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Dear Anne

「外をながめて、自然と神様のふところをのぞいたとき、

わたしは幸福でした。

とても幸福でした。」

アンネを捜す心の旅。生誕80周年。


Dear Anne

1940年5月。アンネ11歳のときです。
アンネやマルゴーが写っている中に、背景がない写真がたくさんあります。
それを疑問に思った方もいるでしょう。その真実は、フランク一家はよく
写真屋に行って、いろいろな角度から写した旅券用の組写真を作らせました。
だから、似たような表情の写真が数多くあるというわけです。


Dear Anne

正面を向いているのがアンネ、そしてオットーとマルゴーです。
アンネとマルゴーはよく、オットーのことをピムと呼んでいました。
アンネは母エーディットより、オットーの方が好きでした。


Dear Anne

メルウェデプレインのアパートメントのバルコニーから顔を出すアンネ。
1941年5月、アンネはこの写真についてこう書いています。
『おばあさんも写っているはずでした。マルゴーがシャッターを押しました
・・・ところが現像してみて、おばあさんがちょうど、身を引いたあとだとわかりました』

(参考図書:『写真物語アンネ・フランク』)






Dear Anne

かの有名な女優オードリー・ヘップバーンは、アンネと同い年。第2次世界大戦中、オードリーの叔父はドイツに対するレジスタンスだったため、彼女の目の前で殺害されました。そして異父兄弟も強制収容所へ入れられたのでした。そして戦後、一人のユダヤ人少女の名を知ります。それがアンネ・フランクでした。映画『アンネの日記』のアンネ役を依頼されたが、辛い過去を思い出したくないという思いが強く、断ることもありました。

そしてオードリーは、晩年のクリスマスの日、2人の子供に彼女が大好きだった、こんな詩を聞かせました。


美しい唇のためには

親切な言葉を話すこと

美しい目のためには

他人の美点を探すこと

スリムな体のためには

お腹を空かした人々に食物を分け与えること

年をとれば君は二本の手を持っていることに気付くだろう。

自分自身を助ける手、

そして他人を助ける手を・・・


オードリー・ヘップバーン







1940年頃、アムステルダムのアンネの家の近くにK博士という人が住んでいた。アンネとは、朝行き会えば「おはよう」とあいさつをかわすぐらいの仲だった。K博士は結婚式を挙げることになり、知り合いの男性に当時はまだ珍しかった8ミリムービー撮影機で自分の結婚式をうつしてくれと頼んだ。そのにわかカメラマンは、式を無事に撮り終えた。そして、花婿のK博士と花嫁をのせた車が走り出した。道端のアパートの各階の窓から、何人もの人が首を伸ばして、走り去っていく新婚夫婦に祝福の声を浴びせている。そのとき、カメラマンは3階の窓から、黒い髪の少女が身を乗り出すようにして、K博士夫妻の車を見送っているのを発見した。好奇心にあふれ、夫妻の幸せを心から願っている気持ちが、その小さい顔いっぱいにあふれていた。カメラには、半端なカメラが残っている。カメラマンは、まるでひかれるようにその少女にレンズをむけた。少女のほうも、自分が撮られているのに気がついた。にっこりとカメラに向かって笑いかけた。
だが、すぐに少女らしいはじらいを見せた。それでも、カメラマンが自分にレンズを向けているのを見ると、今度はすねたような表情をしてみて、なにか叫びながら首を室内に向け奥にいる人を手招きするような仕草をみせたところで、短いフィルムは終わりになってしまった。新婚旅行から帰ったK博士夫妻は、自分たちの結婚式のあとに、顔見知りの女の子が写っているのを知った。わずか10秒間の長さだったが、そこには生き生きとした少女の姿がはっきりと残っていた。博士はその結婚式とは直接関係ないその部分をカットせず、そのまま残した。そして戦後、その少女こそ『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクであること、その10秒間のフィルムが、世界でただひとつの動くアンネのフィルムであると知った。

『新版 悲劇の少女アンネ』シュナーベル著/久米穣 訳 より

心のアンネ・フランク

三鷹市新川に、緑豊かな「仙川公園」があり、ここにアンネのバラが植えられています。
このバラは高山小学校からいただいたそうです。
秋になるまで咲いてないかなと期待と不安を胸に到着すると・・・


心のアンネ・フランク
心のアンネ・フランク

3厘咲いていました。公園に入ってすぐ目に入りました。
蕾は赤、開花するとオレンジから薄いピンクに変わっていくので、
時間の経過を知ることが出来ます。


心のアンネ・フランク

故北村西望氏の代表作「平和祈念像」もあり、平和を願う様子が伺えます。


心のアンネ・フランク

アンネの幼少時代のような蕾。外で遊ぶのが好きで活発な少女。
作家や女優になる夢がこの中に詰まっている気がします。


心のアンネ・フランク

心のアンネ・フランク

心のアンネ・フランク

平和の象徴、鳩のかわりに鴨が・・・
ここ周辺には遺跡や公園がたくさんあります♪
秋の散歩道としてはとてもオススメです。


心のアンネ・フランク





心のアンネ・フランク

アンネの遺した言葉(1)

「勇気を持ちましょう!ユダヤ人としての使命を常に自覚し、
愚痴は言いますまい。解決の時は必ずきます。神様は決して
私たちユダヤ人を見捨てられたことはないのでしょう。多くの時代を超えて、
ユダヤ人は生き延びてきました。その間ずっと苦しんでこなくてはなりません
でしたが、同時にそれによって強くなることも覚えました。弱いものは狙われます。
けれども強いものは生き残り、けっして負けることはないのです!
(中略)・・・もしも神様の思し召しで生きることが許されるなら、
つまらない一生で終わりはしません。きっと世の中のため、人類のために働いてみせます。
そして今、私は考えます―そのためには、なによりもまず勇気と、
そして明朗な精神とが必要だと!」
【1944年4月11日(火)】

「愛情、一体愛情とは何でしょう。私の信ずる愛情とは、本当の意味で
言葉に言い表すことは出来ない何かです。愛情とは、相手を理解すること、
相手を気遣うこと、良きにつけ、悪しきにつけ、それを相手と分かち合うことです。
そして長い目でみた場合、なにかを受け取ります。たとえ結婚して
いようと、あるいは子供があろうと、そんなことは問題ではありません。
たとえ純潔を失っていたとしても、もしもだれかがそばにいてくれて、
死ぬまで自分を理解してくれる限りは―他の誰との共有でもない、
自分ひとりの誰かがいてくれると分かっている限りは、そんなことはちっとも
問題ではないのです。」
【1944年3月2日(木)】

(『アンネの日記 増補新訂版』深町真理子訳)