sunset diary -640ページ目

ラブレター

FBJちゃんや、Rosさんのところでみた、「初恋の人からのラブレター」。私もやってみました。人のを見て爆笑したけど、自分のも笑えた。↑の2人のと何気に似ていたけど、もっと違う分析結果の人のを見てみたいです。これって、男の人のもあるのかな?ここからいけます。見た人は、是非やってみてください。

私のはこんな感じ。

Schatzi、ひさしぶり。
もうモテる女性を「下品な女」と罵るクセは治りましたか?毎日のように言っていたSchatziをなつかしく思います。

Schatziがおれに「別れないから大丈夫だよ」なんて言いながら徐々に連絡がとれなくなったあのころから、もう24年が経ったんだね。月日が流れるのは早いものです。

手紙を書いたのは、とくに用事があるわけではないんです。ただふと思い出して懐かしかったので、思いつくままに手紙に書こうと思って。ふふ。驚いたかな?

思い返してみると、うちらの恋愛ってひどいものだったなぁと今さらながらに思います。わりと若者らしい恋愛をしたがったおれと、すぐドライになっていったSchatzi。Schatziの決めぜりふはいつも「ごちゃごちゃ言ってると別れるよ」でしたね。どんだけ上からだ!と思ったけれど、怖くて文句の一つも言えませんでした(苦笑)。

そういえばSchatziにとって、おれが初恋の相手だったのかな?Schatziは表情には出さないようにしていたけど、最初のころはやけにガチガチだった印象があります。今ごろ男慣れしたんだろうなぁと思うと少し切ないです。

付き合い始めのころは、勢い余って、Schatziが「いつか結婚してもいいけど」とか言っていましたね。言い方は素直ではなかったけれど、その気持ちは嬉しく思ったものです。後先考えずにそういうことが言えてしまうところもSchatziらしいですね。

恋愛を総括して言えば、きっとおれはSchatziと付き合うことができてよかったのだと思います。いつもどこかにいってしまいそうなSchatziと付き合って、最終的には自分との戦いだということを学びました。

いろいろ書いたけど、おれはSchatziが大好きでした。これからもSchatziらしさを大切に、あと、Gカップになるという夢もそのまま追いかけながら(笑)、新しい誰かと幸せになってください。

またいつか会いましょう。では。

P.S. Schatziがクリスマスにくれた観音像、まだ飾る場所が決まりません。


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で、これの分析結果がこちら↓


【短評】
しっかり者で、男性を守る側になることも。相手の気持ちに配慮もできて精神的にタフ。弱味を見せないところがある。
【あなたの恋愛事情を考察】
Schatziさんは、よく「付き合った男性がみんな弱っていく」などと感じませんか?または、長く付き合ううちに「私はあなたの母親じゃない」と言いたくなることはありませんか?逆に、Schatziさん自身が甘える場面というのは少ないのではないでしょうか。

基本的にはSchatziさんは、わりと恋愛では「強い」ほうだと思います。周りの人からは、悩み事がないかのように思われる可能性もあります。確かに精神的には比較的タフだとは思われますが、一方で、そういう役割にばかり追われると、もっと子供のように甘えたい気持ちが内側に蓄積するものです。

素直さや隙がないために、相手がSchatziさんをどう愛していいのか、どこをとっかかりとして幸せにしていいのか、よく分からないことでしょう。そして相手男性が弱くなっていくか、逆に針が振れて、自分に振り向かないほどの男性(彼女持ちとか)をいつのまにか選んでしまう可能性もあります。

ここから言える、Schatziさんにありそうな問題点を列挙します。

◆自由人でしっかり者だが、男性からしてみると近寄りがたい。
◆なぜか少し弱々しい男性に好かれる。そしてドキドキできない。
◆素直に甘えられる(ドキドキできる)男性を求めると、しんどい恋愛に変わる。


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これって、当ってるところが多くてドッキリ!でも、「だからどうした?」って思ってしまう自分が、やっぱり可愛くないんだよな。私は、サバサバじゃなく、パサパサだな、と自己分析してしまい、そして「ハイ、次」と思ってしまうところがいけないな…って思う。

