幼少期から一人っ子鍵っ子だった私。
よく生活が成り立っていたなと不思議に思う。
朝の行ってらっしゃいから帰宅後は一人。
小学5年生の時に大型種の母猫C(1歳)と子猫P(1ヶ月)が家族になった
私は高校入学、女子校へ。母からアルバイトを禁止された。
反対されたからなのかアルバイトがどうしてもしたくなった。
家に帰るとやる事も沢山あるのに。働きたくはないはず。
部屋につけてもらった電話の子機。門限が早いので夜は
母猫Cをブラッシングしながら友達と電話。
電話代もほしくて、夏休みに嘘をついて梅田でアルバイトを始めた。
朝が弱い私が、朝から準備をして出ていく。
母の出勤時間と重なり、車で送ると言われた日。
車内で「バイトでもしてるの?」と聞かれた。
答えると、「えらいな、気をつけて」と言ってもらえた。
おかげで母猫CやPに猫用のクッキーや、いつもとは違う缶詰、
結果的に遊びもしないおもちゃも沢山購入できるようになった。
ついでにポケベルを持つ事にもなった。門限時間には
《889》早く帰って来いの暗号も来る。
母猫Cと離れる事だけが気になったが、早く1人暮らしがしたかった。
アルバイトで貯めて出るつもりが結局10万円くらいで終わった。
18歳で実家を出してもらった。定期的に母猫Cに会いに行く。
いつものように、ゴロゴロ喉を鳴らしてくれるC。丁寧にブラッシング。
忘れられるんじゃないかと心配だった。けどCは何も変わらない。
静かに鳴く高い可愛らしい優しい声も。
Pはいつ見ても母にべったり。
Cもちゃんと可愛がってあげて!と母を責めてしまった事もあった。
実家には私の部屋はもうない。なので泊まらず帰る。
私はあんな事(昔、仕事から逃げた話)や、
こんな事(白黒つけないグレーの大阪社長の話④(岡山出張編、続き)
で仕事や日常が過ぎていった。
そして母猫Cは17年あたりで乳癌になった。
母のおかげで消毒に包帯、
可愛いハンカチで留められていた。
実家に行き初めて消毒を見た日。母が「C、消毒」と、
人間用のシートセットと新たなハンカチを出すとCは母の膝元へ行き座る。
慣れた感じに驚いた。私の知らないルーティン。
母に優しく抱えられながら大人しくバンザイした時、
大きな目で私をじっと見つめていた。あの日と同じ。
そして自壊が広がっていた。
可愛いハンカチで留められている以外、見た目も変わらないC。
《生涯責任を持って飼う》とはこういう事だった。
この書き留めは決して悲しい話ではなく。
CとPとの幸せだった18年の記録。
ある日、母から電話が来た。
〜続く〜
ポピーはあつこさんのご家族です
画像をお借りしました
先にはあつこさん、嬉しいよねポピー!
わかるよ!私も小学校の帰りは2匹の元へ同じ顔で走ったから☺︎
ポピーは本当に表情が豊か。幸せが伝わってくる