この記事に最後までお付き合い頂けると

・お盆、盂蘭盆会の歴史

・霊的な真義、三千世界の連動

・先祖と私たちは繋がっている


・私たちのこの人生の生き方、行動の動機(込められた意識)が、家系の先祖の供養につながる

ことがわかるよう、あらためて語ってみたいと思います。

 


あらためてというのは、2015年の記事のリライトで、内容に大きな変更はせず、序論程度のこと(ですが供養の形以前に大事なこと)に留めます。


と、申しますのも先祖の祭祀、供養は難しいことではないのですが、かといって雑な取り組みや、一見丁寧にお祀りしているようでも肝心なところが霊界の実相からはなはだ逸れていると、先祖と子孫(遺族)双方にとって好ましからぬ現象を招く場合があるものです。


よって祭祀や供養の実際については、これまでも、これからもブログ上で語ることはいたしません。特別コースでお伝えした皆様にも〝口止め〟をしていますが、この場であらためて念押しをしておきたいと思います。スピリチュアルのミスリードのカルマは時にその〝魂にとって〟取り返しのつかない事を招くことをくれぐれもお忘れなきよう……人に注意されるうちはよいです。法則には情けはありません。


情けが無いのが法則で、これが経(タテ)というものであり、本来はお経と呼ぶのはこれを(死者ではなく生者に)教えるものでなければならず、

 

 

経(タテ)緯(ヨコ)つまり

であることをお忘れなきよう…


とか、一部に辛辣な枕になってしまいましたが(確かに言いましたからね…知りませんよ)失礼しました。

 

 

本題に移りましょう。


歴史について
 

まずはお盆の行事の出処について、それは今ではもう世間でよく聞ける話ですが、一応。


お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)の語源については、ちょっと詳しいサイトにはサンスクリット語のウラバンナ=逆さ吊りとなっていることが多く、由来の物語の最初は、釈迦の高弟、目連の母があの世でそうなっていたのを目連自身が見てしまったという話になっていますが、これは後ほど……


その拷問ライクな物語のせいで、現代日本でも檀家に厳しいお寺さんだと

「先祖の供養をしないなんて先祖を逆さ吊りにするようなものだ!!」

と一喝されるということもあったりしますが、どうかするとそのお寺の檀家の皆様への指導、その宗派の祀り方の指導こそが、先祖霊の苦しい霊界現象を放置していたり、どうかすると苦しませていたり、ということがあるものですが、喧嘩したくて語っているわけではありませんし、口論するほど暇ではないので扱いません。

(これまでも、これからも真摯なご質問は可能な限り承っておりますが、拙ブログよりもお客様のご依頼の件を優先的に進めておりますため、お返事をお待たせすることがありますので、あらかじめご了承ください。)


閑話休題、盂蘭盆会の語源のお話ですが、


中国経由で日本に入ってくる前に、当時の中国と交易があった国のひとつにササン朝ペルシャ(今のイランあたり)がありました。


ササン朝ペルシャはゾロアスター教が国教でしたが、その信仰で霊魂をウルヴァンと称しまして、当方はこのウルヴァンが語源説を採用します。

 

 

逆さ吊り漢民族ライク過ぎ……


ペルシャの国教は後にゾロアスター教からマニ教に変化していくのですが、このマニ教の成り立ちが実に面白くて、今回はお盆の話なのでざっくりとに留めますが


ユダヤ教、仏教、キリスト教、道教のいいとこ取りをしてグノーシス主義風味(?)で仕上げたようなハイブリッド宗教がマニ教で、この宗教の影響を受けているミトラ教が中国に伝わって大乗仏教と合体。



このように仕上がった大乗仏教が、聖徳太子…推古天皇の御代に本格的に拡められ、旧暦7月15日に斎き祀るとよろしかろう、となったのが日本のお盆。


そうそう、前述のマニ教のウルヴァンまつりは、供養のニュアンスではなく収穫感謝祭ですから


その意味では、この季節の東京ビッグサイトのアレは、ある意味で収穫祭…… 薄い本買い漁る人やカメコの皆さんにとって、で、肌色の多いコスプレーヤーさんを撮りまくるカメコたる者、レイヤーさんの先祖のDNAに感謝しなければですね……^ ^



しょうもない戯れ言は程々にして


目連の母のお話

まずはウィキペディアの引用そのまま。

安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。


(引用ここまで)


ちなみに施餓鬼の項を見ると、いきなり盂蘭盆経は中国の偽書説が有力と結ばれていて、真に受けると説得力が無くなりますが、前述のウルヴァン〜盂蘭盆の歴史的経緯を頭のスミにおいてお考え頂ければ、仮に全部創作であったとしても、霊的真理を物語で教えようという試みに違いないとはいえて、実際、この経文のようなことは起こることは、自分でも多くの実例を目撃し体験もしてきた……