そして、問題点にもある「近寄りがたい」と、「弱々しい男性から…」っていうのも当ってる。これは、面と向かって男の人から言われた事があるから。なぜか、私には年下から声が掛かる事が多かった。「いい加減にしてくれ」っていつも思ってた。
そして、一度すっごく燃える恋をしたんだけど(笑・不倫ではないですよ)、どうしても諦めなくちゃいけなくて、しんどかった。自分が解けるかと思ったくらい。

しかし、そのケリがついた数ヵ月後、今の夫に出会ったところが、また運命。8歳上で、私には丁度いい歳の差だったよう。

そもそも、私には、ブラザーコンプレックスがあったんだと思う。兄は10歳上だし、いつも彼の友達がウチに来ていて、私と遊んでくれたし、どこにでも連れて行ってくれたからだろう。両親は、私が小さい頃に離婚してるし、兄の存在のせいで、同級生の男の子が眼中に入らなかった…、これだな、私の恋愛にドライな性格の原因は。

上手く夫に出会ったからよかったものの、そうじゃなきゃ、今頃も一人でいた気がする…。

出会いって不思議~~!

Amoklauf



たった今、息子に促されてニュースをみました。ドイツのStuttgart近郊のRealschuleでまた、無差別殺人が起こったそうです。

※画像、ドイツ語ですみません…。先にコレが目に入ったので。

同年代の子供を持つ親として、とってもやるせない事件です。

紙コップとテニス

今朝はママ友「エイミー」と、一月ぶりにお茶をしに行きました。

ほんの一握りの人ですが、いますよね、始めてあったその時から、ソウルメイト?って感じにしっくり来る人。彼女はそんな人で、いい人なんだな~。

今日は、彼女がよく行くらしいコーヒーショップに、連れて行ってもらいました。可愛いところで、お客さんが少ないのもとってもナイスでした。が、やっぱりここも『紙コップ』。クロワッサンが美味しかったし、カプチーノも美味しかったのに、やっぱり紙コップだと、味が半減ですね…。アメリカ~~~~っ(泣き)
sunset diary


↑これは、ウチのカフェ



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月曜のダブルス・トーナメント @ 夕方6時で、気温26℃の外コート・・・。

結果、3戦全勝~♪ 私は、グループ内トップになり、来週は一つ上のグループでの試合♪

この日は、前衛での自分の立ち位置に気をつけた。何を頭に描いたか、それは…

先週観た、2008年-スペイン(ベルダスコ&ロペス)対アルゼンチン(ナルちゃん&?)のデビスカップの再放送!

前衛の時、外ラインと自分との間のギャップを抜かれないように注意したのと、真ん中に飛び出て打つ時は、絶対に「あたしが決める!!!」と、自信を持って飛び込んでみた。

以前は、ウロウロとしていたから、相手に甘く見られていたと思うのだが、昨日はじっとまって、「くる!」と思った時は、真ん中に飛び出てみたら、よく決まった。

でも、まぁ、今週までのトーナメントは、5グループに分かれた内の、下から2番目のグループ。来週から、私は下から3番目、上から3番目の中間のグループに昇格だけど、果たして、ここで勝ち点はあげられるのだろうか?

そして、真剣に考えなければならないのが、レッスン。今は月曜の試合の前の練習に参加しているだけだけど、他のほとんどの皆さんが、最低週に3日はテニスをしているらしい…。以前の私は、夏は一日置きにテニスをしていたけど、今はどうだろか?午前中の時間はあるけど、週末がつぶれるのはなぁ。それに、ハードコートはヒザにくる…。

でも、サーブを強化したいし、もうちょっとコートにいかなくちゃ…、と思ったのだった。

数字オタク

昨日は、次男のクラスの先生と面談をしてきました。

実は次男はちょっと、映画『レインマン』のダスティン・ホフマンを感じさせるくらい、数字オタクなのです。彼が1歳半で、始めて口にした言葉も「Noch eins!-もう1つ」。パパ、ママではなく、もう1つ…。レインマンの彼は、電話帳を暗記していましたが、ウチの次男も、電話帳を与えておけば、じっとしている子でした(コワくて直ぐに止めましたが)自閉症ではないそうですが(小児科医によると)、数字に対して、異様な執着があり、気味が悪くなる事があります。例をいくつか挙げると・・・

