麻衣は一人プラネタリュウムを見ていた。


平日の昼間にも結構客はいるものだ。


あの日、章吾とやって来てからしばらく時間が経っていたので見える星が以前とは違うモノになっていた。


「草野さん。」


「あっ、章吾君。


あなたも来てたの?」


麻衣は素直に喜び笑顔を見せた。


「ここに来ればまた草野さんに会えるかと思って、あれからよく来てたんです。


でも、そんな偶然そうあるわけないって諦めて、今日は久しぶりに来たんです。


良かった。」


「章吾君はこれから?


私は見終わったところなの。」


「僕も出るところです。」


「そう、お茶でもどう?


時間があればだけど・・。」


今日は麻衣が誘った。


「勿論、行きます。」


章吾は答えた。


近くのカフェでコーヒーとケーキを頼んだ。


周りの人から見ると二人の関係はどんな風に見えるのだろうか。


姉と弟?


それともカップル?


でも、誰も気になんて止めてなんかない。


それが現実。


この時代、どんな組み合わせでもアリなのだ。


麻衣のことを知っていても、顔を知っている人はそういない。


あの日、章吾に声をかけられたことの方が不思議なのだ。


「草野さん、今いろいろ大変なんじゃないですか?」


「何それ。


遠回しな言い方しないではっきり言っていいのよ。」


「ごめんなさい。


その・・週刊誌とかに書かれてるでしょ、山村さん。」


こんなこと聞かないよな・・ということも彼は平気で質問してくる。


「そのうちわかることだから言うけど、私たちは別れることになると思う。


理由はあの人のことだけじゃないの。


私たちは大切なモノを失くしてしまった。


何でも話せていたのよ、前はね。


でも、私はいつの頃からか書く世界に入り込んでしまった。


そして彼と話すことをしなくなった。


そしてだんだん離れていった。」


「小説からはそんなモノ少しも感じられなかったけど。」


「このままじゃダメだと思ったから決心したの。」


麻衣は一人でもう一度歩き始めることを選んだ。


「強いな。」


「強くなんてないよ。


だけど、強くありたいと思っている。


私、彼と出会うまでは『自分』というものをちゃんと持っている人間だった。


でも彼を好きになって彼との生活が私の全てになった。


私はいつも自分を守っていた。


自分がいて誰かがいる。


それがいけないとかじゃなくて、そうじゃないのも間違ってないってことなんだ。


彼がいて自分がいる。


そして、いつも思っていた、


何一つ失くすことなく新しい何かを手に入れようとしていた。


両親の期待も友人たちとの付き合いも仕事も恋人も。


欲張りすぎていた。


これ以上何も手にすることが出来なくなっていた。


そんな時、尚と出会った。


大切なモノを失くさないためには欲張ってたらダメ。


その一つを大事に抱えていかないとね。


そう気が付いた。


だけど、そうまでして手にしたって失くしてしまうこともあるんだよね。


これからは自分の夢を見ようと思ってる。」


「草野さん、僕はあなたの小説が好きです。


こうしてあなたと出会ってもっとあなたを知りたいと思っています。」


章吾はそう言った。


麻衣には彼の言っていることの意味がよくわからなかった。


何を知りたいというのだろう。


プライベートに興味があるのだろうか。


いくら美しい言葉を綴っていても、その生活は別の場所に存在するものなのに。



最近 ちゃんと食べてるの?


最近 ちゃんと眠れてるの?


最近 少し辛そうね



いつもいつも見つめているから


あなたの小さな変化も ちゃんとわかるよ


そんなに近くにいなくても・・・



辛いなら 少し休んだら?


今までずっと走り続けてきたことが


あなたを支えてることも知ってる


立ち止ってしまうことを 恐れていたことも知ってる




でも 今のあなたに ガンバレとは 言えない


これ以上は・・・


大切なあなたが壊れてしまうのを 黙って見てはいられない




ここに来て


目を閉じて


何も心配はいらないから  少しだけ 眠って




ねっ 一つくらい私の願いを聞いてくれてもいいでしょ





 

