「足立さん、神崎カオリです。


今、何してるんですか?」


「何か用ですか?」


気まずそうな応対で相手が女性だと感じる。


嘘のつけない性格は今も変わっていない。


本当にわかりやすい人。


亜美はそう思った。


「ブラームス、聴きに行きませんか?」


「ねえ、何で俺なの?」


「・・・・。


一緒に行ってください。


すぐにフランスに戻っちゃうんですよね。


お願いします。


明後日の土曜日五時にサントリーホールの前で待っています。」


「ああ、わかった。


じゃあ。」




「デートの誘い?


相変わらず人気者だね。」


半分は冷やかし、残りの半分は焼きもち?


智也は反論もせず黙っている。


「ねえ、さっき何を言おうとしたの?」


「いや、いいんだ。


俺、そろそろ帰るよ。」


時計は十一時を少し回っていた。


智也は翔平を起こし帰り仕度を始める。


「俺、寝てましたね。」


「気にしなくて大丈夫よ。」


「今日は、ご馳走様でした。


本当にありがとうございました。」


「じゃあ、またな。」


智也はそれだけ言った。


二人が帰って後片付けを終え一息つく。


お気に入りの紅茶、アールグレイを入れる。


こんな時間も好きだった。


マイセンのティーカップ。


初めて自分の音楽が電波に乗って日本中を駆けたその日、デパートで買い求めた。


今のこの気持ちを忘れずにこれから先を歩いて行こうという決意を何かの形にしておきたかった。


形あるものはいつかは壊れる時が来る・・と言うが、


「あっ、壊れちゃった!」


・・では済まされない高価なモノなのだ。


柔らかいスポンジで洗い丁寧に拭いて片づける。


買ってしばらくの間、ずっと部屋に飾っていた。


使うなんてもったいなくて、壊れたら大変だと思っていたから。


でも、そんな亜美に智也は言った。


「それ何?


ティーカップでしょ。


飾って眺めるだけなら、いっそのこと壺にでもしたら良かったんじゃないの?」


そう言って笑った。


その通りだと思ったから使うようになった。





翔平はいつの間にかソファーで眠っていた。


「疲れてるんだね。


昼間は宅配のバイトと学生、夜はバンドの練習なんだって。


一生懸命で真っすぐで・・私もそんな頃があったんだよね。


彼のこと、どう思う?」


「どう思うって言われても、わからないよ。」


「うん。


私、彼の瞳に引き付けられた。


何か光るモノが潜んでいる気がするの。」


亜美は眠っている翔平にタオルケットをそっと掛けた。


「どうして俺たちはこんな風になってしまったんだろうな。」


「私が夢に拘ったから。


ずっとそう思ってきたよ。


智也より大切なモノなんて無かったのかもしれない。


それなのに意地を張っていたのかな。


生まれて初めて夢中になれるモノに出会って、それを手放したくなかった。


でも、智也と別れた後の毎日を悔やみながら過ごしてきたわけじゃないよ。


上手く言えないけど、あの頃の私のことも結構好きなんだ。」


「俺は亜美の選択は正しかったと思ってる、


あの頃の俺には何も無かった。


亜美を好きだと言う気持ちの他には何も・・。」


「それで十分なんじゃないの?」


「俺も、そう思ってた。


でも今は違う。


ちゃんとした土台が無いと少しのことで壊れてしまう。


俺たちがそのいい例じゃないか。」


「土台って何?」


「説明するのが難しいんだ。


俺のことを俺がどれだけ理解してるかって考えた時、少し離れて自分を見た時とか、鏡に映る自分の姿の中に見えるモノ???


あ~、ゴメンやっぱり上手く説明できない。」


「フランスに行って何か変わった?」


「いや・・。


ただこのままじゃダメなんだ。


亜美は『自分』を持ってるだろ。


俺にはそれが自分で感じられないんだ。


俺って何だろう?っていつも考えていた。


答えが見つからないから、戻れなかった。


でも、亜美に会いたくて、ただ会いたくて戻って来たんだ。


亜美、俺がもし・・」


智也の携帯電話のベルが鳴る。

来客を知らせるチャイムの音。


誰だろう・・。


「俺、智也。」


「どうしたの、何かあった??」


「用事ってわけじゃないんだ。


亜美とゆっくり話したくて。


あれっ、誰かいるの?」


「最近知り合った友人。


紹介するから、入って。」


テーブルの横に立って少し慌てた様子の彼が亜美と智也のやり取りを聞いている。


「こんばんは~。


キミはこの前の?」


「はい。


八木翔平です。


よろしくお願いします。」


「俺は足立智也、よろしくな。」


本当に短い挨拶を交わす二人。


「じゃあ、これで失礼します。


ご馳走様でした、美味しかったです。」


翔平は帰る準備を始めた。


「そんな、俺に気を使わないで。


せっかくだから、一緒に飲みましょう。」


智也が翔平を引きとめた。


亜美と二人の男。


気まずい雰囲気ではないが、不思議な感じはする。


亜美が言葉を少し付け加えた。


「智也は商社に勤めていて今はフランスに居るの。


休暇でこっちに帰ってきてるの。


古くからの知り合い。


そして彼とは最近知り合ったの。


pp(ピアニッシモ)で。」


そう言うと亜美はキッチンに消えた。


「足立さん、フランス勤務なんですか?