その1・ もっと小さい頃、友達の家に遊びに行くと、その家の番号(住所)を直ぐ覚えた。電話番号はもちろん丸暗記。

その2 2年も前に乗ったモーターボートの、燃料タンクのメモリ。4時間借りて、使用後に何ガロン足したかを今でも覚えている。先週車に入れたガソリンも、何ガロンだったか聞いたら絶対に覚えています。(車の中で、レシートを即暗記するようです)

その3 「僕は一日3回食事を採る。一ヶ月だと3x30として、一年間は3掛ける365か。じゃあ、僕は7歳だから、掛ける8か…(※ちゃんと0歳を計算に入れていた)でも、0歳の時はもっと食べていたよね~」=因みに、さすがに365x8は暗算できないので(ホッ)計算機を使っていました(笑)

その4 とってもハマっている、タイタニックのお話。彼は、船の大きさはもちろん、何人のお客さんが乗船して、何人が生き延び、その内何人が子供だったか。また、何ガロンの牛乳、何箱のアイスクリーム、何箱のレモンなどなどが積み込まれていたか、覚えています!(=オタク)

その5 5歳で数独とポーカーにハマる。因みに、勧めたり買って与えたのは、彼の兄姉です。上手く次男のツボに嵌ったのです。

こんな数字オタクな次男。きっと、ドイツの普通の小学校にあがっていたら、そのまま放って置かれたと思うのですが、今通っているアメリカのフツ~の学校では、彼が飽きないように、適当にレベルの高い問題を出してくれたり、補習の時間は彼には必要ないので、その時間に、幼稚園のESL(英語補習)クラスのボランティアに参加させてくれるようになりました。彼の英語で、ESLのちびっ子達を勇気付けているらしいです。

昨日は、そんな彼の充実した学園生活を聞かされ、ホッとしました。家で私が出来る事は、彼に音読をさせることと、一緒にボードゲームをひたすらする事だそうです。とにかく、彼の数字=数学に関する関心を損なわないようにする事が肝心なんだだそうです(なるほどね・・・)

私は数字アレルギーの持ち主ですが、こういう子供が生まれる場合もあるんですね。

突然変異とは、こういう事だと実感です。

私のハマリもの半生記

先日、テニスの心の友(と私は勝手に思っている)、めろんぱんさんのところで、立派なハマリもの半生日記を読み、私も回想してみる事にしました。ではやってみましょう!(注:長いです)


小さいときは引越しが多く(小学校で3回)、友達を作るのがマイブームだったかな…。後はお絵かきと折り紙。ま、これはどこの子も一緒ですね。(先ずは軽く、ジャブからね)

小学三年生で、ある事との運命的な出会いがあります。それは『英語』 私の祖父はドイツ語を、父は英語を操っていたので、なぜか母は兄姉の中で私だけ(彼女が歳をとってからの子なもので)、英語を習わせるようになりました(母はしゃべれませんよ)当時、近所で英語を習っていたのは私だけでした。始めはなんとなく通っていましたが、この英語のクラブでお芝居をやる辺りから面白くなり、まさに英語にハマリました。元々歳の離れた兄姉の影響で、ビートルズをいつも聴いていましたが、それからは意味が知りたくて、洋楽一辺倒になりました。

そして、中学に入ってハマッたのは…(驚かないでくださいよ、そこの皆さん…)
 
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フリオ・イグレシアス!!!(爆)

当時、同級生の皆がチェッカーズとかに燃えていたのに、私だけフリオ・イグレシアス(笑)なぜフリオ???しかし、アノ頃の友達はこんな私をいじめる事なく、暖かく(?)見守っていてくれたのです、いつかは目が覚めるだろうと…(笑)フリオの自伝記やあらゆる本も、もちろん読破。今でも覚えているのは、フリオの雑誌を学校に持って行き(コワっ)、そうじをサボって(※アノ頃は掃除当番というのがありました)、机の下に男の子を引っ張り込み、彼にフリオの良さをあれこれ植え付けたことです。今思うと、この男の子は我慢づよい子だったと思います。ごめんなさいね○○君…って、名前忘れちゃった(苦笑)

そして、この『フリオ熱』に参った兄はある日、彼の来日をかぎつけ、母と私を来日コンサートに行かせてくれました!別にバックステージにいけるわけでもないのに、この日の為に新しい服を買いに行ったことも覚えています。学校も早退、掃除もサボりで武道館に行ったのは、昨日の事の様に覚えています。もちろんそのコンサートで、ソラでスペイン語の歌を歌えたのは、私だけだったと思います(笑)今でも実家に帰ると、当時の友達からは『Schatziのフリオ熱』と、よく話題に登ります(苦笑)

