NHKでやってる5分番組Taro Man。
岡本太郎の言葉に沿って、Taro Manというウルトラマンのパロディみたいな短いドラマ仕立ての番組。
「好かれるヤツほどダメになる」回を観ました。
ものすごく簡単に言ってしまうとヒーローらしくない戦い方をして、「ヒーローらしさ」を求めていた民衆からガッカリされて、TaroManからみんなの心が離れていくのですが、お金にしか価値を見出していなかった不動産会社の社長は「なんて自由なんだ!」と感動するというお話。
今の時代、SNSではより多くの人に自分の「らしさ」を認めてもらおうとみんな必死です。
インスタグラムなどの生活スタイル切り取り写真、Youtube動画配信も分かりやすく言うと他人に認めてもらいたい自分らしさを表した「作品」で、フォロワーを増やし、「いいね」を沢山もらうために頑張っています。
以前も発行部数、視聴率、価格など数字で測れる指標はあったと思いますが、現代ほど数字に翻弄されてはいませんでした。
たとえば本屋に行っても、すべての本の表紙に発行部数は書かれていませんでしたし、もちろんリアルタイムで更新されることもなかったです。
ところが現代のSNSではすべてに数字がついてきます。
どこの誰がどんな理由で付けたのか、よく分からない数字に一喜一憂します。
SNSの「バズる」は、昔、飲食店をやっていた時に広告会社を使って、テレビ数社のコーナーで取り上げてもらうと放送翌日に味もあまり分からない興味本位のお客さんが殺到するのに似ているな~と以前から思っていました。
テレビで取り上げられると怖いくらいお客さんが押し寄せます(笑)。
SNSのインフルエンサーに取り上げられるといいねの数が格段に違うのと一緒です。
自分もそうでしたが、「いいね」「視聴数」などの明確な数字として表されると人は勘違いします。
そしてたくさん付けば付くほど「いいね」や「フォロワー」の数が価値基準になり始めて、それが一人でも少なくならないようにと願うようになります。
TaroManのお金のみが価値基準だと思っている不動産屋さんと同じです。
そうなると当然ながら「作風」は変えられなくなります。
先に進めなくなり、同じ作風を繰り返すだけになっていきます。
まさしく岡本太郎の言葉「好かれるヤツほどダメになる」「同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ」状態です。
「いいね」をつけてるほとんどの人は専門家でもなく、有名人がリツイートしたから、なんとなく付けてたり、自分にも「いいね」を付けてくれるかもという「相互いいね」だったり、果てはいいねを売ったり、買ったり出来るのにです。
昔のように先生、大評判ですよとか100万部突破しましたよと担当の編集者から聞かされたり、画廊の主人から聞かされていた時代とは訳が違います。
頑張って、いいねが沢山つくようになった作風。
その作風を大きく変えた瞬間にガクンとフォロワーもいいねの数も減ります。
しかもリアルタイムで明確な数字として現れます。
昔は評判が本人の耳に入るまでは時差がありました。
昔と現代では世間の評価が作者に届く時間、与える衝撃の度合いは雲泥の差があります。
自分も少しばかり評価され始めていた時に大きく作風を変えたのですが、それができるようになったのはSNSから1年以上完全に離れて、復帰しても、すぐにまた代理人にツイートを上げてもらい、一切の反応を見ないようにしているからなんとか出来ています。
受けないのは分かっていたので、かなり悩みましたが・・・・。
もちろんTwitter自体見ておらず、フォロバも相互いいねも出来ませんし、自分は他人のことを知らん顔しているのに、自分には関心を持ってもらおうなんて、そんな虫のいい話はないので、フォロワーもいいねも激減すると覚悟しています。
現代ではそれくらいやらないととてもじゃないけど、普通の神経で作風を変えることなんて出来ません。
作風を変えまくったピカソ、北斎をはじめゴッホ、ムンク、現在90歳のリヒターなど、SNSなどなかった時代でも自ら「らしさ」を捨て、作風を変えた有名画家はそれほど多くないのに、現代でそれが出来るアーティストがどれくらい現れるのでしょう?