小難しい箇所の意訳をしておきますと、


安居の最中うんぬん

これは釈迦=ゴータマ シッダールタの弟子たちが夏、まさに今頃に夏コミではなく師の元に各地から帰ってきて、夏季セミナーなんて甘いものじゃないな、夏季集中訓練のまっ最中であったとイマジンオールザピーポー。


神通第一の目連うんぬん

目連=モッガラーナさんは弟子の中でも神通力No1。天眼通(霊視)、天耳通(霊聴)、天足通(瞬間移動と思われ。他の経文の中でテレポートらしい描写あり) 等々の能力に長けた人であった。

サイコキネシステレパシィ♬(古)


その目連さんが夏季訓練の最中に、あの世の母を霊視すると


どうしても食べれない、口に入れる直前で燃えてしまい、飢えて痩せ衰えてしまっている姿が見えてしまった。


「息子の私が出家して、世の中のため、人様のために働いていても、母一人救えないのだろうか !?」


お釈迦様に問いかけるわけです。


お釈迦様これに応えて曰わくの


安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入る


というのは、シチュエーション的に、この夏の訓練後の打ち上げみたいな形でありましょう。人救いの実践行者の集団が、また各地に旅立って救って歩こうですから「また明日から頑張ろうなっ!」と言ったかどうかは知らないけれど、使命を軸に一同の想いはひとつなお食事会


と語っているブログの中の人は元神職ですので、お寺さんには怒られそうですが、ここはひとつ直会(なおらい)と言いたいところです。これは正しく直会だと個人的に思っておりますが、


それに際して「お前(目連)の母になりかわって大盤振る舞いしてみよ」と曰うお釈迦様。「全員に飯おごれ」と曰うたわけです。


何故、お弟子さん達、つまりお坊さんに飯おごったら母が救われる?


その何故が、これを伝えるお経、盂蘭盆経の意義、価値です。


これは、この時代この地域においての坊さまだから有効であったといえて、現代に置き換えれば、お坊さんに飯をおごるから救われるではない(そこを根深く勘違いしている坊主はまだ多い……)


そこを語りますが、その前に、餓鬼道に堕ちていた目連母の背景と人となりにふれないといけません。


目連さんのお宅は、お釈迦様の実家もそうであるように……そのあたりはもう「聖☆おにいさん」でも読んでください。 ほぼ差し支えなくその通りと思われますので。


超裕福な豪族の家。


そして目連父は早く亡くなっているようで、その莫大な遺産を目連母がすべて受け継ぎました。


ちょっと、ちょっとちょっと。


この遺産相続のくだりだけで「あぁ財産は罪……」と思ってしまう方はご自分のお金のブロックの心配をしたほうが懸命といえましょう。M+Eセッションお申し込みお待ちしております。


ブロック発見ツールになった件はおいといて…


もし財産に「罪」という言葉を使うとするなら、それは

影響力のある人が「無知」を省みないことや、その人の影響下にある人や世界に「気を配れないこと」によるもの…


もう少し具体的に。


目連母が何故、餓鬼道に落ちて、果てしなく飢え続けているという霊界現象になっているのか? といえば、これは決して神仏が科した天罰ではない。


前提として、まず宇宙はどこまでも「循環(メグリ)」と「分別(タテワケ)」で仕組まれている。


その中で神々も人も「自由意志」が与えられ、その循環の中で、蒔いた種を刈り取る式の「因果律」がある…


原因である自分の思い、行い、そこから生ずる結果。


自己責任の世界です。


話を戻して、目連母の果てしない飢えを招いた問題は、お釈迦様の薫陶の省略部分を意訳してしまいますと、


「お前の母は、とても裕福であったにも関わらず、困った人々に施す、与えるということを全く知らない女であった。その(本人知らず知らずだが、領主であり、その立ち位置にはその立ち位置相応に他者に与えてしまっている影響がある)意識の反映が、あの世での飢えた姿なのだよ」


違う時代の人の有名な(迷)言葉に喩えますと


「パンがないの? だったらケーキを食べれば良くなくて??」

               by マリー アントワーネット



極限の飢えのストレス市民に聞こえた日には、

「マリぃてめー絶対ギロチンかけてやるぁあ!!」

って、なりますよね?
こんな言葉を王妃が本当に吐いたかどうかは別として。
(今日日は王室打倒のプロパガンダ説が濃厚ですね)


真に受けてる民の心情はわかりますよね?


