遠くから見つめていた


それだけで 幸せだった


何かのきっかけで知り合いになって 


あなたとの距離が少し縮まる




すれ違えば挨拶と少しの会話


それだけで 幸せだった


何かのきっかけで思い合っていることを知る


あなたとの距離が少し縮まる




付き合い始めて初めて一緒に迎えた朝


それだけで幸せだった


見つめ合い 愛し合う


その先に何を見ているのか?


ねえ 同じ未来を見つめているの?


それとも別の未来?




あなたとの距離が縮まる度に


あなたの全部が欲しくなる


そうなることが怖かったから


遠くから見つめていたのに・・・




全部を欲しがった先に 


全部を失くしてしまう


そうなることは わかっているのに


抱き寄せられた その手を離せない


キスされたら その先を求めてしまう


そして苦しくなる


同じことの繰り返し


わかっているのに なぜ繰り返すのか・・・









「ただいま。」


誰もいるはずがない。


「お帰り。」


尚が言った。


「ただいま。」


驚いて麻衣は答えた。


何だろう、尚に迎えられてホッとしている自分がいる。


ずっと前はそうだった。


だけど最近はそう感じなくなっていた。


「何か用?」


「随分だね。


用事がないときたらいけないの?」


「用もないのに来ることないでしょ。


それ以前に、用なんて無いでしょ。


私たちはもう何の関係もないんだから。」


「どうして?


昔からの友人としてこれからも付き合っていけるじゃないか。」


「尚、私を何だと思ってるの?


あの人を選んだのは尚なのよ。


私はこれ以上、尚の前で格好つけて平気な振りして笑ってることなんてできない。


だからもう私に拘らないで。」


麻衣は、こんなことを尚に向かってかなり感情的に言っている自分に驚いていた。


さっきまでの気持ちの延長線上にいたのだろうか、そう思った。


尚は麻衣以上に驚いていた。


いつもの麻衣なら、あれくらいのことであんな風に言ったりしないから・・。


この時、もう一歩麻衣の心に近づいた気がした。


そう、麻衣の書いた本を読んだ時の、あの気持ちに似ていた。


尚はずっと迷っていたのだ、


美緒は、二人が完全に別れることを望んでいた。


そんな姿は尚の気持ちを美緒から遠ざけた。


尚は自分の身勝手さを強く感じていた。


麻衣よりも美緒を選んだ。


今更もう遅いという気持ちと、まだ今なら間に合うかもしれない、その両方の気持ちの間で揺れていた。


「麻衣、俺はまだ・・。」


「迷ってる?


私たちはもう別々の道を歩き始めたのよ。」


もっと別の言葉が、麻衣の口から出ることを期待している自分がいた。


それでももう麻衣は迷っていない、そう感じた。


諦めに似た気持ちが生まれた。


そんな時、麻衣は自分のズルさを感じていた。


何もかも失くすんじゃない、たくさん持っているモノの中のたった一つを失くすだけだ。




「ねえ、この前どうしていなかったのよ。


せっかくお店に行ったのに急に休むことになったなんて・・。」


「あ~、俺にもいろいろあってさ。」


「あっ、あの人のこと?


草野とか言う小説家?」


「何で知ってるんだ?」


「見たから。


二人が一緒にお茶を飲んでるところ。


私、ムッとしてあの人に聞いちゃったよ。


『彼とどういう関係ですか?』って。」


「困ったな。


きっと誤解されたな。」


「何をどう誤解するのよ。


あの人、驚いてなかったし・・。


バイトのことも話しちゃった。


外で誰とも会わないと思ってたのに女の人と会ってたから・・。」


「俺だって人と会うことくらいあるよ。


店とは違う俺がいるんだ。


きっちりと線を引いておかないと、自分を見失ってしまいそうなんだ。」


彼女には章吾の言ったことの意味がほとんど理解できていなかった。


ただ、彼を怒らせてしまったことだけは感じていた。


章吾は大学に通いながら進むべき道を今も迷っていた。


遥に、あんな風に言ったものの、とっくに自分なんてものはどこかに消えてしまっていた。


ダラダラと毎日を過ごしていた。


逆に店にいるあの時間だけが『何か』をしていると言える時だった。


白く冷たくなった遥を見た時には、医者になろうかとも考えたが、そんな思い付きでどうにかなる世界でないことも知っていた。


そして、何となく自分の学力でどうにか引っかかりそうな大学を受験して、何となく通い始めた。


両親がどうしても進学を望んだという理由だけで今、学生の章吾が存在する。


無駄だと何度も言ったのに、それでもと両親は譲らなかった。


「学歴なんて今の俺には何の意味も無い。」


「何か目的はあるのか?


