私のもう一人の母(猫)①(初対面)

私のもう一人の母(猫)②(小学生)

私のもう一人の母(猫)③(中学生)

 

幼少期から一人っ子鍵っ子だった私。

よく生活が成り立っていたなと不思議に思う。

朝の行ってらっしゃいから帰宅後は一人

 

小学5年生の時に大型種の母猫C(1歳)と子猫P(1ヶ月)が家族になった

 

私は高校入学、女子校へ。母からアルバイトを禁止された。

反対されたからなのかアルバイトがどうしてもしたくなった。

 

家に帰るとやる事も沢山あるのに。働きたくはないはず。

 

部屋につけてもらった電話の子機。門限が早いので夜は

母猫Cをブラッシングしながら友達と電話。

 

電話代もほしくて、夏休みに嘘をついて梅田でアルバイトを始めた。

朝が弱い私が、朝から準備をして出ていく。

 

母の出勤時間と重なり、車で送ると言われた日。

車内で「バイトでもしてるの?」と聞かれた。

答えると、「えらいな、気をつけて」と言ってもらえた。

 

おかげで母猫CやPに猫用のクッキーや、いつもとは違う缶詰、

結果的に遊びもしないおもちゃも沢山購入できるようになった。

 

ついでにポケベルを持つ事にもなった。門限時間には

《889》早く帰って来いの暗号も来る。

 

母猫Cと離れる事だけが気になったが、早く1人暮らしがしたかった。

アルバイトで貯めて出るつもりが結局10万円くらいで終わった。

 

18歳で実家を出してもらった。定期的に母猫Cに会いに行く。

いつものように、ゴロゴロ喉を鳴らしてくれるC。丁寧にブラッシング。

忘れられるんじゃないかと心配だった。けどCは何も変わらない。

静かに鳴く高い可愛らしい優しい声も。

 

Pはいつ見ても母にべったり。

Cもちゃんと可愛がってあげて!と母を責めてしまった事もあった。

 

実家には私の部屋はもうない。なので泊まらず帰る。

 

私はあんな事(昔、仕事から逃げた話)や、

こんな事(白黒つけないグレーの大阪社長の話④(岡山出張編、続き)

で仕事や日常が過ぎていった。

 

そして母猫Cは17年あたりで乳癌になった。

母のおかげで消毒に包帯、

可愛いハンカチで留められていた。

 

実家に行き初めて消毒を見た日。母が「C、消毒」と、

人間用のシートセットと新たなハンカチを出すとCは母の膝元へ行き座る。

慣れた感じに驚いた。私の知らないルーティン。

 

母に優しく抱えられながら大人しくバンザイした時、

大きな目で私をじっと見つめていた。あの日と同じ。

そして自壊が広がっていた。

 

可愛いハンカチで留められている以外、見た目も変わらないC。

 

《生涯責任を持って飼う》とはこういう事だった。

 

この書き留めは決して悲しい話ではなく。

 

CとPとの幸せだった18年の記録。

 

ある日、母から電話が来た。

 

〜続く〜

 

 

 

ポピーはあつこさんのご家族です

画像をお借りしました

 

 

先にはあつこさん、嬉しいよねポピー!

 

わかるよ!私も小学校の帰りは2匹の元へ同じ顔で走ったから☺︎

 

ポピーは本当に表情が豊か。幸せが伝わってくる