目連母の場合はどうやら本当に共感力に乏しい人で、領民の飢えの苦しみがさっぱりわからない人であったようで、城の蔵を開けるということに思い至らなかった。


会社、組織で部下を持つ立場の人、学校などで人に教える立場、人の相談を受ける、心にふれることを生業とするセラピスト、ヒーラーなどはかなり気をつけていないと、上役になるほど、影響力が増すほど、カルマは拭い難いものになる……


他人も関わる環境も、全てが自分

「自分を愛する」というコトバを使うのは容易いですが、自分の肉体ベース、自己愛ベースで、その快不快のみを基準に生きると、目連母のように、

 

 

自分そのものである他人や世界を愛していなかった結果を幽界で体験する。


目連母は、生前はその意識の反映を体験しなかったか、もしくは気づきの機会はあっても気づかずに逝ったと思われますが、

 

 

幽界はその想念状態と相応のものを体験する世界。


蒔いた種を刈り取り続ける厳粛な法(則)によって、飢えに苛まれ続ける目連母。


欧米スピ本で「地獄は無い」とよく言われますが、THE地獄(キリスト教的には煉獄)という看板の拷問アトラクションは無いでしょう。


しかし、自由意志で本人の魂が創造した地獄的な世界を体験し続けている霊は数多。


それらは、本当は自分の生き様の反映なのだけど「地獄に堕とされた」と闇雲に思い込んでいる。つまり、その自らの自由意志で低層の幽界に堕ちた霊にとっては「地獄はある」。


それに向けての救済の試みのお経が施餓鬼経であったといえましょう。お釈迦様が文字で遺すことを望んだかどうかはまた別ですし、

(文字だけで伝わるものをお釈迦様は信じてなかったようです。参考記事)


また、施餓鬼に限ったことではなく、お経はただ唱えても、法話を聞いて「ええ話やな」してみたところで、それだけでは死者も浮かばれず、生者の人生も何も変わることはありません。


そこに込められた意味を掴んで、私たちが今をしっかりと生きることが結果的に供養につながります。


実践こそが大事

安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るというのは、繰り返しになりますが、お坊さんに飲み食いさせたら救われれると言っているのではありません。


あの時代のあの地域、釈迦在世中の仏弟子たちの果たそうとしていた使命、それが本当に(あの時代、地域において)神と人の役に立つ、導き救うものをもたらしていた、少なくとも、もたらそうとしていた。


そのような人達、使命者達に、目連は母において大盤振る舞いをした。


親と子の間につながっている霊線はとても濃いもので、これは人と人、人と物でもつながり(向けられた想いの強いほど濃くつながる)、知人、友人、夫婦でも薄くなったり途絶えたりということはあり得ますが、親子、血縁のそれは(諸々の経緯で弱化することはあっても)完全には断ち切れないようになっているようです。


目連のやむにやまれぬ実践にあらわれるだけのエネルギー、与える、施す意識の波動が霊線を伝わって母の霊に伝わった……


子供の意識、想念が母の霊に与えた霊的感化

あの世は波動の世界ですから、意識、想念波動が上がると、霊は波動の上がった相応の世界を体験する。浮かばれるというのはこれです。


かくして大盤振る舞い後、目連が霊視を試みると、飢えて痩せ衰えていた母親が食べられるようになり、


現代まで伝わる物語では、いきいきと舞いながら天に登って行くのが見えたということになっていて、


その喜びの舞が、どこでこうなったか


盆踊りの由来だそうで。^ ^

 




さすがに一晩のそれで喜びの舞はどうだったか? そう簡単に人が死んでからレベルアップするか?(生きている間がまだレベルアップしやすい)と私などは思ってしまう夢のない男ですが、ともかく目連母は飢えから救われた、と。


目連母子に限った話でもお盆限定の話でもありません。


子孫の生き様が先祖に霊的感化を与えることができる。


また、仮にですが、悪業の多い家系に生まれたとしても、その多くの先祖があって存在する今の子孫が、世の中の役に立つ、人々を助ける、喜ばせるものを与えられるようになることで、


その善業の余剰分で先祖が救済されていく仕組みがあるようです。


すると、今度は

 

 

その先祖の霊界の状態が、現界の子孫の状態に移写、反映する(言霊通りの「うつしよ」)健康面、経済面、様々な面で好影響を受けやすくなる。


以上の序論程度にまとめた話は、無理に信じていただこうとは思いませんが、


今生かされている私たちの在り方次第。


他力本願、他人任せな供養などあり得ません。たとえお偉い大僧正だろうが阿闍梨だろうが大神官だろうが霊能者、ナントカマスター、ヒーラー、セラピスト……人任せである以上は、


供養として成立しない。
それは供養ではない。
そもそもお釈迦様も教えてません。


実践の伴わない祈りも供養も空念仏。
程のいい嘘。


他人任せをサービスとして提供する供養ビジネスも……





やむにやまれない想いは
やらずにいられない


実践しないでいられない。


その意味では
全て自分次第と言えるのです。


そういったことを思い直す節目が
盂蘭盆会、施餓鬼経の本来といえましょう。


皆さんはどんな実践者でありたいですか?


その上で、霊界と現界の間の法則性に沿った祀り方、供養の「ここをおさえて」な事を、特別コース 鑑定〝U〟で、ご希望を頂いた方にお伝えしています。
 

 

昨年のこのあたりの記事もよろしければ…

 

【お盆の記事の補足】本当に「敬神崇祖の人でないはずがない」といえるものです。

 

 

【お盆の期間は本当はどれ?】ご自分の善き人生の創造を選ぶあなたは敬神崇祖の人でないはずがない。

 

 
 
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