線路沿いの道 -13ページ目

Cメール

ソフトバンクの携帯を買った。

買ったというか、契約した、というのか。


それまではauだった。

今もその電話はここにある。

さっき、一度電源を入れた。

すると、予想どおり、多数の着信とメールが来ていた。


Cメールも何通かあった。


Cメールを俺に送ってくるのは、みほしかいない。


ずっと待っている、と書いてあった。

あの家で、ずっと待っている。

そう書いてあった。


読み終えるまで、数秒かからなかった。

顔がくしゃくしゃになるまで、泣いた。


俺はなにをしているんだ?

みほにとって、俺を待つことがどれほど辛く、切ないことか

想像するまでもない。


あの広い家で、寒い家で

ひとりで眠っているのか。

お願いだ。

ちゃんとごはんを食べて、暖かくして

体を大事にしてほしい。


なにひとつ、みほは悪くない。

必ず帰るから。

今あるすべての面倒を、片付けるから。


ありがとう。

そして、ごめん。

生い立ち(1)

東京の下町で、俺は育った。

生まれたのも下町だと、思っていた。

16歳で、原付の免許をとろうと住民票というものを初めて見た。

『養子』

そう書いてあった。


実の母は、叔母だった。


今まで、俺はそれを気にしていないと云い、生きてきた。

実際、気にしていないつもりだった。

実の母も、育ての母も関係ない。

知られるたび、俺はそう云っていた。


多分それは、表向き、いまも変わっていない。

ただいま、みほと離れて眠る毎日に至ったことを

ぼんやりと考えているとき

「なぜ?」

と、俺のこころでなにかがささやく。


本当に関係ないのか?

こころは、健全なのか?

傷みを隠しているんじゃないのか?


分からない。


きっと、勇気がないのだ。

俺はいくじなしだ。


10歳のとき、3キロの距離を泳いだ。

遠泳というやつだ。

14歳のときには、30キロ以上を泳いだ。

コーチはそれを、集中力のおかげだ、と褒めた。


バカはやめてくれ。

ただ俺は、ギブアップする勇気がなかっただけだ。

もう無理だ、と云って冷たい視線を浴びるより

塩水で喉を焼かれるほうがマシだと、思っただけだ。


本当のことは、なにひとつ云えない。

それが、俺の本当の姿。


何ヶ月か前、俺の本当の母が訪れた。

文句のひとつも云えたなら、良かったかも知れない。

勝手なことをほざく生みの母に、適当な相槌を打つ俺。

きっとそれは、最低の人間の姿だ。


神奈川県、相模原市。

それが俺の出生地。


しかし記憶は、なにひとつない。

本当の父のこととなると、名前も、どんな人物かも、なにひとつ知らない。

知るのが怖い?


きっとそれ以前の問題だ。

知ろうとすることさえ、避けてきた。


どこから来て、どこへ行くのか。

もうまったく、俺にはわからない。

見えないもの

夜中にときどき、ひどく寂しがることがあった。

なにかにおびえて、眠れないと云った。


いつか私、死ぬんだよね。


確かにそうだけど、まだ、死なないだろう?


本当?本当に死なない?


だって、病気もなにも、ないじゃないか。


どうして死ぬことなんか、考えるんだろう。

俺はそれが不思議だった。


死、そのものは、きっと苦しくなんかない。

死んでしまう当人は、辛くもない。

苦しいのも、辛いのも、残されるものだ。

ただ、自分が存在しなくなるという、想像の限界を超えたことが

死の恐怖というものなんだろう。


俺も、死ぬのは怖い。

でも、死ぬことよりも、生きることのほうがきっと

何倍も何倍も、苦しいし、怖い。


生きていく苦しさは、想像ができる。

誰もいない。

助けてくれるひとも、語りかけてくる友達も。

今の俺にはなにも。


そういう生き方を選んでしまった。

どこで?

いつ?


自分でも分からない。


ただなにか、見えないものが、俺を衝き動かす。

見えないものは、俺になにをさせたいのか。

今でも分からない。


生きていける場所をどんどん狭め、

がんじがらめに閉じ込め

なにもかも奪う。


奪うくらいなら、最初から与えなければいいのに。

奪われる悔しさ、失う悲しさ。

なんでこれほど味わわなければならないのか。


せめてみほと生きるしあわせだけは

返して欲しい。

見えないものに抗うことだけが

今の俺かも知れない。