無駄に時間を過ごすのなら、大学に行ってくれ。


私たちは、それでもいいと言ってるんだから。」


(大学だってタダじゃないのに・・。)





逝きたいあなた


生きたい私


入れ替わることができたらいいのに




見守るなんて 言えないよ


見てるよ 少し離れた近くで・・


もっと早く知り合っていたら


今とは違った距離で あなたと付き合えたかもしれない


ねえ あなたも見てて 私を


どんな風に 逝くのか


どんな思いで現実を受け入れたか


何もしてくれなくていい


見てて・・私を




あなたはいつか 生きたいと思い始めるかもしれない


私には 逝く道しか選べない


時間いっぱい あなたを見てる


だから


時間いっぱい 私を見てて

雨の日曜日の朝


思い出す あれからもう2年


楽しかったこと 嬉しかったこと 


それを一瞬で消し去ってしまうような 出来事


ゴメン


あの時は 受け止めきれなくて


あなたを傷つけてしまった


「もう 戻らない」


そう言って出て行った




僕が子供だったんだ


深い愛で支えてくれていたことを 後になって気が付いた


求めることより与える愛が 今僕の心に問う


傷痕をただ眺めているだけで 


何かが変わるのか 


会いに行かなくていいのか そう問う


失くしてしまっていいのか そう問う




雨の日曜日の朝


傘をさして 出かけてみようと思う


あなたは 今でも一人だろうか


そんな不安もある


傷痕をただ眺めてるだけで


何かが変わるのか




望みが薄いことも わかってる


でも微かな望みが 僕を諦めることから 遠ざける


だから 最後の一歩を踏み出して


進む道を決めようと思う


あなたを捨てるか


あなたと生きるか






「章吾君、今でも彼女を?」


「いえ、そんなんじゃなくて、自分でもよくわからないけど、アイツのことを考えると、どう生きればいいのかわからなくなります。」


「そう。」


それっきり二人は黙ったままだった。




麻衣は、遥を知っていると言えなかった。


あの小説を書いたのが自分だということも。


なぜだろう・・。


このことはこれから先、ずっと言えないだろう、そう思った。


あの頃、一度だけ彼に会っていたような記憶がぼんやりと浮かんできた。


遥が病院に入院していた頃、病室の廊下で一度だけ。


軽く挨拶を交わしただけだったが、そういえばそうだ、彼だった。


あの話も読んでくれていたんだ・・そう思うとなぜか近くに感じた。


それでも麻衣は章吾に声をかけられず黙っていた。


目を閉じていると遥の笑顔が浮かんできた。


彼のことをよく話してくれた。


一度だけ泣いてしまったと遥は言った。


「誰の前でも泣かないと決めた。


それは強いからなんかじゃない。


弱くて弱くてどうしょうもないから泣かない。」と。


「遥、あなたの言ってることは正しいのかもしれない。


でも、人と付き合う時、それが全てじゃないとも思う。


素直な心を見せていいんだよ。


この人だって人には・・。


私は尚の前でよく言えば素直、悪く言えばわがまま。


こんな風でずっと付き合っていきたいと思ってるんだ。」


遥に尚の話をしていた頃は、今から思うと一番幸せな時だった。


生活は決して贅沢ができる状態ではなかったけれど。尚を好きでそんな自分も好きだった。


私が尚から逃げたのかもしれない。


自分を責めながら、心の一番奥で尚を責めながら生きてきた。


だけど今、気が付いた。


手を離したのは私だ・・麻衣は思った。




「章吾君、いつか私のこと『強い』って言ったことあるよね。


覚えてる?


『強い』ってどういうことなんだろうね。


強くなきゃ、ダメなのかな。


泣きたいときに笑ってるのって強いことになるのかな?」


「そんな難しいこと、僕に聞かないでください。」


「章吾君にならわかるんじゃない?」


「ずっと彼女の支えになりたいと思いました。


だけど僕は彼女に何もしてやれませんでした。


気の利いた言葉で励ますこともできずに、自分の無力さを責めました。


そんな時、遥は言ってくれました。


『こうして目を閉じて真っ暗な世界になって何も見えなくなっても、章吾の顔が見える章吾の声が聞こえる。


これってすごいことだよね。


ただこうやって手を繋いでいてくれるだけで、何も怖くない。


静かに眠れる。


章吾がいなければ、私は眠れなくなっていたかもしれない。


今眠ってしまうと、このまま目が覚めないかもしれないという恐怖のために。』


こんな僕でも少しは役に立っているのだと思いました。


本当に強い人なんていないのかもしれません。


強くありたいという気持ちも、弱さを見せたくないという思いも、ずっと奥で繋がっているのではないでしょうか。


大好きな人のためにそうしているのだと思います。」


「章吾君って、ちゃんと考えてるんだね、感心したよ。」


「そんなことないです。


草野さんが聞くから考えただけです。


答えただけです。


こんな風に遥のことを考えたのは本当に久しぶりのことですから。」


章吾は遥をどんどん好きになった。


思いが通じた時から冷めていくタイプの人間も多いことだが、章吾はその逆だった。


だから遥が逝ってしまった時も、こんなに好きになったことを悔やんだりはしなかった。


彼女を好きになったことは章吾の中で大切な思いだった。


終わりの約束をされていた二人の日々は美しいまま凍結された。


「章吾君の心が羨ましい。」


それっきりまた二人は黙った。




「今日は無理に付いて行ってごめんなさい。


だけど、こういう時間を過ごせてよかったです。」


「でも、辛いことを思い出させちゃったね。」


「いいえ。


彼女のことを思い出さないようにしていました。


泣いちゃいそうだったから。


彼女が泣かないでと言っていたから・・。


それでも僕は彼女のことを考えたいと思っていました。


明るく笑うことでいつも自分を騙していました。


自分と向き合うことから逃げていました。」


章吾は車を降りて軽く会釈をした。


「じゃあ。」


麻衣の言葉は短く静かだった。


章吾に優しい言葉をかけてやることもしないで別れた。