ホームルームに出るのが面倒で生物室で眠っていると、いつの間にかみんな帰ってしまった。


「駒沢、起きろ!


鍵、閉めるぞ!」


そう担任に言われて目を覚ました。


高一の冬、二学期の終業式の日、生徒はみな下校した静かな校庭。


小雪が舞っている。


遥は一人立っていた。


家から迎えの車が来るのを持っている。


花柄の可愛い赤色の傘を閉じてみる。


空を見上げてみる。


降り始めたばかりの雪。


遥の手のひらの上でアッという間に溶けてしまう。


遥の髪の毛に舞い降りた雪もまた雫となって頬を滑る。


靴箱まで引き返して持っていたハンカチで髪や顔を拭き、制服に付いた粉雪を払い落とした。


浅野 遥。


この時、章吾の心に初めて彼女が映った。


後になって考えると、この時、彼女を好きになったのなど思った。


付き合って欲しくて何度もアタックしたけど、答えはいつも同じだった。


今思うと身体のことを気にしていたのだ。


随分と後になって話してくれた。


気にしなくてイイと言ったが遥の気持ちとしてはそうもいかなかったのだろう。


当然だ。


今はそんな気持ちもわかる。


でもあの頃は、自分の気持ちだけで精一杯だった。


あんまり章吾がひつこく遥に付きまとうからだろか、デートに誘ってくれた。


新学期を間近にした日。


柔らかい太陽の日差しも頬をなでる春風も気持ちがいい。


あちらこちらの植木鉢に葉を茂らせている彼らも待っていましたと言わんばかりに美しい花を誇らしげに咲かせている。


その横を明るい笑顔の二人は並んで歩いている。


章吾は遥が作ったというお弁当の入ったバスケットを持って。


「動物園なんて少し子供っぽかった?」


「そんなことないよ。


楽しいじゃん。


誘ってもらえただけで十分舞い上がってるんだから。」


「ありがとう。


こんなデートが出来るなんて思ってなかった。


ほら、お弁当たくさん作って来たんだから、もっと食べてよ。」




章吾はこんな時間を心から喜んでいた。


遥と一緒にいるのが嬉しくて、遥が近くにいることを心のすみっこでいつも確かめていた。


遥の気持ちがどこにあるのかなんて考えている余裕は無かった。


最近オープンしたという人気のカフェに寄った。


何日も前から考えに考えて、この店で次の約束が出来ればいいと思っていた。


そんな時、遥は覚悟を決めたように話し始めた。


「私、本当は駒沢君のことが好きだった。


だから『好きだ』って言われた時はとても嬉しかった。


でも、私には時間があまり残っていない。


駒沢君と付き合っていたらあなたを傷つけてしまうことになるかもしれない。


私はその時がきたらいなくなるだけでいい。


だけど残された人はきっと悲しい思いをする。


だからもう・・、私にはかかわらないで。


私も静かな気持ちで逝けなくなるかもいれないから。」


遥の言っていることの意味が上手く理解できなかった。


「どこかへ行っちゃうの?


遠く離れたって二度と会えないわけじゃない。


会おうと思えばいつだってどんなことをしたって会える、会いに行くよ。


間違ってるか?


