現在利用している、介護サービスはない。


私が休みの日以外は、つきっきりでいる母は自由がなく買い物さえままならない。

母の体調も考えると、デイサービスやショートステイの利用をしたらと提案するのだが、父が対応できるかを考えると、もしも利用したとしても、行っている間中、心配で心配でかえってストレスになりそうだ。と言う。

しょっちゅう父に怒っているのに・・・・・。預けるとなると不安だらけになるようだ。


ケアマネさんから最近紹介されたのが、有償ボランティアサービス。

時給制のボランティアさんが来てくれて、日常のお手伝いをしてくれるというものだ。


父の場合、一緒にいて話をしてくれたり、散歩に行ってくれたりしてくれるそうだ。

ヘルパーさんだと、だた家にいるということや、散歩に行くだけというのは頼めないそう。


現状の父は、食事もトイレも一応は自力でできる。ただ、何をしでかすかわからないので一人にはしておけない。


介護のプロではないけれど、有償ボランティアさんは、そこのところをしてくれる。


昨日は、その有償ボランティア活動をしている「ふれあいサービス」さんから紹介された方が来てくれた。

1時間ばかり、家にいて父を話をしてくれたそうだ。

もちろん母も同席。様子を見て徐々にお互い慣れていきましょうということで。


今後、少しでも母が自由になる時間を作っていかなければな~と思う。







 よく映像では見る光景。


幼児や老人が、食事中に眠くてコクリコクリしている様子。


昨晩は父も、食事の途中で、


「眠い」といいだし、寄りかかっているソファにゴロンとなった。


まだまだ、食事の途中。


もう食べないのかと思っていると、数分後ソロリ~と起きだす。そして、モグモグ食べる。


そして、またまた、ゴロン。


ゴロン~ソロリ~モグモグを繰り返し。ご飯は完食したのである。



ここ数日、夜になると家中をウロウロするので、母が主治医さんに相談し睡眠導入剤をだしてもらってきた。


確かに、なかなか寝ないのだが、昼間はたっぷり寝ているので飲ませていいものか?


様子を見るしかないですね。








 

父が私の顔をマジマジと見た。そして・・・・・


「あんた、うちの娘に似てるねぇ!」父。


え~~?!笑かしてくれるな~。



「娘だよ!」私。 (なにがあろうと娘だよ!)←心の声

暫くして、


「そうか。似てるよ!」父。


「だから、娘だよ。」私。


「そうか。」父。


瞬間的に、わからなくなるようだ・・・・・・。



でもまだ、見覚えのある顔だと覚えているのね、そりゃそうだ、私は父にそっくりだもんね。








 昨日、帰宅すると、父の「帰ろう。」モードが全開。


玄関先に現れた父は、自分の靴を入れたスーパーのビニール袋を大事そうに手に持っていた。


私に「混んでたか?これから行ってくる。」と・・・・・。


「どこに行くの?」私


「とにかく行くから、一緒に行こう。」父。


自分がどこに行きたいのか、わからないけど行きたいのだ。


「これから、私食事するし、今日はもう暗いから明日だね!」といつものセリフ。


暫く、その会話は繰り返され、なんとか行きたいモードは治まった。


しかしお出かけの際の身支度が、スニーカーとはね~。不思議・・・・。



そして、私が食事をしだすと、


「俺も飲む!」と言いだした。


私はワインボトルに水を入れているのだが、それを見てアルコールだと思ったようだ。


「いいよ。」と父のコップに注いだ。


完全にアルコールだと思って飲んでいる。ただの水なのに・・・・・。


すると突然、

「なんだか、アルコールの味がしないな~」父。


「そう?これ薄いからね。」私。


「そうだな!」父。


お~ぉ!納得してしまった。


この頃、アルコールもごまかせちゃうようになってしまった。


毎晩の晩酌ビールも、今はノンアルコールビールだしね・・・・・。


家では、ノンアルコールビールの流行りは大いに助かっているのだ。





 父の認知症症状の始まりは、うつ的な状態だった。


3年前位から、気持の晴れない精神状態のようだった。


その頃飼っていた犬に、ブツブツ話しかけながら悩み事や晴れない気分を発散するようになっていた。




父は犬好きなので、とても可愛がっていたのだが・・・。犬にとってはいい迷惑だったろうな~。



その後に現れたのが暴言暴力。


元々お酒好きな父、毎日の晩酌は欠かせない。


適量で止めれれば良いのだが、止められず飲み過ぎた日には、必ず暴言や暴力が始まる。



穴の開いた壁は、今も残っている。


私にも、「やるのか~!」と売り言葉に、私も「出来るものならやってみな!」と買い言葉で応戦。


しかし底には、理性が働くのか、面と向かっても私には直接殴りかかりはしなかった。


その手は、壁に八つ当たりとなったのだ。


母も何度外に飛び出したことか・・・・・。



その頃から、これはただの鬱ではないかも?!と家族間で思うようになり、


医療機関へ連れて行ったのである。診断は、「アルツハイマー」。




それから、2年。


歩き方もトボトボ歩きになり、運動能力も落ち、体系もシャープになってしまった。


もちろん、記憶力もなくなり今やったことを覚えてはいない。


今でも、力ずくで何とかしようとするときがあるが、私の力のが勝ってしまった。


日々、暴言暴力に振り回されることはなくなったが、その分身体の世話や、徘徊の防止に明け暮れている。



小さくなっていく父を見ていると、とても愛おしい。



さて、今日はまだ、母からの助けてコール(電話)はない・・・・・。



穏やかに、日々を過ごしてほしい。それが今の私の願いです。