海外でバリバリ仕事してるなんてカッコイイです。」


「そんなことないよ。


俺は少しもカッコよくなんてない。


大事なモノ一つ手にできない・・。


ところでキミは?」


「俺は、バイトしながらバンドやってます。


本業は学生なんですけど。


卒業後の進路を嫌でも考えないといけないところまで来てしまいました。


あの日、あの店で偶然隣に座っていて、少し話を聞いてもらいました。


そして、俺たちの音楽を聞いてくれると言ってもらえたので、それを持って来たんです。


望月さんて素敵な人ですね。」


「そうだろっ。


彼女は夢の途中で俺と出会ったんだと思う。


彼女を知る誰もが彼女を好きだったと思うよ。


男とか女とかじゃなくて、人として純粋に彼女の存在を大事だと。


亜美は夢を追いかけていた。


俺はそれを近くで応援してきた。


亜美の書く世界のファンなんだ。」


「作家ですか?」


翔平がそう聞いてきたとき、智也はハッとした。


まだ話してないのか・・。


「亜美の仕事?」


そこへ亜美が出来上がったばかりのベーコンとジャガイモのチーズ焼きを運んできた。


オーブンで少し焦げ目の付いたチーズの香りがワイングラスへと手を伸ばさせる。


亜美は料理をすることが好きだった。


自分の作ったモノを美味しそうに食べる人を見るのが好きなのだ。


「二人で何話してたの?


もしかして私の悪口とか?」


亜美のいたずらっ子のような無邪気な笑顔。


そんな亜美が眩しかった。


(悪口なんて言わないよ。


悪いところを探せと言われたら・・こんな俺を一人フランスへ行かせたことくらいだ。)



ものすごく久しぶりに電車に一人で乗りました。

いつもは車なので、この用事が決まってからずっと今日の日のことを考えてドキドキしていました。

電車くらい・・ってことなんですけど、乗り換えもあって・・でも家に到着しました。


行く時は一緒の人がいたので何の心配もなく行きました。

問題は帰りです。

時刻表を見たら、臨時列車があってそれはちょっとした仕掛けがあって・・それに乗ろうと待っていたんですが、どうやら今日は運行しない日だったようです。

仕方なく次の列車に乗ったら目的地より手前が終点で、そこでまた次の電車を待って・・やっと朝乗った駅に到着です。


気になっていたことが1つ終わったので一安心です。

疲れました。

亜美は珍しく手の込んだ料理を始めた。


ヒラメのカルパッチョ・パンプキンスープ・ロールキャベツ、デザートにはコーヒーゼリー。


パンを焼きロゼのワインを用意した。


夜の七時半に彼はやって来た。


昼間の雰囲気とは全く違ったきっちりとした紺色のスーツにケーキを持って。


亜美は驚いた。


「どうしたの?」


「ちゃんとして来たいと思ったので。


せっかく俺たちの音楽を聞いてくれるという人に対して。」


彼の拘りなのだろうと思った、


亜美にとってそれは心地よいものだった。


彼は、ポケットの中からUSBを取り出して亜美に手渡した。


「もしよかったら、今度感想を聞かせてください。」


そう言うと頭を下げた。


これだけのために?


紺のスーツ??


「ねえ、夕食作ったの、食べて行って。


まだでしょ?」


「でも・・。」


当然彼は戸惑う。


「私、襲ったりしないから安心して。」


広いリビングはキレイに片づけられていて几帳面な性格が部屋のあちこちから感じられる。


二人は短い言葉をかけ合う。


亜美の手料理を美味しいと言ってたくさん食べた。


突然彼が言った。


「今更ですけど、俺、八木翔平です。


二十一歳です。」


「私は、望月亜美です。


年齢は・・聞かないでください。


モノを書く仕事をしています。」


急にお互いの自己紹介をして、クスッ・・と笑い合った。


この時、亜美は言えなかった。


『高宮 涼子』という名前で音楽活動をしていると言うことを。


このことは、マネージャーの透と智也、そして社長しか知らない。


実際のところ、近くで仕事をしている人たちは大体知っていたが、誰もそれを深く追求する者はいない。


本人が言いたくないと言うなら、そうさせてやろうと言ったのだ。


いつも亜美の気持ちを優先させてくれた。


だから、続けることが出来たのだ。


亜美にとって、自分が自分であることは何よりも大事なことだった。



亜美は昨夜のことを考えながら部屋でぼんやりしていた。


来客を知らせるチャイムの音。


「お届けものです。」


「ありがとう。


ご苦労さまでした。」


印鑑を押そうと顔を上げて驚いた。


「キミは昨夜の?」


「あっ、はい。


いろいろくだらないことを話しちゃってすみませんでした。」


照れくさそうに頭を下げる。


「バイト?」


彼は額を流れる汗を腕で拭いながら答えた。


「空いた時間は少しでも稼がないと、暮らしていけなくて。


夜は仲間と一緒に練習したいですから。」


「そう、頑張ってるんだね。」


「好きで始めたことですから、簡単には諦めたくないんです。」


昨夜は迷っているのだと言っていたが、心の底では捨てたくないのだと彼の姿を見てそう感じた。


「ねえ、もしよかったら、その音楽聞かせて?」


亜美のその言葉に少し驚いた顔をした。


「私、何かおかしなこと言ったかしら?」


「いえ、今までそんなこと言われたこと無かったから。


誰かに聞いてもらえると思うと嬉しくて。


今日の夜でもイイですか?」


「それは大丈夫だけど、随分急だね。


じゃあ、待ってるから。」


何言ってるんだろう、あんなこと言ったりして。


なぜだかわからないが、初めて会った時の彼の瞳の輝きが妙に亜美の心を引き付けた。


多分・・、夢を持ってるということだろう。


何年か前の亜美に似ている。


あの時、彼の背中を押したのだとすると、その裏側で別の道を歩くことになった誰かがいたのだろうか。


智也と亜美がそうだったように・・。