線路沿いの道

挫折は繰り返される。

仕事、あるいはもっと大きな人生という中で。


自分の挫折に、愛する者を巻き込まないように生きたい。

それは偽善であると知りながら、それでも。


笑顔で、また会うために。

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手のひらの中

もしもあなたの人生が安定していて、毎日に不安がないというなら

人間にとってそれ以上のしあわせなど、ない。


大半は、不安なく生活しているふりをしているか

本当はすぐそこにある破滅を、見てみないふりしているだけなのだから。


すべてを得る、という本当の意味は

なにも求めない、ということだ。


なにも欲しくないということはつまり、すべてを持っているということだ。

なにかが欲しいという欲望は、それが一生手に入らないという不安を生む。

不安の先には、欺瞞や疑い、他人への嫌悪や自己否定が待っている。


もしもあなたが友人を選ぶとしたら

あなたに欲を植え付ける人間は、避けたほうがいい。

それはあなたに、生涯の不安と欺瞞を投げかけるだろうから。


俺がそうであるように、しあわせはいつも手のひらの中にある。

とっくに、持っているのだ。


それなのに俺は、そのしあわせを壊す行いをする。

そんな生き方を今までしてきた。

しあわせを欲しがるという欲望は、実は、不幸を呼び込むのだ。

残酷な選択

好きなことができていいね、とひとに云われることがある。

確かに俺は、好きなことをして好きなように生きてきた。

しかし誰もが、同じではないのか?


たとえばスーパーのレジ係をしている女性も

自分でその仕事を知り、選び、履歴書を持って募集に応じたではないか。

自分で選ぶ、ということをしているのに、それが好きなことでないはずがない。


単に、俺の生活と仕事が世の中の平均値あるいは最大公約数から離れている。

そういうことを他人は云いたいのだ。


制作者という仕事についてよく誤解をされるが

なにかを作るという作業の実態は、限りなく繰り返される「新作」や「アイディア」への

切ないほどにもどかしい理想とのギャップ。

作ったもののすべてが、思い描く理想にはほど遠く、未完成で、醜い。

それを知るからこそ、さらに良いものを、と知識やスキルを求め続ける

長い長い積み重ねと、24時間絶え間なく襲う作品への執着。


そういう生き方を選ぶことが、楽しいことだ、と云い切れるだろうか。


もちろん、俺は楽しいと思うからこの仕事を選んだ。

あまりに能天気に、楽しさだけをピックアップする風潮に嫌気が差しているだけだ。


私は絵が下手でひとに見せられない、というひとがいる。

俺も、同じだ。

到底ひとに見せられない、しかし見せずにいられない。

一生解消しきれない矛盾こそが、制作者の事実。


そういう選択が、残酷でないわけがない。

ホラー映画

怖がりなので、みほはホラー映画が嫌いだ。

しかし俺は、ホラーやオカルト映画が大好きで

みほの反対を押し切って時々レンタルしてくる。


そんなみほが、なぜか気に入ったホラー映画がひとつある。

「ドーン・オブ・ザ・デッド」という

ジョージAロメロの「ゾンビ」を焼きなおした映画だ。


冒頭からショッキングな映像目白押しのこの映画だが

良質なスプラッターのよさとして

残酷さが限りなく滑稽に見える演出の巧みさがある。


それでも、いやがりながらつい見てしまうという雰囲気だけど

見るからにドキドキしながら画面を見ているみほの横顔が

少し愉快に思えたものだ。


家に帰ったら、今度はヘル・レイザーでも見せてみようか。

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