ある時、麻衣は遥のために小説を書くことを決めた。


文章を書くことは嫌いではなくむしろ好きだった。


だからと言って得意だったわけでもないし、以前書いたことがあったわけでもない。


遥が夢に見ていることを混ぜ込みながら書いてみようと思った。


この時、麻衣は尚と一緒に暮らし始めていた。


尚との時間を大切にしながら、一人の時間を見つけては書いていた。


「麻衣、俺のことは気にしなくてイイから、自分のやりたいことをやれよ。」


そう言った。


内緒で書いていたわけでもないし、読まれて困るというものではなかったが尚の前で原稿用紙を広げたことはこの時まで一度も無かった。


それから半年が過ぎた。


北の地方から順々に山々の紅葉のニュースが届くようになってきた。


暖かい日もあれば驚くほど寒い日もあった。


この日は少し暖かい。


昼間ならコートは必要ないだろう。


そう思ってベージュのワンピースを着て遥の家に向かった。


「こんにちは。


麻衣です。」


「どうぞ。」


遥の母親が玄関のドアを開けてくれる。


「まあ、今日は随分とオシャレして・・、このあとデートかな?」


「そんなんじゃありませんよ。


遥さんは?」


「大丈夫、落ち着いてる。」


「良かった。


今、いいですか?」


「どうぞ。」


遥の部屋の前で麻衣は姿勢を正し瞳を閉じた。


こんなモノを渡したら遥はどう思うだろうか。


喜んでくれるだろうか。


ドアをノックする。


「どうぞ。」


中から声がする。


「こんにちは。


具合はどう?」


「まあまあです。


麻衣さん、そのワンピース可愛い~。


似合ってます。


この後、デートだったりして?」


遥のその言葉に麻衣は小さく笑った。


「どうして笑うの?」


「親子だなあって思ったの。


同じこと言って、同じこと聞くんだもの。


これ、私が初めて書いた小説。


ヒロインは遥。


読んでくれるかな?」


「えっ、麻衣さんが私のために?」


「そう。


遥だけのために。


随分前に言ってたでしょ、『生きていた証が欲しい』って。


私はずっと覚えてるよ、遥のこと。」


「ありがとう。」


遥はうっすらと涙を浮かべた。


「読む前から感動してどうするのよ。


期待はずれかもしれないよ。


ゆっくり読んで後で感想を聞かせてね。」


「はい。」




物語を書いていた半年の間、書くということが本当はとても好きだということを強く感じた。


目を閉じその場面を思い浮かべ、振り返って次の場面を想像する。


偉そうなことを書くつもりは無かったし、美化して書くつもりも無かった。


遥が読んだ時、身近に感じられるものを書きたかった。


逝かなくてはならないことを自分の中で受け入れた今、少しくらいの夢を見をみせてやりたかった。


怯えながら生きるのではなく、生きてるこの瞬間を一緒に精一杯過ごそう・・そんな気持ちを込めた。




章吾は砂浜を歩いて麻衣の後ろまでやってきていた。


だけど今度は章吾が声をかけられないでいた。


麻衣がとても遠くに感じられたから。


店のマスターが言っていた。


「彼女が誰かとここに来たことは一度もありませんでした。


でも、一人だと感じたことも一度もありませんでした。」と。


しばらく砂浜に腰を下ろして章吾は麻衣の後ろ姿を見ていた。


これまでとは全く違う彼女の姿。


恋愛感情とは違う。


麻衣のことは小説を通してしか知らない。


本当の彼女のことは何も知らない。


銀行に勤めながら小説を書き恋人と暮らしている。


自由に生きている姿、そういう華やかな一面を知っているだけだった。


だから今ここにいる『草野 麻衣』がひどく人間ぽく感じられた。


迷いとか弱さとかそういうモノには無縁だと思っていたから。


不意に麻衣は立ち上がり章吾に向かって近づいてきた。


「来てたんだね。


気が付かなくてゴメン。


たくさん待たせたよね・・。


そろそろ帰ろうか。」


「はい。


帰りは僕が運転しますよ。


少し休んでください。」


「でも・・。」


「安心してください。


僕の運転は誰もが認める安全運転ですから。」


「じゃあ、お願いしようかな。」


章吾は静かに話し始めた。


「僕、初めてここに来た気がしない。


ここに似た場所を本で読んだことがあります。


きっとそれだな。


何度も繰り返し読んだから・・。」


「それってなんて題名?


私も読んでみたい。」


「それが、残念だけど、もう読めないんです。


彼女が持って逝っちゃったから。」


「探すよ。


探してみるよ。


出版社の人にお願いしたらきっと見つかるよ。」


「そんな本、無いんです。


最初から。


本にはなってなかったので。


彼女は『それ』をとても大切にしていました。


ある日『それ』を僕に見せてくれました。


『こんな私じゃなくて、この話の中の私を覚えていて・・。』


『飛んで行きたい気持ちはあっても私には翼が無いから・・。』


そんなこともよく言ってました。


『遥』といいます。


アイツ、十七歳で遠いところに逝ってしまいました。


その時、僕は思いました。


翼もないのにどうしてそんな遠くに逝くのかって・・。」


「遥さん?」


「はい。」