私のもう一人の母(猫)①(初対面)

私のもう一人の母(猫)②(小学生)

私のもう一人の母(猫)③(中学生)

私のもう一人の母(猫)④(高校生〜)

幼少期から一人っ子鍵っ子だった私。

よく生活が成り立っていたなと不思議に思う。

朝の行ってらっしゃいから帰宅後は一人

 

小学5年生の時に大型種の母猫C(1歳)と子猫P(1ヶ月)が家族になった

 

私は独立廃業後で、

私の開業と、その終わり(3年間)

私の再スタート(当時の新たな仕事)

Iさんに仕事をさせてもらえる連絡がくるまでのある日

 

仕事中の母から電話が来た。

 

もうCは長くはないかもと。

 

私はちょっとした仕事で大阪社長と打ち合わせ中だった。

電話内容が聞こえていた大阪社長。

幼少期の環境を知ってくれている社長は、猫の存在もなんとなく知っている。

打ち合わせを早く切り上げ、明るい時間帯に実家へ送ってくれた。

母の帰宅より早い。

 

この頃には高い場所に上がれなくなっていたC

2匹が一緒に眠れるよう、2匹の背丈に合わせた

高さのある一回り小さなコタツを作ってもらい

母は自室のベッド横に置いていた。

 

布をめくり覗くと、Cが鳴いた。

ただいまだよ、と優しく撫でた。

自壊しているお腹が痛いかもしれないので、もう抱っこはできない。

 

リビングに行きソファーに座ると、実家のテーブルが日光に照らされている。

随分古くなった買い替えていない実家のテーブル。

CとPのコタツはオーダー。母の愛が伝わっていればいいなと思った。

 

朝から夜まで2匹しか居ないこの家。2匹のために

夏は冷房、冬はガスストーブにヤカンをかけにして外に出る時もあった母。

 

ストーブ前は2匹のお気に入りの場所

 

中学一年生の時にこの家に越してから、Cがカーテンを急に登りだす事があった。

降りられないと鳴く。それを降ろす私。上げ下ろしの遊びもずっと健在だった。

 

そのCの為に、ボロボロになるからと母はベルベットのカーテンにした。

それは2023年の今も大事に使っている。

 

そういえば、2匹の爪研ぎの為に母はある日大きな木を購入。

家のど真ん中に打ち付けて父と2人で驚いた事もあった。

 

小学5年生の当時のマンション、母のいる夜はCが玄関ドアを開けてとお願いをする。

2匹でマンション廊下を走る。怖がりなので少しの物音でネズミのように急いで戻る。

 

今のこの家では成長した私がベランダに出してあげる役割だった。

 

私が実家を出た以降は父にお願いをしていたC。

2匹に触れる機会もなく、ぶつかった事しかない父。

 

Cが可愛い声で父に鳴く。「なんや開けて欲しいんか?」と立ち上がり、

「すぐ帰ってくるくせに目が合うと開けてってワシに言いよるねん」

と、にやけて嬉しそうに言っていた。

 

何度思い返しても、各家族だった私達にこの2匹の存在は大きかった。

 

そんな事を懐かしみストーブをつけるとPがストーブ前に来た。

Cは動けないのか、出てこない。

 

私はこの時、Cに何もしてあげられない自分が悲しくなった。

 

後に母も帰宅。母の「C、消毒やで」で、Cが出てきた。

 

明日は打ち合わせ後、荷物をまとめ実家に戻る事に決めた。

長く行けていなかった美容室の予約も明日だった。

母と美容室の2時間くらい大丈夫だろうと、

私は当分実家にいるプランを立てた。

 

リビング横の部屋に布団を出してもらいこの日から泊まる事に。

 

Cは顔だけ見ると目もぱっちり、いつもと変わらないように見える。

けれどもCはコタツに戻る。しんどそうだった。

 

キッチン横の2匹のご飯を見た。

2匹は人が食べる物は食べない。

いつもカリカリか缶詰。ただCだけはこれに大きなソフト煮干しを。

 

1歳で来たC。前の飼い主からの習慣だった。

一回に煮干し8匹くらいを添える。頭だけ綺麗に残し食べるC。

 

この日は頭1つだけがあった。

カリカリも缶詰も食べず、煮干し1匹だけを食べた跡だった。

 

そして、この日はおやすみ。 消灯

 

〜続く〜