こんな考え方。」


「普通だったら、きっとそう。


でも、もうすぐ逝かなきゃならない。


一年後か半年後かそれはわからないけど、そう遠くない未来に私は存在しない。」


遥は言った。


聞いている章吾の方は驚きでいっぱいだった。


時間が止まり頭の中は真っ白になった。


心臓がドクドク打つ音が遥に聞こえはしなかと思うくらいに。


けれど遥は普通だった。


声を震わせるわけでもなく、目を潤ませるわけでもない。








決めたんだ


一緒に生きることを・・


決めたんだ


手を繋いで歩くことを・・


決めたんだ


愛し続けることを・・



わかって欲しい


許して欲しい


時間が欲しい




いままで必死に生きてきたわけでもない


時間の流れなんて当たり前のこと


いろんなことを諦めた 


それほど大事なことではないと思い込んで




すぐそこにある大事なモノに気が付かずにいたことを


今になってやっと わかったよ


取り戻せないことも わかっている


それでも 諦めきれない


だから・・・


やり直すことにした


ここから新しく始めようと思う








その声をいつまでも聴いていたい


あなたの近くで・・


「好きなだけ僕の傍にいればいいよ・・・」


あの時は それが叶うと思っていた


だんだんと近くにいることが辛くなった


ゴメン これからは 離れたところで・・・


いつだってそうよね


あなたは 自分の気持ちを話さない


あなたは 心の中を見せない




あなたのことを もっと知りたい・・


そう言えなかったのは


失いたくなかったからかもしれない


メンドクサイ女だと思われたくなくて・・


あなたにとっては ずっとメンドクサイ女ではなかったと思う


でも 私が私を メンドクサイ女だと思った


ここを去ることを 決めた


私が私を愛おしいと思える女になるために・・・




「わかったよ・・」


やっぱり あなたはそう言った





ある時、麻衣は遥のために小説を書くことを決めた。


文章を書くことは嫌いではなくむしろ好きだった。


だからと言って得意だったわけでもないし、以前書いたことがあったわけでもない。


遥が夢に見ていることを混ぜ込みながら書いてみようと思った。


この時、麻衣は尚と一緒に暮らし始めていた。


尚との時間を大切にしながら、一人の時間を見つけては書いていた。


「麻衣、俺のことは気にしなくてイイから、自分のやりたいことをやれよ。」


そう言った。


内緒で書いていたわけでもないし、読まれて困るというものではなかったが尚の前で原稿用紙を広げたことはこの時まで一度も無かった。


それから半年が過ぎた。


北の地方から順々に山々の紅葉のニュースが届くようになってきた。


暖かい日もあれば驚くほど寒い日もあった。


この日は少し暖かい。


昼間ならコートは必要ないだろう。


そう思ってベージュのワンピースを着て遥の家に向かった。


「こんにちは。


麻衣です。」


「どうぞ。」


遥の母親が玄関のドアを開けてくれる。


「まあ、今日は随分とオシャレして・・、このあとデートかな?」


「そんなんじゃありませんよ。


遥さんは?」


「大丈夫、落ち着いてる。」


「良かった。


今、いいですか?」


「どうぞ。」


遥の部屋の前で麻衣は姿勢を正し瞳を閉じた。


こんなモノを渡したら遥はどう思うだろうか。


喜んでくれるだろうか。


ドアをノックする。


「どうぞ。」


中から声がする。


「こんにちは。


具合はどう?」


「まあまあです。


麻衣さん、そのワンピース可愛い~。


似合ってます。


この後、デートだったりして?」


遥のその言葉に麻衣は小さく笑った。


「どうして笑うの?」


「親子だなあって思ったの。


同じこと言って、同じこと聞くんだもの。


これ、私が初めて書いた小説。


ヒロインは遥。


読んでくれるかな?」


「えっ、麻衣さんが私のために?」


「そう。


遥だけのために。


随分前に言ってたでしょ、『生きていた証が欲しい』って。


私はずっと覚えてるよ、遥のこと。」


「ありがとう。」


遥はうっすらと涙を浮かべた。


「読む前から感動してどうするのよ。


期待はずれかもしれないよ。


ゆっくり読んで後で感想を聞かせてね。」


「はい。」




物語を書いていた半年の間、書くということが本当はとても好きだということを強く感じた。


目を閉じその場面を思い浮かべ、振り返って次の場面を想像する。


偉そうなことを書くつもりは無かったし、美化して書くつもりも無かった。


遥が読んだ時、身近に感じられるものを書きたかった。


逝かなくてはならないことを自分の中で受け入れた今、少しくらいの夢を見をみせてやりたかった。


怯えながら生きるのではなく、生きてるこの瞬間を一緒に精一杯過ごそう・・そんな気持ちを込めた。




章吾は砂浜を歩いて麻衣の後ろまでやってきていた。


だけど今度は章吾が声をかけられないでいた。


麻衣がとても遠くに感じられたから。


店のマスターが言っていた。


「彼女が誰かとここに来たことは一度もありませんでした。


でも、一人だと感じたことも一度もありませんでした。」と。


しばらく砂浜に腰を下ろして章吾は麻衣の後ろ姿を見ていた。


これまでとは全く違う彼女の姿。


恋愛感情とは違う。


麻衣のことは小説を通してしか知らない。


本当の彼女のことは何も知らない。


銀行に勤めながら小説を書き恋人と暮らしている。


自由に生きている姿、そういう華やかな一面を知っているだけだった。


だから今ここにいる『草野 麻衣』がひどく人間ぽく感じられた。


迷いとか弱さとかそういうモノには無縁だと思っていたから。


不意に麻衣は立ち上がり章吾に向かって近づいてきた。


「来てたんだね。


気が付かなくてゴメン。


たくさん待たせたよね・・。


そろそろ帰ろうか。」


「はい。


帰りは僕が運転しますよ。


少し休んでください。」


「でも・・。」


「安心してください。


僕の運転は誰もが認める安全運転ですから。」


「じゃあ、お願いしようかな。」


章吾は静かに話し始めた。


「僕、初めてここに来た気がしない。


ここに似た場所を本で読んだことがあります。


きっとそれだな。


何度も繰り返し読んだから・・。」


「それってなんて題名?


私も読んでみたい。」


「それが、残念だけど、もう読めないんです。


彼女が持って逝っちゃったから。」


「探すよ。


探してみるよ。


出版社の人にお願いしたらきっと見つかるよ。」


「そんな本、無いんです。


最初から。


本にはなってなかったので。


彼女は『それ』をとても大切にしていました。


ある日『それ』を僕に見せてくれました。


『こんな私じゃなくて、この話の中の私を覚えていて・・。』


『飛んで行きたい気持ちはあっても私には翼が無いから・・。』


そんなこともよく言ってました。


『遥』といいます。


アイツ、十七歳で遠いところに逝ってしまいました。


その時、僕は思いました。


翼もないのにどうしてそんな遠くに逝くのかって・・。」


「遥さん?」


「はい。」


空を見上げて キミを思う


この広い空の下 キミはボクを思ってくれているだろうか


あの日 空港でキミを見送った


待っていると抱きしめたボクに 


首を横に振った


「待っていてくれなくていいから お願い 幸せになって・・・」


瞳に光ったモノを ボクは見逃さない


この別れは この次しっかりと抱きしめあうために必要なのだと・・


僕が 勝手に思い込んでいたのか・・


不安に襲われる




ボクにだけ 知らされていない 何かがあるの?


ボクにだけ 話せなかった 何かがあるの?