わたしが大きな影響を受けた『クリミアの天使』ナイチンゲール。

17歳のときに、ナイチンゲールのもとに茨の冠をかぶったキリストが光輝く姿で現れ、「我に仕えよ!」という神の啓示を受けたと、自身の日記に記しています。

そんな彼女は

天使とは
美しい花をまき散らす者ではなく
苦悩する者のために戦う者である

という言葉を残しています。

イギリスの名家に生まれたナイチンゲールは、19世紀中期に勃発したクリミア戦争に看護師として従軍し、英国軍の死亡率を劇的に下げました。

当時、看護婦という職業は、下層階級の無教養な人々が就く仕事だと考えられており、娼婦、アルコール中毒者などがたずさわり、医療の現場はとても不潔でした。

ナイチンゲールのようなお嬢様がつく職業ではなかったため、家族との軋轢がうまれます。

34歳でナイチンゲールが書き上げた自伝的小説『カサンドラ』には

・神からの啓示を実行するために結婚を断ったこと

・看護の道へ進むことに反対する母との確執から神経衰弱に陥ったこと

・自殺願望があったこと

などが綴られています。

ナイチンゲールは、『カサンドラ』を書き終えると、家を離れ、看護婦としての仕事の第一歩を踏み出しました。

そして、1年もしないうちに、職業看護師14名とシスター24名を引き連れ、戦地であるクリミア半島へ赴くことになったのです。

到着した兵舎病院では、汚物まみれの病室で、満足な手当ても施されないまま、ゴキブリ、シラミ、ネズミなどがうごめき走り回るむき出しの固い床に傷病兵たちが寝かされていました。

痩せこけ、痛みに半狂乱となる者、ただうずくまるもの・・・。

その環境の劣悪さから、多くの者がチフスやコレラをわずらっていました。

さらに、必需品である薬や食料が不足し、死者の数だけが増え続け、病院での死亡率は戦地の7倍にものぼったとされています。

こんな状況であったのに、ナイチンゲール達は陸軍の軍医局の幹部たちから、ろくに役に立たない邪魔者として蔑み、冷遇されました。

傷病兵の手当てをすることも許されず、病院内に入ることもできなかったナイチンゲール達は、どの部署の管轄にもなっていないために放置同然だった病院のトイレ掃除に目をつけ、まずトイレ掃除を始めることによって病院内へはいれるようになりました。

そして『インカーマンの激戦』により、イギリス軍はあっという間に2500もの負傷兵を出しました。

何千という負傷兵がつぎつぎと運ばれるなか、ナイチンゲールたちに実務に従事する許可がおります。

そして、ナイチンゲール一行は迅速な対応と、献身的なな働きぶりで実力を証明しました。

また、彼女はこの悲惨な状況を国に報告し、患者の傷の手当てをする人材の不足、包帯や薬などもろくに補給されていない現状を訴えました。

コレラなどの伝染病が広まっていた野戦病院での兵士の死亡率は、ナイチンゲールら看護師の活躍によって40%前後から2%程度まで引き下げられていきます。

こうして、負傷兵たちの間で「天使」となっていたナイチンゲールは、さらに軍病院改善のため、個人財産までも投げ打ち、リネン類や包帯、防寒具などの日用品の買い付けから、200人の職員増員、病院施設の拡張・改築まで、まさに徹底的な改革に乗り出します。

ナイチンゲールがつぎ込んだ私財は約7千ポンドとされています。(日本円で約5千万円)

「看護」の領域を超えた渾身の活動により、死者の数はみるみるうちに激減し、英国の新聞でも大々的に報じられ、ナイチンゲールは一躍時の人となります。

1856年3月30日、パリで平和条約が締結され、翌月29日、クリミア戦争は終結。

イギリス国内で国民的英雄となっていたナイチンゲールは、過剰に注目されるのを嫌い、「スミス」という偽名を使って人知れず帰国しクリミア戦争の英国兵の死亡原因の統計をまとめる作業に没頭します。

この分析で、負傷兵の死亡の最大要因は、病院の「衛生環境の劣悪さ」であることを突き止め、陸軍病院全組織の改革を提唱し、病院のみならず兵舎の設備の改善にも取り組んでいきます。

また帰国後は、看護と衛生の大切さを広く一般に伝承することにも力を注ぎ、1860年に出版した『看護覚え書』は、看護婦の教本としてのみならず、各家庭の衛生管理を担う主婦たちのバイブルとされ、ベストセラーとなりました。

さらに、クリミア戦争中に創設された「ナイチンゲール基金」で、ロンドンの聖トマス病院内にナイチンゲール看護学校が設立され、ナイチンゲールは指導者として後継者の育成に努めるようになります。

90歳という長寿を全うしたナイチンゲールですが、40代を迎えたころからベット上での生活を余儀なくされ、看護師として負傷兵たちに奉仕したのはクリミア戦争従軍時のわずか2年間だけ。

むしろ、その後の統計に基づく医療衛生改革で、さらなる成果をあげたのです。

フローレンス・ナイチンゲールは、こんな名言の数々を残しています。

愛というのは
その人の過ちや自分との意見の対立を
許してあげられること。

物事を始めるチャンスを、
私は逃さない
たとえマスタードの種のように
小さな始まりでも、
芽を出し、根を張ることがいくらでもある。

最も上手に人をおさめるのは
自分の責任下にある人々を
愚かに甘やかすのではなく
その人のためになること
その人にとって最高の利益になることを
親身になって考える人です。

何かに対して「使命」を
感じるとはどういうことであろうか?

それは何が「正しく」
何が「最善」であるかという
あなた自身がもっている高い理念を
達成させるために自分の仕事をすることであり
もしその仕事をしないでいたら
「指摘される」からするというのではない
ということではなかろうか。

これが「熱中するということ」であり
自分の使命を全うするためには
誰もがもっていなければならないものなのである。

ナイチンゲールが、自らの人生を捧げ、取り組んだ医療衛生改革が、いまの私たちの礎となっています。

天使とは
美しい花をまき散らす者ではなく
苦悩する者のために戦う者である

まさに、戦う天使だったナイチンゲール。

わたしたちは、看護師ではありませんが、その志をつぎ自分たちの使命を全うしていきたいと思います。

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