そのうち、やはりスペイン語は歌えても意味が分からないので、英語の歌に戻りました。中学3年では洋楽の好きな子を発見し、QueenからWHAM!、Whitney Houstonなどなど、カセットを交換したり、とにかく洋楽まっしぐらになりました。

女子高に入ってからはバスケと洋楽に英語。英語は家にいる時はずっと、お風呂の中でもFENを掛けっぱなし。通学時はウォークマンで洋楽ばっかり。英語が耳に入らない間がないほど『英語漬け』の毎日でした。高校3年でクラブ活動がなくなると、ヒマを持て余し、洋楽の『訳』を始めました。CDをレンタルする時に歌詞をコピーし、その『翻訳家』達が訳したものを見ずに、自分なりに訳詞をつけて遊んでいました。これ、最近までファイルが手元にありましたが、処分してしまいました。凄い数でしたヮ。

そしてその後、2年間の学生時代も、もちろんそのまま英語&洋楽命。そして、日々のバイト代はすべて外タレコンサートへつぎ込み、一人『私は外タレのインタヴュアーになる!』と決め込んでいました。音楽誌も隅から隅まで読み(※アノ頃はネットはなかったので、なんでも読んで頭に入れてましたね)、いつでも誰にでもインタヴューが出来るほど、外タレの生い立ちを丸暗記して、準備万端でした。交友関係も、洋楽ファンから音楽事務所の人まで幅が広がり、私は音楽で仕事をしていく!と信じて疑いませんでした。

しかし結婚、出産。計算は夢に終わりました…。結婚してからは、義母の影響もあって、刺繍にハマり、数多くの作品を仕上げました。小学生の時、放課後祖母に預けられていて、彼女とした裁縫や刺繍が懐かしかった(祖母は着物を縫う先生でした)…というのもありますね。しかし、ドイツに引っ越した辺りから、またドイツ語習得という「語学オタク熱」が出始めました。夫が帰宅すると、暗い明かりの元でひたすら勉強する私をみてビックリしたと、後になって聞かされました。

この時期、ドイツ語と一緒にハマったのが料理。まだネット発達の前だったので、ネットに気が散らされる事なく、料理の基礎中の基礎に没頭しました。コンソメは自分で、冬は酒粕を母に送ってもらい、魚の切り身を漬け込んだり、ぬか漬けを作ったり、フレンチ、和食、中華まで、あらゆるものを作りました。ケーキなどのスウィーツも、同じものを毎日3回作り、レシピを自分のモノにするまで作りました。ロンドンのレストランで働いている友達を訪ね、そこでコックの友達皆と料理のコラボなんて事もしました。料理も音楽と同様、友の輪が広がる要素がありますね。

和菓子も、季節毎によく作りました。母が乾燥ヨモギの葉を送ってくれれば草もちを、和菓子屋さんから、桜の葉の塩漬けを束で仕入れてくれれば桜餅を作り、日本人の友達をもてなしていました。ある時、『だんご三兄弟』という歌が流行った時、娘が『戸棚の中でだんごが硬くなる…』というシチュエーションが分からなかったので、だんごを作り、戸棚に入れて次の日に硬くなる…というのを見せたこともありました。後は水彩&アクリル画。家ではデッサン、週一で貸しアトリエに行って、絵を描いていました。あの頃はクリエイティブで、マメだったなぁ…

と、ドイツ生活の半分は、語学と料理にどっぷりの生活をしていました。その内、3人目の出産を済ませた辺りから、テニスをする事にハマり、アメリカに来てからは、テニスのTV観戦にハマリまくっています。

私の場合、ハマリモノには言葉が切っても切れない感じですね。それと、何かをする事にハマるタイプで、モノを集めるタイプではないですね(これはめろんぱんさんと同じだわ)

そういえば、英語にハマっていた私ですが、アメリカで生活したいっ!とはまったく思っていませんでした。しかも、英語圏以外の人と結婚してるし。結局のところ、いろいろな「言語」に魅せられたんだとおもいます。人生、何が起こるかホントに分かりませんね~。次は何にハマるんだろうか??



長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。