私のもう一人の母(猫)①(初対面)

私のもう一人の母(猫)②(小学生)

私のもう一人の母(猫)③(中学生)

私のもう一人の母(猫)④(高校生〜)

私のもう一人の母(猫)⑤

私のもう一人の母(猫)⑥(Cの終末)

私の兄弟(猫)(Pの事)

 

幼少期から一人っ子鍵っ子だった私。

よく生活が成り立っていたなと不思議に思う。

朝の行ってらっしゃいから帰宅後は一人

 

そんな私に小学5年生の時に大型種の母猫C(1歳)と子猫P(1ヶ月)が家族になった

 

Pは母猫Cと違い、短毛で白地に耳と尻尾がオス猫。

共にほぼ9キロあった。少しチーターのようなPは私の母命

 

ある日、2匹が部屋中を走り回って遊んでいる。

ふと静かになりCは穏やかに窓の外を眺めている。

思えばPが外に興味を持っている所を見た事がない。

私の母にしか興味がなかった。あとマタタビと。

 

夜、母の車の音を聞き分け玄関へ走るP。待望の母帰宅。

 

食後テレビを見ていると、

ソファーに座る母の膝に登ろうとするが登れないふりをするP。

脚力の強いP、いつか小さな母より成長するんじゃないかと思うほどなのに登れないはずがない。

 

文字で表現しづらい、

なんとも言えない登れません演技をしていた。

「どうしたん。こうか?可哀想にしんどいんか?」と母は

Pを持ち上げた。しんどないよと教えてあげた。

 

このP、な仮病も使って母に甘える時がある。

それを私とCは静かに見ていた。

 

私が休みのある時、仕事に行く間際の母にPが珍しく。

立ち上がり、行かないで抱っこしてと鳴いている。

 

わかるよその気持ち。幼稚園から小学3年までは

何度か私も仕事に行かないでと泣いた。

 

だけどPとCが来てくれてから全く寂しくなくなった。

そんな感謝の気持ちを込めて、

よし!私が抱っこしてあげると言いPを抱えた。

 

2秒ほど見つめ合い、ウワァーン!!と

おもいっきり両手を突っ張り

組体操のサボテン逆バージョンのようになるほど嫌がられた。

笑いながら母は玄関を出て行った。

 

お互いが子供の頃はよく遊んだのにね。

 

そういえば、小5で水疱瘡になった私。

水疱で全身が痛痒く、どうしても痒い時は爪楊枝の尖っていない方で

隙間を掻いてと言い母はもちろん出勤。

 

毛で覆われている2匹にうつってはもっと大変だと子供心に

近づかないよう部屋の隅で頑張った思い出。

 

高校生くらいの時、母が激怒の声で私の名前

叫んだ事があった。

心臓をバクバクさせ母の元へ行くと、珍しくPが叱られていた。

褒める時は絶対に名前を間違わないのにと、

その時は母を恨んだ。

 

 

ある時は、大きな荷物の段ボールが届き

どこに置けばいいのか悩みその場に座った私。

Pが来て、乗っていいよと段ボールを叩くと

お尻を向け座った。 目線の高さにPの背中

 

その背中に大きくなったなと思い、

カプッと言いながら手で軽く背中をマッサージした。

その度に鳴くのが可愛く、背中をカプッと軽く噛むふりをした。

 

Pは振り向きゆっくり私の顔に顔を近づけた。

そしてそっと鼻を強めに噛んだ。

 

間が空き、痛いぃ!と私は倒れた。

痛みの中、Pが立ち去る後ろ姿もしっかり覚えている。

 

爪を立てられた事は一度もなく噛まれたこの一回。

 

そんなこんなでPとは兄弟喧嘩のような事もできた。

 

母の前とは違い、私にはお兄さんぶる。

下に見ていたのか。

私が熱を出して寝込んでいた日は、

部屋へ見に来てくれた。

そんな実家時代。

 

そしてPも18年目。

母猫Cが亡くなった後に、

Pに黄疸(おうだん)が出たと母から連絡が来た。

 

 

〜続く〜

 

 

 

 

 

ポピーはあつこさんのご家族です

画像をお借りしました

 

大好きなポピーの背中

 

先程、ブログでポピーの歯が抜けてしまったと。

以前に祈りは届くと書いてあった。

ポピーがどうか痛くなく、不快になりませんように

そして変わらぬ笑顔でありますように