Dear Anne

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「外をながめて、自然と神様のふところをのぞいたとき、

わたしは幸福でした。

とても幸福でした。」

アンネを捜す心の旅。生誕80周年。

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アンネ・フランクとその一家、そして仕事仲間たち・・・8人のユダヤ人を、オランダ・アムステルダムの

事務所の「裏の家」で匿った、ミープ・ヒースさんが2010年1月11日、100歳の命を閉じました。

隠れ家の支援者は(全5人)、ミープを最後に全員が亡くなりました。



1945年8月4日、裏の家と呼ばれる隠れ家に、密告によりゲシュタポが住人8人を逮捕、

隠れ家の床にはアンネが書いた日記が落ちていましたが、ミープはゲシュタポの目を盗み、

『アンネの日記』を事務所の自分の机に保管しました。

・・・

そしてアンネの父オットー・フランクがアウシュビッツから生還し、ミープは日記をオットーに

手渡しました。


ミープは日本へ来日したとき、こう語りました―


  

   ― 私たちは英雄ではありません。 私たちは人間として、当然のことをしたまでです ―


ミープがいたから、ナチ占領下の異常な環境の中でも、アンネは耐えることができたのかも知れません。

そうです、きっとそうだとわたしは思います。


ミープをはじめとする、隠れ家の支援者たち・・・

その勇気ある行為は、永遠に「英雄」として称えられることに違いありません。


また、ホームページの方にも、ミープの生涯等を綴ったページを公開予定です。

写真:昨年2月、100歳の誕生日を迎えたミープ・ヒースさん=AP


    (写真:朝日新聞社)


http://www.miepgies.nl/en/  (朝日新聞社の記事)


http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201001120490.html   (ミープ・ヒース公式サイト)



音譜80年経った今だからこそ、鮮烈な輝きを見せる音譜



生誕80周年を記念して、アンネ・フランクとホロコーストについてのホームページが公開中です。

少女アンネの生誕から悲劇的な死、日記、そしてアンネ・フランク縁のアンネのバラ栽培日記などを紹介します。

ぜひ下記にアクセスしてください。


http://sky.geocities.jp/studioqp2/


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本日は杉並区高井戸中学校に隣接する、高井戸図書館へ、「アンネのバラ」についての
講演を聴きに行きました。講演者は、杉並区立大宮中学校国語教輸の高原美和子先生です。

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高原先生は当時、高井戸中学校2年の生徒であり、1975年に、国語教諭小林先生が
『アンネの日記』の授業をし、生徒180人がその感想文を書き、生存していたアンネの父オットー氏に
送りました。それから高井戸中学校の生徒たちは「アンネのバラ委員会」を作り、
オットー氏にアンネのバラを譲ってくださるよう手紙を書き、アンネの誕生日(6.12)の日に
3株のバラが届きました。今では約100株にもなっています。


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感想文集は『暗い炎の後に』、『アンネのバラよいつまでも』というタイトルで
まとめられました。
その後高井戸中学のバラは、都立神代植物公園にも植えられることになりました。
現在、アンネのバラは生徒たちを中心に、保護者、教師、市民によって大切に育てられています。


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生徒が書いた文集のひとつを紹介します。
「あなたの日記は、ある一つの出来事を書き始めると、だんだん範囲が広くなって、
最後には人生のことにまで及びます。それに比べて、私の日記は一日の出来事を
そのまま書くだけで、反省や意見がとても少ないのです。こんなことから、私は
あなたをとっても尊敬してしまいます。」(船橋美紀)


Dear Anne

帰りに見てきた公園も紹介します。

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こんなにたくさんのバラが咲いていました。これらは市民などの手によって育てられています。
「小さなバラ園」です。


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再び・・・読書の森公園を土曜日に訪れました。
ここには杉並ゆかりの作家や詩人のモニュメントがあります。
上の写真もその一つです。


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アンネのバラが咲いていました。この前行ったときは蕾さえなかったので感動的です。
4厘ほど咲いていました。


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アンネのバラ以外にもいろいろな種類のバラが・・・
公園の全景はまた今度来たときに撮ってきます。


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10月4日日曜日、東京都品川区にある「聖イエス会 栄光教会」(http://www.geocities.jp/eikouchurch12/ )へ行ってきました。今年は、アンネ生誕80周年記念。それに伴い、東京ソフィア教会伝道師の山中聖子さんによる、父オットー・フランクとの出会いを語られました。


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1971年、聖イエス会しののめ合唱団がイスラエルの町ナタニヤのレストランで食事をしていたとき、背の高い紳士が合唱団に話しかけてこられ、「私は日本にたくさんのペンフレンドをもっているので日本の皆さんに会えてうれしい。私は、世界で最も平和を愛するひとりです・・・」と言いました。この奇跡的な出会いにより、翌年のクリスマスの朝、「アンネ・フランクの形見」と呼ばれる「アンネのバラ」が聖イエス会に送られてきました。今では日本全国に1万本以上になり、毎年春と秋に素晴らしい花を咲かせています。オットー氏は生前、こういい残しました。

「私にはいつか目覚めない朝が来る。朝、目を覚ますと神の恵みで今日も目覚めることが出来た。さぁ、アンネの仕事をしよう。アンネは世界と人類のために働きたい、死後も残る仕事をしたいと、日記に書き残した。その意志を受け継いで、私は今を生きているんだ。」

オットー氏は、世界中から届いた手紙の返事を書くのに尽くし、「アンネの悲劇的な死に同情するだけではなく、平和を作り出す何かをする人になってほしいのです。」と返事を出しました。1980年、オットーは91歳の一生を終えました。しかし私たちはアンネやオットーの死を無駄にしてはいけません。彼らの平和に対する意思や願いを
受け継ぎ、実現するよう努力しなければいけない・・・感動だけで終わらせてはいけないのだ、と。

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