『苦行』の文字がよぎるハードな日々。
それでも
『いつか必ず終わりが来る。』
と、かすかな希望を見失わずこれたのは
たくさんの人の助け、優しさ、思いやり、励ましに救われ、支えてもらってきたから。
言葉では言い表せないけれど、本当に、本当に、感謝です。
これまで、何かが起きたとき
いつかこの経験が誰かの未来への希望の一欠片になるはず!と自分を奮い立たせてきました。
今回のことも、そんなふうに誰かのお役に立てるのなら。
自分を見つめ直すためにも、味わったこと、体験、そこから得た気づきを綴ってみようと思います。
※注:衝撃大きいですが、過去の写真も載せます。
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生後2ヶ月ごろから、酷くなる一方だった乳児湿疹。
(世間ではアトピーと言われるものですね。)
ご機嫌なときは少なく、精神安定剤とばかりに、四六時中おっぱい。
ちょっと目を離すと、掻いたり、擦り付けて、顔中、血膿まみれ。
『かかないでーーー!!!』と、叫び声をあげて手を抑えたこと、何度も…。
羽交締めするように抱きかかえる私も、血膿べったり。
あれ、服についたら、取れないんですよね💦
母子で何枚も洋服ダメにしたなぁ。
常に肩からコットンなどの肌触り柔らかなタオルを掛けて皮膚の摩擦を防いだり。
白い服なんて絶対着れなかった。
その反動もあってか、今は、白を手に取る率の高いこと。笑
血膿は、魚の腐ったような匂い。
(この匂い、身体の中で起きてることを教えてくれているのですね。)
寝落ちすらできないほど、神経を立てて24時間体制の闘い。
生後の細切れ睡眠以上に、ほぼ寝ずに過ぎていく。
〜目覚めたら、嘘のようにすっかりキレイになっている〜
そんな日が来ることを真夜中の暗闇で何度祈っただろう。
でも、そんな淡い期待は、夜明けと共に現実とともに打ち砕かれる。
横にいるのは、変わらず血膿まみれ。炎症だらけの息子でした。
(皮膚症状がひどい時は、表情も乏しかったな。)
メンタルも体も幾度となく限界を超え
正直、可愛いと愛しむ余裕はゼロ以下でした。
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自責の念と罪悪感、孤独。
消えてなくなりたいと何度も思いました。
切なくて申し訳なくて。悲しくて。
その反面、なんでこんな思いしなくちゃならないんだろう。
この子さえいなかったら。
そんなことすら思ったのも、一度や二度ではありません。
それに反し、息子は決して投げ出さず、ただただ真っ直ぐに命を生きる。
(この数日後には、入園準備のために試しにあげた粉ミルクでアナフィラキシーを起こし、慌てて病院へ行ったのでした。)
原因はなんなんだ、犯人はどこにいるんだ!
一気に解決するものはあるんじゃないか?
これさえあったらOK!ってものはないの?
息子のような酷い乳児湿疹、炎症(アトピーの様な症状)の原因は、食べ物、栄養素、環境、はたまたスピ系など、情報を探せばあちこちに出てきます。
私も、貪るように情報を漁ったなぁ。
でも、そこから得るものは、一部を切り取ったり、結果論でしかなかったんですよね。
だって、その時の私と言ったら
『誰かや何かになんとかしてもらおう』と必死だったから。
そうする(乳児湿疹やアトピーという炎症で排出する)必要のあった息子の体、その元を作ったのは、私たち両親なのだということを理解し、根本から向き合う。
そこに立たない限り、始まらないのです。
今現在だって、私の理解なんてまだまだ浅い。
体の普遍的な仕組み、自分自身の意識。
学びは続きます…。
私は、小児喘息、アレルギー持ちの母から生まれ、小さな頃からアレルギー体質でした。
薬嫌いとはいえ、過去には様々な薬をその時々で使ってきました。
食事に関しては、仕事柄色々学んできたし、家族の中では一番色々わかっていたつもり。
良かれと思って選択してきたことばかり。
夫の家族はみんなアトピー。夫だけ、違ってはいたものの、膝の内側に蕁麻疹がよく出たり、心身共にハードな生活を野球選手時代からおくってきたわけで。
息子がお腹に宿る年に、アトピーを発症し、半年以上かかって一旦、症状が鎮静したばかりでした。(年々よくなっていってはいますが、その後も同じ時期に炎症を繰り返しています。)
私たちが、親から受け継いだもの、小さな頃のことは自分では選択できなかったとしても。
その後、日々の生活の中で環境、食べもの、薬など、どう選んできたのか?
どんな意識で何を選択してきたのか?
それは、私たち自身の問題です。
それが、息子の体を作る細胞一つ一つに影響したのだ、と。
自分の間違い、責任。
それを認めるのに、すごく時間がかかりました。
今、十分辛いし、罪悪感という見せかけの鎧を着て、心の底では、可哀想な被害者だと思っていたから。
それなのに、形勢逆転、加害者となって悪者扱いされ、四方八方から責められるなんて絶対受け入れられない。
私、間違ってました!
なんて、認める勇気なかった。
でも、被害者も加害者も、ベクトルは違うにしろ、自分軸が外にある証拠。
両者のどちらかである以上、根本的な解決に向けての一歩は踏み出せないのですよね。
軸が外にある以上、外の情報や状況に振り回され続けるし、何かあったときに、他力本願になったり、人のせいにするってことだから。
※私の軸が長い間、外にあるのは、こちらの記事でも書いています。
→あなたは本当はやれるのに、それを妨げているのはなんですか?
※非難されようものなら、噛み付く勢いで相手を攻撃したくなったり、自分は悪くない!と守りたくなるのも、過去の体験が大きく影響しています。
自分を立て直したい時、これまでの意識や選択、感情を見つめ直したい時。
トウリーディングやあしはぐセッションがお役に立てると思います。
間違い、至らなさを受け止め、反省したら
善悪、正しいかどうかを判断するのではなく
今の状況でどんな選択ができるのか?を自ら判断していく。
それが、解決への一歩になるし、自分軸を取り戻すことにもつながっていくのだと、だいぶ後になってわかりましたが。
渦中にいると、被害者や加害者でいるほうが自分ゴトとして向き合うより、よっぽど楽なんです。
そして、誰かにどうにかしてほしい、してもらって当たり前だ!と(決して自分では認識してませんでしたが)甘えや守りの態勢が出ちゃうんだなぁ。
赤ちゃんや小さな子供は、自分で選択できないことが多い。
そして、親の意識や選択がダイレクトに影響する時期でもある。
だからこそ、母である私が
被害者や加害者でいることをやめ
自分ゴトとして、事実受け止め、本質を見ようとする。
自分軸が外にあるか確認し、あるのなら、自分の中に取り戻していく、育てていく。
実践するのって簡単ではないけど、やってくしかないな、と。
ここに立つまでに、相当な時間を要しました。
つづく。
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最近は、断乳 を目指し奮闘中。笑
上2人の個は自ら卒乳 してくれたけど、彼はそうはいかず。
根気よく断乳への道のりを歩む必要がありそうです。笑
私たちは、誰かや自分のせいにして責めて非難したり、裁くために、数々の経験をしてきたんじゃない。
葛藤も含め、可能性や個性、才能を活かし、人生を味わい、自分の足でしっかりと歩んで行くために生まれてきているんだ。
その力は、私たち全員にある。
足はそれを教えてくれます。