然と一致して生きる」ことをモットーとしているからである。

ストア哲学において「自然と一致する。」とは、外界に対する一種の緊張を意味する。(ストアはストイックに通ずる語)
エピクロス哲学においては緊張緩和(リラックス)を意味する。

例えば道を歩いていて嵐に遭遇したと仮定。

ストア派なら、できるだけ苦痛の感情から身を離し、「雨や風は、おれとは無関係だ。おれは大地に足を踏み締めて、がっちり立っているのだから、いくら雨風が来ようと平気だぞ。」と考える。

エピクロス派は、反面襲いかかってくる外界の攻撃に敢然と耐えようなどとは、はなから考えません。「嵐が来るなら、まあそれもよかろう。」そして、「やれやれ、ずぶ濡れになっちまった。だがまあいいや、ほうっておけば、そのうち着物もかわくだろうさ。」と考える。

つまり、これが緊張と、緊張緩和である。

緊張を緩和するということは、‘動物的な状態に身をおく’ということ。
暑い夏には、イヌは舌を出しぐったり寝そべる。雪の降る寒い日には喜んで飛びはねる。
夏のあいだ、植物が日なたでは萎れ、日かげではいきいきとして起き直る。
つまり、その時その時の周囲の状態によって、いろんなふうに生き方を変え、もっとも楽な姿勢を選ぶというわけである。
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自分自身は、ストア派とエピクロス派のどちらよりでしょうか。

緊張と緊張緩和を、自律神経の交感神経優位と副交感神経優位と見做すなら、ストア派であるなら緊張緩和を、エピクロス派なら緊張を思考に加えることで心と精神、ひいては肉体のバランスを取ることができるのではないかと思いました。

特に自律神経失調症の方は、ストア派的思考である方が多いと思います。交感神経優位型は病気にかかり易い状態と言われております。

そういう人は一旦自然界に目を向け、「動物的な状態に身をおく」訓練をしてみるといいのかも知れません。

「教える」ということ

探求Ⅰ 柄谷行人著より

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哲学者であるウィトゲンシュタインは、言葉に関して「教える」という視点から考察しようとした。これは、画期的な態度の変更である。
子供に言葉を教えること、あるいは外国人に言葉を教えること。
いいかえれば、私の言葉をまったく知らない者にそれを教え込むこと。

言葉を「教える-学ぶ」というレベル、あるいは関係においてとらえるとき、はじめてそのような他者があらわれる。私自身の”確実性”をうしなわせる他者。

「教える-学ぶ」という関係を権力関係と混同してはならない。実際われわれが命令するためには、そのことが教えられていなければならない。
われわれは赤ん坊に対して支配者であるよりも、その奴隷である。
つまり、「教える」立場は、ふつうそう考えらえているのとは逆に、けっして優位にあるのではない。
むしろ、それは逆に、「学ぶ」側の合意を必要とし、その恣意に従属せざるをえない弱い立場だというべきである。

言葉について、「教える」側からみれば、私が言葉で何かを「意味している」ということ自体、他者がそう認めなければ成立しない。
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自ら購入して読もうなんて思わないほど難解な本だが、哲学好きの青年にプレゼントされて読んでみると、なかなか面白い。

紹介したのは本の冒頭の部分。私自身、施術のインストラクターとして、「他者」に「教える」ということがどういうことか気づかせてくれる一節でした。

カロ リス

サーチュイン遺伝子というのを聞いたことがあるでしょうか。
長寿と関係のある、あらゆる生物が持つ遺伝子の一つです。

NHKスペシャルで春先に特集されたことをきっかけに、サーチュイン遺伝子の「スイッチをONにする」ことが、俄かにブームになっています。

その方法は二つ。
・食事制限すること。3割カット。腹七分が良い。
・トランスレスベラトロールのサプリメントを服用すること。

オールド・パーや徳川家康などの食生活の記録を見ると、健康で長生きした人は食事の量が少なかったことが伺えます。

食事制限が無理ならレスベラのサプリで楽してスイッチを入れることもできるようです。

ただし、巷に出回っているレスベラの中には、成分的に??なものが多数ありますので、注意が必要ですし、あまりに不摂生なら長生きできたとしても、健康でいられるかどうかは疑問です。

食事制限+サプリ、それに軽い運動を加えれば長寿のスイッチを入れつつ健康でいられるかもしれません。