冷たい雨の降る夜


キミが去っていった



ボクの部屋に 細く光が入る


眠っているふりをした


何かを言おうとすると 泣いてしまいそうだったから




食べ物の好き嫌いの多いところも


どうでもいいことに几帳面な性格も


「困ったわね」と言いながら 受け入れてくれた




そんなキミが


ボクの前から いなくなるなんて


夢にも思わなかった



何がキミをそうさせたのか


ボクは今でもわからない







「尚、お帰り。


遅かったね


ご飯出来てるよ。」


美緒は、いつもと同じ言葉で迎えた。


明るく聞こえたのは気のせいだ。


そう、尚の心がいつもより沈んでいたから。


帰りに立ち寄って読んだ本のせいだ。


麻衣の書いた物語。


「『結婚という形を欲しがったのはあなたの方なのよ。


私は一緒にいるだけで幸せだった。


あの日あの書類さえ書かなければ、今この書類を書かなくてすんだのに。


幸せだった頃のことも一緒に流されてしまいそうで辛い。


指輪なんていらない。


あなたがずっと私を愛してくれるなら他には何もいらない。』


こんなことが自然と言葉にできた頃に戻れたら、どれだけラクにになれるだろう。


今はもう、あんな風な素直な心も失くしてしまって強がりだけでどうにか生きている自分がいる。


こんな自分と別れるためにも今、この書類が必要なのだ・・。」


麻衣の書いたモノの中にそうあった。


麻衣の思いがほんの少し見えた。


ヒロインに麻衣が重なる。


俺は麻衣の何を今まで見てきたのだろう。


お互いの心をわかり合えていたのは遠い過去のことのような気がした。


「一度ウソをつたらまた次のウソをつかなきゃいけなくなる。


そんな付き合いはしたくない。


一度離れてしまった心は、きっともう戻ってはこない。


たとえ戻ってきたとしても、また離れてしまうかもしれないという不安は消えない。


そんな思いは一度でいい。


だから手放した恋をもう一度手に取る勇気は持っていない。」


俺が気づくのが遅すぎたってことか?


尚は言葉にならない不安に襲われていた。


麻衣は物語の中でいつも尚に話しかけていた、


忙しい尚と話す時間が無ければ、こうやって別の世界で話しかけてきたのだ。


だけどこれを尚に気が付けと言うのは少し無理がある。


どのみち、もう遅い。


麻衣の書いたモノを読んでみようという気持ちがあったら・・、今更ながら残念だった。


どうして、物語の世界ではなく、俺と過ごしている毎日の中で言ってくれないんだ。


物わかりのイイ女になんてならなくていい。


そのままの麻衣が好きなのに。


勝手すぎる発想。


美緒のことを麻衣が責めたとして、本当に何かが今とは違っていただろうか。


それでも美緒を選んでいたかもしれない。


あの物語を読み始めるまでは、間違いなく気持ちは美緒にあった。


俺の気持ちって・・・こんなにフラフラしたものだったなんて思いもしなかった。


消えかけていた麻衣への思いが甦る。


尚の心を動かした一つ一つと一緒に。


「尚、良かったね。


私も嬉しいよ。」


俺の仕事にほんの少し明かりが見え始めた時、麻衣はそう言った。


あの時・・コイツと生きて行きたいって思った。


「尚がその翼をいっぱいに広げて羽ばたくのを、私は見送ることになるんだろうな。


いつか、そう遠くない未来に。」


麻衣は今までに出会ったことのない女だった。


一緒にいると眩しく感じることが何度もあった。


それは、麻衣の言葉であったり、行動であったり、さまざまなのだが・・。


何があっても決して泣かない。


意地でも泣くまいとしている。


強い女だと思った。


それでも俺が傍で守ってやりたいと言う気持ちは消えたりしなかった。


彼女に俺が必要だったのではなくて、俺に彼女が必要だったのかもしれない。


麻衣は『結婚』なんて言葉を口にしたことも無ければ尚にせがんだことも無い。


長い間、一緒に暮らしていたのに。


逆に尚は麻衣に結婚を迫った。


他の誰かに盗られてしまうのが嫌だった。


外見だけでなく内面の安らぎのようなモノをこれから先失うことが怖かったから。


「今日こそは、ここに名前を書いてハンを押してくれ。」


何度か目のプロポーズでやっと本心を話してくれた。


「こんな形式的なことに捕らわれてしまいたくない。


好きだから一緒にいる今はいいけど、その気持ちが消えかけたり消えた時は、お互いを縛るモノへと姿を変える。


その時はまた離婚の形を取ればいい・・それくらいに考えているのかしら。」


「俺を信じてくれないの?」


「尚だけじゃないよ。


私だってわからない。


だから自由でいたいと思っている。


今まで、尚ほど好きになった人はいない。


多分これから先もいないと思う。


でも、多分なのよ、絶対じゃない。


この微妙なところわかってもらえないかな。」


それから尚は結婚を求めなくなった。


麻衣はいつも自由でいたい、そう言い続けてきた。


でも、その言葉の裏側の意味がぼんやりと見えてきた。


・・そうなんだ、俺が自由でいられるように。


責任‥と言うモノで何かを諦めたり、羽ばたくチャンスを見送ることがないように。


今回の別れ話も、俺の心を気遣ってのことかもしれない。


麻衣、オマエってヤツは・・。




最初の KISS


オマエの唇から 伝わってくる


『助けて・・』


抱き寄せた時 微かに光って見えたのは 涙


何があったのか 聞くことも躊躇われるほど・・・




最後の KISS


オマエの唇から 伝わってくる


『サヨナラ』


抱きしめた腕が解かれていく 未練


やっと吐き出した言葉 行かないで・・・




いつもオマエは何も話さない


独りで何もかも決めしまう


そんなに頼りにならない男か?


一緒に抱えて生きて行くことを


どうして選ばない


一緒に乗り越えることを


どうして選ばない




オマエの告白が


辛かろうと 苦しかろうと


離れてしまうよりは ずっとましなことを


どうして わかってくれないんだ



この KISS


最後のKISSにはさせないから・・