月・木・土に投稿予定です飛び出すハート

 

「久しぶりに「香福」へ食べに行かない?

今の時間だったら

きっと空いていると思うんだ。

敵情視察も兼ねて行こうよ。

あ、一応今のは冗談だからね」

浩が屈託なく持ちかけてきた。

 

 

午後二時には「ラーメン亭」は

いったん閉めて

店の賄いを食べることが多いのだが

今日は外に出ようということになった。

 

 

耀は一瞬ためらったが

「そうだね。「香福」は久しぶりだな。

東京以来だよ」と答えた。

「東京?ああ、大学のときの話?」

 

 

「香福」はランチタイムの賑わいが

引いていて

二人はすぐに席に着くことができた。

 

 

「香福」は中華街の中で

最も成功しているチェーン店で

東京やその他都市に何店舗も出店している。

 

 

一時期、CMを全国展開していたため

東京の会社と思われている節もある。

「香福」の社長と百雄伯父とは

長年中華街を支え合ってきた旧知の仲だ。

 

 

社長は地元の商工会議所や

経済同友会の役員も務めている経済人で

林一家にしてみれば頼りがいのある人物だ。

 

 

奨学生募集!

 君も「香福」で働いて大学に通おう

 

テーブルの端にある

アクリルスタンドにはさまれた

広告を見て浩は思い出した。

 

 

そうだった。

耀は百雄伯父さんに

負担をかけたくなかったので

「香福」の奨学金で

東京の大学に通っていたんだっけ。

 

 

UnsplashBenoît Deschasaux

 

 

アルバイトが入っていた日は

賄いを食べていたので

もう「香福」の味には

飽きていたのかもしれないな。

 

 

「ねえ、僕は耀は東京で就職するものだと

思っていたよ。

いや、皆そう思っていたんじゃないのかな。

耀は小さいころから

この辺で一番頭が良かったから

僕たち親戚の希望の星で

大きな会社に入って出世するんじゃないかって」

 

 

耀が黙っているのを見ると

「ああ、ごめん。

耀の気持ちも考えずに勝手なこと

ぺらぺらしゃべっちゃって」

浩は慌てて取りなした。

 

 

「いや、いいよ、別に気にするなって」

耀はしばらく言葉を選ぶように考えていたが

「俺はやっぱりこの町が好きなんだ。

この町は一番だよ。

 

 

浩や、それに俺を育ててくれた

おじさん、おばさんが好きだし

恩返ししたいんだ。

皆と一緒に暮らすことを選んだんだ」

 

 

「そうだね。

僕も耀がそばにいてくれる方が嬉しいよ」

浩が明るく言ってくれたからいいものの

今の状況じゃ恩返しも何もないなと

耀はまたも冷めた気持ちになった。

 

 

大学時代のこと。

一体いつになったら過去の話として

笑い話として話せる日が来るのだろう。

 

 

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幼い兄妹はさほどもめることもなく

父の兄、百雄夫婦のもとに引き取られた。

両親の生前から近くに住んでいて

かねてから親しく往来をしていた間柄だった。

 

 

「今日からは私たちがパパとママだからね」

そう言って抱きしめてくれた

伯母の柔らかい胸の匂い

涙をこらえたような横顔を思い出す。

 

 

麗華は何だかよくわからず

にこにこしていたっけ。

 

 

子供のいなかった伯父夫婦に

実の子のように可愛がられ

二人は伸び伸びと育つことができた。

 

 

 

 

その期待に応えるように

耀は学業に、スポーツ

特に中国武術に一生懸命打ち込んだ。

 

 

もう一人の父の兄弟である剛英叔父は

道場を経営する師範で

剛英の息子の浩と共に

耀は幼いころからその道場に通っていた。

 

 

伯父の百雄夫婦は

中華街で「らーめん亭」を営んでいたが、

成績優秀であった耀を

東京の大学まで行かせてくれた。

 

 

金持ちの子弟の多い有名私立だったが

数少ない特待生枠で合格することができた。

耀は自分のことを不幸だと思ったことは

一度もなかった。

 

 

 

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後ろを振り返ると、そこにいたのは

見上げるような背の高い男で

肩から上は闇の中に溶け込み

まるで2人に覆い被さるように

暗い不吉な大きな影が広がっている。

 

 

親戚のおじさんでないことだけは

明らかだった。

 

 

そのとき表を通り過ぎた車の

ヘッドライトが

一瞬だけ部屋の中を照らし

男の顔をはっきりと映し出した。

 

 

耀は身震いした。

人間じゃない。

顔には幾筋もの大きな皺が刻まれ

冷たい目が耀を見下ろしていた。

 

そこから先の記憶は耀にはない。

 

 

平和な日々は

ある日突然終わりを告げた。

 

 

UnsplashAshlee Marie

 

幼い耀にとっては何の前触れもなく

両親がいなくなってしまったのだ。

耀は六歳だったので

その時のことはかすかに覚えているが

二歳だった麗華はどうだろうか。

 

 

耀は覚えていないことを望んだ。

二人は割と仲がいい兄妹だと思うが

今まで二人で話しあったことはない。

 

 

周りの大人も

「不慮の事故で亡くなったんだよ」

としか言わず

あとは口をつぐんで一切触れたがらなかった。

 

 

だから成人した今まで

大人に尋ねることはなかったのだ。

はたして本当に現実だったのか

夢だったのかわからないまま

ふだんは胸の奥深くにしまわれていている。